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【44ページ】
レヴィ=ストロースのいう「社会」とは、広がりがあるとはいえ、全体として、その外部から閉ざされた共同体です。そこでの交換がどんなに広がろうと、互酬的交換の輪が広がるだけで、共同体の外との交換には発展しない。未開社会のシステムは、排外的な共同体の定常均衡状態を維持するためのシステムなのです。
【46〜47ページ】
一方、原始段階のほとんどは、いやおうなく、発達した国家に包摂され、変容していった。ということは、そこに互酬以外の交換様式が萌芽的にであれ、すでに存在していたということを意味します。
(ken) 私は1953(昭和28)年、福島県南部の中山間地域で生まれ、18歳まで暮らしました。お金(貨幣)はごく限られた時にしか目にせず、おやつやオモチャは自己調達であり、盆暮れの季節以外に外来者を見かけることは少なく、まさに「外部から閉ざされた共同体」を実体験してきました。そして、「互酬以外の交換様式」についても、「(国家の専売品であった)葉たばこ」は貴重な現金収入、「羊の毛」は毛糸と交換され、自家消費以上に収穫できた「大豆」「小豆」は雑穀商が買い取りに来ていました。最近、同級生から聞いた話ですが、小名浜港からトラックでやってくる魚屋さんは、米とサンマ、ホッケ、銀タラなどを農家と物々交換していたそうです。
レヴィ=ストロースのいう「社会」とは、広がりがあるとはいえ、全体として、その外部から閉ざされた共同体です。そこでの交換がどんなに広がろうと、互酬的交換の輪が広がるだけで、共同体の外との交換には発展しない。未開社会のシステムは、排外的な共同体の定常均衡状態を維持するためのシステムなのです。
【46〜47ページ】
一方、原始段階のほとんどは、いやおうなく、発達した国家に包摂され、変容していった。ということは、そこに互酬以外の交換様式が萌芽的にであれ、すでに存在していたということを意味します。
(ken) 私は1953(昭和28)年、福島県南部の中山間地域で生まれ、18歳まで暮らしました。お金(貨幣)はごく限られた時にしか目にせず、おやつやオモチャは自己調達であり、盆暮れの季節以外に外来者を見かけることは少なく、まさに「外部から閉ざされた共同体」を実体験してきました。そして、「互酬以外の交換様式」についても、「(国家の専売品であった)葉たばこ」は貴重な現金収入、「羊の毛」は毛糸と交換され、自家消費以上に収穫できた「大豆」「小豆」は雑穀商が買い取りに来ていました。最近、同級生から聞いた話ですが、小名浜港からトラックでやってくる魚屋さんは、米とサンマ、ホッケ、銀タラなどを農家と物々交換していたそうです。