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タバコ抜き書き帳(刺青クリスチャン)

2020年10月03日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
🟢 元ヤクザ伝導集団ミッション・バラバ著『刺青クリスチャン』(早稲田出版、1998年5月19日発行)では、以下の4人(高原芳郎さん、吉田芳幸さん、中島哲夫さん、真島創一さん)の文中にタバコ(灰皿等を含む)が記述されていましたので、ご紹介させていただきます 🟢
 


【60ページ】高原芳郎さん
父は酒もタバコもやりませんでしたが、その分をおぎなうかのように、女性関係が派手な人でした。え
 
【62ページ】高原芳郎さん
(両親に捨てられた)こんな悲惨に追い打ちをかけたのは、突然の兄の自殺でした。当時兄は海軍の予科練に志願し、その直後国鉄に飛び込んだのでした。そして兄の残したタバコのピースの箱には、「天皇陛下のためなら命をも捨つる。人のためならをも捨つる」と書き残してありました。
 
【64ページ】高原芳郎さん
ヤクザの世界も下働きは厳しいものです。朝、便所そうじからふきそうじ、灰皿を洗ってきれいに変え、賭場に白い布をはって札に数字を書いてお客さんを待つ生活が始まりました。
 
【67ページ】高原芳郎さん
新婚時代にこんなこともありました。私が当時つき合っていた女性が、私の留守に家を訪ねてきたのです。妻が家に上げて、しばらくタバコを吸いながら私を待ってようですが、その2~3日後に署名のない手紙がきて、妻があけてみると、クシャクシャになった私の写真が入っていたらしいです。
 
【137ページ】吉田芳幸さん
当時のヤクザは今のヤクザと違って、部屋住みの時でも自分でお金を稼がなくてはなりませんでした。親分も兄貴分も小遣いなどくれません。兄貴分が「タバコ買ってこい」といっても、その兄貴分は自分の吸うタバコを買うお金さえくれません。買ってこいといわれた私は、お金が無ければタバコを盗むか、金を盗んでタバコを買うか、どんな事をしてもタバコを手に入れて兄貴分の所に持っていかなければならあい、そんな社会だったのです。
 
【174ページ】中島哲夫さん
女房は私の強引な申し出に半ば呆れながら結婚を承知してくれました。″日曜日には必ず教会に行くおこと″という条件を付けて。彼女、26歳初婚。私37歳3度目。クリスチャン・ヤクザの誕生です。
結婚後の私は、月曜日から金曜日まではそれまで通り、しっかりヤクザの務めを果たしました。そして、土曜日にサウナに行き、アルコール、煙草、夜のクラブの脂粉の匂いを汗と共に体から吹き出させ、スッキリさせます。そのようにスッキリしたところで、日曜日には教会に行き、神の前に頭を垂れ、アーメン、と唱える生活を始めました。
 
【189ページ】中島哲夫さん
薬のため精神に異常をきたし、人を殺すとまで思い詰め、神の許しで生まれ変わる事のできた私。ヤクザをやめ、薬もやめ、女遊びもやめ、煙草もやめ、学校経営に専念する私に、それでもまだ一つだけやめられない悪癖がありました。
夜の赤坂で酒を飲む事です。
 
【196ページ】真島創一さん
中学に入って、「まあ、進学のときに有利だろう」といった軽い動機で生徒会長になりました。しかし、なったからといって急におとなしくなるわけではなく、″学校の校則を全部破る生徒会長″として、結構人気者だったのですから、ヘンな話です。
とにかく、規則規則と型にはめられるのが大嫌いですから、制服違反をし、校内でガムをかみ菓子を食べ、タバコも吸うという大変な破天荒ぶりでした。
 
【214ページ】真島創一さん
酒もタバコもやらずひたすら真面目な父に、私は反発し続けました。「遊びのひとつも知らないで、つまらない人だ」と思い続けてきたのです。その父とも、千葉のキャンプのときに心を語り合い、和解できました。父は、私の祖父が朝から酒を飲むような飲んべえだったのを見て、その反動で真面目な人間になったらしいです。
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敗者復活の道を切り拓くこと〈英訳付〉

2020年10月03日 | O60→70(オーバー70歳)
先月放送のNHK「逆転人生」(少年院・刑務所からの再出発“一発アウト”の社会に挑む)は、とても素晴らしかったです。

Last month's broadcast of NHK's "Gyakuten Jinsei" (challenging the "one-shot-out'' society where young people make a fresh start from juvenile training schools and prisons) was wonderful.



三宅晶子さん(49歳)は「国がやれよ!」ということを受刑者向け求人誌「Chance」を創刊し、法務省を説得の上、厚労省には出来なかった分野での職業紹介事業を軌道に乗せました。

Akiko Miyake (49 years old) launched the job magazine "Chance'' for inmates with the idea that "the country should do it!'' and persuaded the Ministry of Justice to provide job placement services in fields that the Ministry of Health, Labor and Welfare could not. I got it back on track.



敗者復活に、そこまでするかというほど冷酷な日本において、どこまでも優しい目線によって、感動的な新しい道を創造しているのですね。 

In Japan, which is so ruthless that it would go to such lengths to revive the loser, you are creating a moving new path with an infinitely kind perspective.



ゲストの宇梶さん、ゆきぽよさんも実に素晴らしいコメントを述べていました。

Guests Ukaji-san and Yukipoyo-san also made wonderful comments.



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