私は20歳の頃に、スペインを一人で2、3日歩きました。その時に一番印象に残っているのは、屋台で買った、当時の円で一つ5円ほどのオレンジでした。オレンジと言うのはオレンジ色だと思っていたので、持っていた小さなナイフで真っ二つに割ったときに、切り口からオレンジ色と深紅の赤が目に飛び込んできました。
つまりオレンジは熟してくると真っ赤になると言うことを、その時初めて目にしたのです。それから20年ぐらい経った頃、日本でもバレンシアオレンジというブランド名で、生ジュースとかになっていましたが、あの時の印象は鮮烈でした。
私が行ったのは、2月の中旬だったと記憶しています。スペインの太陽の光というのは独特で、今も強く思うのは、海外旅行でお金に代えられない大切な感覚とは、異国の太陽の光だと思うのです。それぐらい感動しました。建物の屋根や壁や敷き詰められた小石まで違った光を放ちます。
それから、安宿の受付に立ち、何度も「すみません、すみません」と大きな声を出して呼んでいたら、「(多分)お昼休みだから受付してないんだよ。昼寝の邪魔すんなよ」と言うおばちゃんの怒りの声が聞こえてきました、それはスペインの人たちにとって、「働き者ではない、怠け者の民族」と言われようが、ゆずれないお昼休みの大切な時間だったのですね。
もう一日は、ユースホステルに泊まったと思うのですが、そこにはたくさんの日本人のお兄ちゃんたちが泊まっていて、例えばイスタンブールの商人から仕入れてきたという、「火打石のライター」などを見せてくれ、ついでに私はそこから1つ10円から20円位のライターを何個か買って、日本へのお土産にしました。
彼らの与太話を耳に焼き付け、そっか「日本の肩苦しい空気ばかり吸っていて、どん詰まりになっていた自分だけど、世界では日本の常識が非常識ってこともあるんだし、好きに生きればいいんじゃね」と教わりました。彼らは1年とかではなくてもっと長く自分たちでヨーロッパを歩き回り、自分たちで稼ぎ、自分たちで様々な体験をしていたお兄ちゃんたちです。
そして、「よー、そこの若いの、今から飯に行くからついて来いよ」と、当時の日本人御用達レストランに連れていってもらい、たしか130円のフルコースを美味しくいただきました。今の日本の社会を見ると、そんな破天荒な若者たちが少なく、とても残念です。多分、現在のスペインでも、日本人の元気な男子旅行者は少ないと思います。日本の場合、ますます女子の方が圧倒的に元気ですね。
つまりオレンジは熟してくると真っ赤になると言うことを、その時初めて目にしたのです。それから20年ぐらい経った頃、日本でもバレンシアオレンジというブランド名で、生ジュースとかになっていましたが、あの時の印象は鮮烈でした。
私が行ったのは、2月の中旬だったと記憶しています。スペインの太陽の光というのは独特で、今も強く思うのは、海外旅行でお金に代えられない大切な感覚とは、異国の太陽の光だと思うのです。それぐらい感動しました。建物の屋根や壁や敷き詰められた小石まで違った光を放ちます。
それから、安宿の受付に立ち、何度も「すみません、すみません」と大きな声を出して呼んでいたら、「(多分)お昼休みだから受付してないんだよ。昼寝の邪魔すんなよ」と言うおばちゃんの怒りの声が聞こえてきました、それはスペインの人たちにとって、「働き者ではない、怠け者の民族」と言われようが、ゆずれないお昼休みの大切な時間だったのですね。
もう一日は、ユースホステルに泊まったと思うのですが、そこにはたくさんの日本人のお兄ちゃんたちが泊まっていて、例えばイスタンブールの商人から仕入れてきたという、「火打石のライター」などを見せてくれ、ついでに私はそこから1つ10円から20円位のライターを何個か買って、日本へのお土産にしました。
彼らの与太話を耳に焼き付け、そっか「日本の肩苦しい空気ばかり吸っていて、どん詰まりになっていた自分だけど、世界では日本の常識が非常識ってこともあるんだし、好きに生きればいいんじゃね」と教わりました。彼らは1年とかではなくてもっと長く自分たちでヨーロッパを歩き回り、自分たちで稼ぎ、自分たちで様々な体験をしていたお兄ちゃんたちです。
そして、「よー、そこの若いの、今から飯に行くからついて来いよ」と、当時の日本人御用達レストランに連れていってもらい、たしか130円のフルコースを美味しくいただきました。今の日本の社会を見ると、そんな破天荒な若者たちが少なく、とても残念です。多分、現在のスペインでも、日本人の元気な男子旅行者は少ないと思います。日本の場合、ますます女子の方が圧倒的に元気ですね。