子曰く、故きを温めて新しきを知れば、もって師たるべし。(為政)
先生はおっしゃった。過去の経験を大切にしながら、新しいことを学んでゆく。それができるものが、師というものでしょう。
論語が続きます。一度はじめると、続いちゃうのが、わたしですね。楽しんでやってますが。説教くさいとおっしゃる方もいるだろうな、とは感じてます。自分でもそう思うので。こういうのは、昔から変わらない。ほんとに、わたしっていうのは、いつもこんな感じです。
古いブログのほうの「論語のしっぽ」と比べれば、だいぶ語調が変わってきているのを、感じているでしょう。以前のわたしは、まるで自信がなくて、正しいと思っていることを主張するのに、何かの影にかくれておずおずと言っているような感じでした。でも今はちょっと違うな。だいぶ、まっすぐに言うようになっています。いろんなことを経験しながら、常に変わっていく自分を感じています。
昔のわたしもかわいいけど、今のわたしも、けっこういいじゃないっかて思います。かわいいけど、それだけじゃないわよ、という感じ。
常に、過去よりも、未来が好き。楽しいことが、いっぱいあるから。
失敗もいっぱいしてきた。思い出すと恥ずかしくて、穴に入ってふとんで頭を隠してしまいたいってこともいっぱいあります。むちゃくちゃだった。子供だった。まるでわかっていなかった。ただ、一生懸命だったってだけがとりえだった。
それもこれも、全部わたしだ。馬鹿だった。苦しいくらい。あれは全部わたし。いとしくて、抱きしめたくなる、かわいいわたし。胸の中で、いつもあれらを温めながら、わたしはこれからのわたしを生きていく。常に新しくなっていく。
何もかも、みんな、自分なんだよ。やってきたこと。すべて。馬鹿だったよ。苦しいくらい、わかっていなかったよ。けれど、これからのほうが、ずっと美しいんだ。
古きことを、すべてよきこととするために、常に未来がある。美しい未来がある。
苦しいことばかりじゃない。何もかもはよくなる。ただ、今、本当の自分の一歩を、刻みさえすれば。
失敗したね。馬鹿だったね。ほんとうに、苦しい阿呆をした。
けれども、それで君がだめになるのではない。未来はいつも美しい。常に新しくなる。本当の君は、とてもかわいいんだ。愛しているんだよ。すべてを。だから今が、信じられないほど苦しい。まちがってしまったから。
新しいものになるために、今、すべてを、自分の中に、招き入れるのだ。あれらはすべて自分だったのだと。そうすれば、新しい自分への窓が見える。あそこにいけばいいんだなって。窓からもれる光が、笑いかけてくれるよ。