時事通信・・・・・東京・永田町にある衆院議員会館では、衆院選で大勝した民主党の各事務所にお祝いのコチョウランなどが次々と運び込まれ、秘書が早くも霞が関の官僚のあいさつ詣でを受けた。一方、多くの落選者を出した自民党の各事務所では、秘書らが引っ越しに追われ、涙ぐんで別れを惜しむ姿も見られた。
「政権交代したらこれほど露骨に態度が変わるなんて」と仰天するのは、民主党中堅議員の女性秘書。投開票翌日の先月31日には、すかさず各省庁の担当者が概算要求の資料や名刺を手に同党議員の部屋を行ったり来たり。女性秘書も経済産業省の幹部のあいさつを受け、「来たこともない偉い人が来る。こんなことは今までなかった」と目を丸くした。
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ウィキぺデイアより・・・・・四十日抗争(よんじゅうにちこうそう)は1979年に起きた自由民主党内の派閥抗争。自民党史上最も深刻な対立といわれる。
1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙と自民党の敗北から、11月20日の大平内閣の本格的発足までの約40日の間、自民党内で抗争が行われたためこの名がある。
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40日抗争の時も国民生活が混乱したという記憶はない。「それだけ日本の官僚機構はしっかりしているから」と話していた記憶がある。
まあ、選挙向きはともかく、「官僚・公務員敵視」だけでは政治はすすまないだろう。
県会議員になった頃、「各部局と予算要望交渉」をやりたい、といったら最初は「どうして共産党議員にだけ・・・」との抵抗があったと聞いた。当時の議会事務局長は「佐藤さん、こういう政策議論というのはこれから主流になりますよ。わたしは知事部局にも応じなさいといっています」と話してくれた。
県庁内では、「自民党からの要望にはノーと言うな。うまく言え。共産党には、できないことははっきり断れ」との指示がされているとも聞いた。
まあ、共産党にリップサービスする必要性も意味もないからだろうが、これでいいと思う。そこから、「議論」が始まるのだから。
ある県庁幹部も「最近の議員さんは露骨になりましたねえ」と言っていた。県民サイドの「政策」は県民全体に益をもたらすものだが、議員などの「個別要求」は、教員採用への働きかけなどにもみられたように、特定の県民・業者にのみ益をもたらし、県民全体には不利益をもたらす。
「政権交代したらこれほど露骨に態度が変わるなんて」と仰天するのは、民主党中堅議員の女性秘書。投開票翌日の先月31日には、すかさず各省庁の担当者が概算要求の資料や名刺を手に同党議員の部屋を行ったり来たり。女性秘書も経済産業省の幹部のあいさつを受け、「来たこともない偉い人が来る。こんなことは今までなかった」と目を丸くした。
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ウィキぺデイアより・・・・・四十日抗争(よんじゅうにちこうそう)は1979年に起きた自由民主党内の派閥抗争。自民党史上最も深刻な対立といわれる。
1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙と自民党の敗北から、11月20日の大平内閣の本格的発足までの約40日の間、自民党内で抗争が行われたためこの名がある。
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40日抗争の時も国民生活が混乱したという記憶はない。「それだけ日本の官僚機構はしっかりしているから」と話していた記憶がある。
まあ、選挙向きはともかく、「官僚・公務員敵視」だけでは政治はすすまないだろう。
県会議員になった頃、「各部局と予算要望交渉」をやりたい、といったら最初は「どうして共産党議員にだけ・・・」との抵抗があったと聞いた。当時の議会事務局長は「佐藤さん、こういう政策議論というのはこれから主流になりますよ。わたしは知事部局にも応じなさいといっています」と話してくれた。
県庁内では、「自民党からの要望にはノーと言うな。うまく言え。共産党には、できないことははっきり断れ」との指示がされているとも聞いた。
まあ、共産党にリップサービスする必要性も意味もないからだろうが、これでいいと思う。そこから、「議論」が始まるのだから。
ある県庁幹部も「最近の議員さんは露骨になりましたねえ」と言っていた。県民サイドの「政策」は県民全体に益をもたらすものだが、議員などの「個別要求」は、教員採用への働きかけなどにもみられたように、特定の県民・業者にのみ益をもたらし、県民全体には不利益をもたらす。