世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

愚か者

2008-01-11 10:07:23 | 有為のしらべ

去年の夏の、カマキリの幼生です。大人っぽいけど、翅がないので、子供だってわかる。夏のカマキリはいとおしいですね。いっぱしに、獲物はとるけれど、どこか苦しい。残酷になりきるに、ためらいがあるような。がんばって、男になろうとしているかのような。

愛することだけで、生きていけたら、どんなにか幸せだろうと、よく思います。愛だけでは、生きていけない世界。苦しいこと、痛いことをせねば生きていけない世界。けれど、だからこそ、ここで愛が滅びてしまったら、あまりにもむごいことになる。ひどく愚かなことが生じてしまう。

昨日は、少々きついことを言いましたが、それはそれで、必要なことだったと思っています。言わなければわからないということもある。今の世界では、愚かなことが当たり前のように行われている。正しいことを言ったり、やろうとすれば、それだけで阿呆呼ばわりされて、阿呆に作り上げられる。そして殺される。

それが当たり前になってしまえば、あまりにも阿呆なことをやっても、何もわからずに、ずっとやりつづけて、とうとう歯止めがきかなくなり、ひどすぎることになってしまったりする。そういう実例が、昨今、たくさん出てきました。人々は、人間はもともと愚かなものだと決め付けて、いいことをしようとするものを、阿呆と決め付けて、やめろ、やめろ、とあざ笑い続けて、とうとう、愚か者だけが正しいという世界にまでしてしまった。これは大変なこと。阿呆でなければ、生きていけないのです。

痛いことをやり続けて、周りを苦しめ続けていれば、やがてとてもひどいことになって、それでもごり押しで、周囲の口をふさぎ、無理やり自分が正しいにして、もっとやり続けた。そしてもっとひどいことになっても、その現実にふたをし続け、もっともっとやり続けた。そして、あまりにふくれあがって、ひっくりかえって、あふれかえって、溺死状態になっても、まだやろうとしている。

なぜやるのか。それは、自分がまちがっていたという事実が、大嫌いだからです。それがいやだから、自分だけが正しいという世界を仮構の島に作り続け、気がついたときには何もない、という現実が開けても、目をつぶりつづけ、やってきたことのすべてが、痛い請求書になってつぶてのように返ってきはじめても、ありもしない夢の隠れ家にかくれて、まだ王侯のようにふんぞり返ろうとしている。

いやだ、いやだ、いやだ。すべていやだ。なにもかも、阿呆だ。こんなのはすべて夢だ。

これが愚かさの結末です。実際にこういう例はたくさんあります。過去にもいっぱいありましたが、現代は、すさまじいことになっている。あまりにもひどいことになりすぎている。

もともとの発端は、いとも簡単なことでした。他人よりも、自分がバカなんだってことに、がまんがならなかった。だから、自分以外の人間はみんなバカにしてやろうと、ひどいことを始めた。みんな、自分が大嫌いだったから、ほかのやつが、自分ではないってだけで、すごくうらやましかった。だから、あまりにひどいことをして、自分ではないやつはみんなバカだにした。それでなければ、自分が自分であることに耐えられなかった。なぜなら、自分は、あんまりにバカなことをするから。こんなやつ、大嫌いだから。

バカなんだ、自分は。そう思った人間は、苦しさのあまり、愚かなことをし続ける。自分が、ひどいやつだということが、苦しすぎるから、ずっとやりつづけてしまう。すべてがくだらぬ愚かなものでなければ、生きていけないほど苦しい。辛い。おれはなんでもやって、ずるいことでもなんでもやって、えらいいいものになる。苦しいほどすごいものになる。そして君臨してやる。すべて阿呆だ。俺様に従え。俺様が偉いんだ。

こうして、人間は、絶対の神にさえなる。いえ、要するに、絶対の神というのは、自分がいやになった人間がつくりあげる、究極のエゴの姿なのです。それにはだれも逆らえない。自分がいやな人間は、絶対の神になれば、永遠に安らげると思う。しかしそれは、永遠の死にほかならない。虚無以外のなにものでもない。

自分がいやだ。ただそれだけで、おそろしいほどひどいことが起こる。それが真実なのです。愚か者はこの真実に目をふさぎ続け、永遠に自分を攻撃し続ける無間地獄に陥ってしまう。一昔前は、詩人のレトリックのように思えたこのことが、恐ろしい現実となって眼前に現れ始めている。それが今。

さて。

どうするべきですか。
コメント (2)
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有為のしらべ

2008-01-10 10:47:43 | 有為のしらべ

新しいカテゴリを追加しました。随筆集、というところですか。最近は、写真よりも、頭の中によぎるさまざまなことを書くのがメインになってきてるので、そちらの方を、しばらくやってみたいと思います。

昨日は、長男の高校に呼ばれて、先生と話をしにいってきました。最近遅刻が多いのと、英語の成績が悪い、などなどのことでした。

日差しが一反の薄絹のように降りている、応接室のソファに座って、しばし先生の話に耳を傾けていましたが、おなかの中でぐらついているいらだちが、とうとうほとばしり出てしまいました。

それはちがうわよ、ほんとにわかってないわね、ていつも思ってはいてもいえないことが、もう勝手に出てしまいます。

高校のセンセというものは、ステータスが比較的高いので、世間に胸を開きません。学校という狭い常識の中でしか通じない常識を金字塔のように掲げて、生徒を切り刻む。わたしも若い頃、その洗礼を受けました。とても苦しかった。偏差値やつまらない先生の意地などでしばられ、人格の翼を広げる窓をすべて封じられた。何もわからなくなった。

先生が世間の常識と思っていることは、実に小さなつまらないことなのですが、それはほとんど、世間では通用しませんでした。

わたしが病気で、ほとんど家事はできないので、長男は夕食なども自分で作ります。わたしが作ったものは、ほとんど食べないのです。言外に、作らないでくれと言ってるんです。わたしが大変だから。大きくなったといっても、まだ十六で、勉強しながら、いろんなものを背負わなければならない。そのプレッシャーに耐えるためには、逃げ場も必要です。携帯やゲームに凝ることは、その苦しさを何とかしようとしている表れなのですが、先生はそれを理解できない。薄っぺらな常識だけですべてを判断しようとしている。

「あなたがつらいのはわかるけれど、ほかのこだってがんばっているんだからね」

それは言ってはおしまいですよ。今問題なのは、目の前にいるその子供なのです。その子供の苦しみを見ないで、なぜほかの子と比べて、君は悪いというのか。

すべてはもう、ばれている。なぜそんなことをいうのかといえば、いいたいことはただひとつ。「あなたよりわたしがえらいのよ」

それだけなのです。だから、学校の方針だの、世間の常識だのの、自分が優位に立とうとするための、論理しか使わないのです。決して、こちらの心の声に耳を傾けようとはしない。

高校生は、論理も感性も飛躍的に伸びる頃。生半可な教養と経験では太刀打ちできない子供も相当いる。それに教育者として、優位に立とうとする人は、ほとんど阿呆です。人格対人格の勝負のできない大人に囲まれて、高校生は世間を学ぶ。そこで、自分がどういう生き方をするかを、知らず知らずのうちに選択している。

立場の強さを手に入れれば、あとは何でもしていいだなってことを学んで、それを主目的にするもの。苦しさの真実を見抜いて、それでもなんとか本当の自分を生きようとするもの。美しい生き方をするのは、ほとんど絶望的だと、どちらにしろ、子供はこの頃に知る。

さても。

どうにも最近、きついですね。なんといいますか、ひどい目にあいすぎて、もう歯止めがきかなくなってきました。以前は、言いたいことは三重にも四重にもオブラートに包んで言ってたものですが。もうだめだこりゃ、というのをさんざん見すぎてしまった。

辛口のエッセイもまたいいでしょう。しばらくおつきあいください。病の坂を乗り越えたら、またもとのようにやわらかくなるでしょう。



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さざんか

2008-01-09 09:33:08 | 箱庭写真集

昨日撮ってきたばかりの、さざんかです。幼稚園の前庭の片隅に、とてもきれいなさざんかの木があるんですよ。小さな木なのですけど、ほかのとすこし違うのです。花の形や、色が、美しく整ってきて、清らかになっている感じです。さざんかの花が、少しべんきょうして、心がえらくなって、さざんかじゃなくなってきたような、花です。

もちろん、さざんかはみなきれいですけれど、とりわけ美しい、と感じるそんな花を見かけると、はっとしますね。見ほれてしまいます。

デジカメくんも、息を吹き返してきたようだ。

今年は、さざんかがことのほか見事です。どの木も、これでもかというほど、美しく咲いている。わたしは、さざんかに、多く、助けられています。

いろいろなことがあって、身も心も擦り減って、なくなってしまうのじゃないかってくらい、弱っているとき、目の覚めるように赤いさざんかに会うと、はっとして、生き返るような気がするのです。

ああ、助けてくれている。まるでさざんかは、弱りすぎている今のわたしのために、あんなにまで赤くあざやかに、咲いてくれているかのようだ。

このように、美しさは、大きなエネルギーなのです。生きる力を与えてくれる。ほんとうに、大切なものを与えてくれる。だから、美しいものが、美しくあることは、とても大切なこと。自分も、人も、大切にしなければいけない。

その大きなエネルギーを、いやなことに使ってはいけないんですよ。それをすれば、大変なことになる。美しいものが、いやなことをすれば、人はみな、一番大切なことを、信じなくなるからです。愛を、ばかにしてしまうからです。

美しさは、愛なのです。だから、きれいな人は、きれいではないことは、してはいけないのです。

この世界にあるものは、本来はみな美しいのです。みな、愛だからです。その本来の意味を、人々は誤解し、無意味の泥を塗って、侮辱し続けてきたのです。だから人々は、ずっと苦しかった。自分たちだけが、人類だけが、美しくないと思ってきたからです。

だが人類は美しい。自分自身であるもの、愛であるものはみな美しい。そして人類はこれから、自らの美しさがどういうものであるかを、学び、つくり続けていくことでしょう。

すべてはこれからです。



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ヒマラヤスギ

2008-01-08 10:33:40 | 箱庭写真集

小学校の前庭に立っている、ヒマラヤスギです。とてもきれいでしょう。前にも使ったことあるかな。ヒマラヤスギは、外来の植物で、まだ日本の風土になれておらず、たいていの木は、とても苦しそうな感じで写るんですが、この木は写すたびに、ほんとうに美しい顔を見せてくれます。

とてもすばらしい木です。

昔、苦しいことがあって、傷ついた跡がありありと残っている。それもひどい傷跡です。それを乗り越えて、すべてをよしとして、ここに生きることを決めてくれた。だからこそこんなに、美しくしていることに、耐えられるのでしょう。

木にも、いろいろあって、目で見ると本当に美しい木なのに、写真に撮ると、どうしても美しく写ってくれない木があります。自分は、きれいに写るのはいやだって言って、なんだかとても、もさっとした感じに写ってしまうんです。どうしてかなって思うのは、その木はまだ、りんと額をあげて、美しさをやるということを、学んでいる最中だからだと思います。

美しいということが、どんなことに耐えねばいけないかを、その木は知っているのです。だからこそ、まだ自分はそこまでにはいかないと思う木は、どうしても美しく写ってくれない。苦しい、という顔で、後ろに控える、という感じで写るのです。

人間には、時に、美しければ、何をしてもいいという感じで、やっている人がいますが、それは美しさということを、何も知らない人がやっていることです。美しいということは、あらゆるものを、美しさのために、捨てなければいけないということなのです。それができてこそ、真の美しさが備わる。美しさで、すべてを得ようとする人は、あまりにも、阿呆なのです。わかっていないのです。

美しいものは、美しいというだけで、あらゆるものを、与えねばならない。それができるものこそが、真に美しい。それがわかっている人は、必要なとき以外は、すすんで自分を美しく見せようとはしないものです。

美しさで、すべてを奪おうとするものは、すでに醜い。それをあらゆるもので飾り立てて隠して、なんとかしているだけです。それでも、内部の苦しさがもれ見えて、表面を美しくすればするほど、阿呆か、というものになる。

やめなさい。やめてください。

それは阿呆ですよ。

て、ほとんどの人は、本人に言えない。言ってもわからないか、怒られるだけだから。

考え付く限りの、上等なもの、きれいなもので、身いっぱいに飾っている人は、どんな美人でも、阿呆に見えますよ。男でも女でもそうですが、どちらかといえば、男性のほうが、阿呆に見えますよ。女性はまだ、きれいにすることが、常識の範囲で、許されますから。

きついですねえ。ほんまに、ひっどい目にあってますから…。



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かまきりっこ

2008-01-07 10:38:46 | 箱庭写真集

日付を見てみると、去年のわたしの誕生日の、翌日に撮った写真です。かわいいカマキリのこども。あんまりかわいいので、ものすごくたくさん撮ってしまいました。この頃のわたしの写真のファイルは、かまきりのこどもばかりって言っていいほどです。

去年の夏は、ほんとに虫ばかり撮っていましたね。ヤマトシジミや、アオスジアゲハ、ヒメアカタテハなど、ここらへんで普通に見られる虫ばかりでしたが、とても楽しかった。子供の頃に住んでた田舎では、ジャノメチョウなどもたくさんいたのに、ここらへんでは見かけませんね。ここ数年はひきこもりがちで、行動範囲も限られていたので、おんなじような虫ばかりでしたが、もう少し元気が出れば、少し遠出もしたいです。

小さな安いデジカメで、撮れる世界でも、かなり面白いでしょ。ほんとは高いカメラを使って、いろいろ使い方なども勉強すれば、とてもいい写真も撮れるんでしょうが、主婦にはそんな暇はほとんどありません。簡単な方法で、どれだけいいものができるのか、そんなことにチャレンジしています。なんにもしらない、なんにもない、て感じの状況で、どんなものが生み出せるものかしら。

なんてね。ほんとのこといえば、わたしは知っているのです。女の子は、カメラを勉強しちゃいけないの。勉強したら、男の子がいやがるから。女の子が勉強し始めたら、男の子は絶対、そんなのはてんでだめだよって、言って、無理にでもだめなものにしてしまうから。

だから、できるだけ勉強しないで、わたしはバカよってことにして、簡単なことしかできないよってことにして、かわいいって顔で、やってます。おとなしくしてるわよ? なんにもしてないわよ? ね、かわいいでしょ、ばかでしょ。てね。

女の子は、たいてい、それやってますわよ。かわいい顔で、なんにもわかんない♪てことにしながら、男の子が、ほとんど知らないところで、かなり、すごいことやってます。どんなことやってるのかって?

ひ・み・つ♪

ふふ。あ、おこらないでね。だって、ばかなんだもの。



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ノアザミ

2008-01-06 09:57:27 | 箱庭写真集

なんだか、バクハツしてしまいそうなノアザミです。去年の初夏、仕事先の近くの川原に咲いていました。図鑑の写真と比べると、幾分色が薄いように感じるのは、写真の具合かな。植物の鑑定は、難しいですね。もしか間違っていたら、教えてください。

風邪をひいてしまいました。鼻をすすりながら、これ書いてます。のどがつぶれて、ひどい声になってしまった。今年のお正月は、ほとんどひきこもり正月です。ふとんの上で、毎日編み物ばかりしてる。さんざんだな。テレビも見る気しないし。地べたを這いずり回るような状況で、見つかる小さな美しいものを魂に食べさせながら、飢餓状態を低栄養状態に保ちつつ、あらゆることに目をつぶりながら、今をしのいでいる。という感じですか。

テレビを見るのがいやなのは、テレビに出てくる人たちの、台本上言わなければならないことと、顔が言っていることが、まるで違うってことがわかるからです。いかにも苦しそうだ。おもしろいのは、俳優さんやアナウンサーさんよりも、お笑い芸人さんのほうが、苦しそうだってこと。たぶん、芸人さんのほうが、ジョークにまぎれて本音を表現しやすいからでしょう。苦しい形で、ほんとの自分を生きようとしている、そんな感じの人が多いからでしょう。

この世界では、まっすぐに真っ正直な自分を、本気でやろうとすれば、コントになってしまうからです。

先日、御飯を食べつつ、何気なくテレビをつけましたら、歴史番組をやってました。戦国の英雄をとりあげていましたが、言うまでもなく、信長礼讃という感じのことをやってました。パターンですね。

信長が受けるのは、それが男のわがままの最たるものだからだと思っています。天下をとるってくらいすごいことをやるんだから、何やったっていいんだよ、という感じの。これくらいすごいやつだから、バカだっていいんだよって、感じの。

確かに、かなりすごいことをやってくれていますが、しかし人は、信長の欠点というのを、どうしても見ようとしません。信長は、時代の常識を破るということをやった反面、あまりにむごいことをやっている。そこまで人間をバカにすれば、当然、こうなって当たり前という末路を、迎えている。人はそれを悲劇としてとらえて、正視しようとしない。それは悲劇ではなく、当然の結末だったのですが。

信長を真似する男の人はおおいですが、そんな風に、自分だけえらいんだという顔をして、周囲をばかにしていれば、当然、周りの人は苦しみます。信長はそれを見ようとしない。絶対に自分が一番いいでなければ、いやだからです。絶大な権力さえ持っていれば、それでもなんとかいけるんだと、なんとかしようとしますが、頂点を極める人はまれ。たとえ頂点を極めても、あっという間に落ちてしまう。そういう例はたくさんあります。人はそこをみようとしません。

「うつけ者」は「うつけ者」。だとわたしは思いますよ。盛者必衰の理は、「ノブナガ」でやろうとする人にあてはまるのです。平家もそうでしたしね。

ノブナガが好き。ノブナガがいい、という人は、がんばって、やってごらんなさい。大変なことになりますから。女の子に嫌われますよ。たいていね。

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中庸の徳たるや

2008-01-05 09:55:05 | てんこの論語

中庸の徳たるや、それ至れるか。民鮮きこと久し。(雍也)

(ちゅうようのとくたるや、それいたれるか。たみすくなきことひさし。)

何事にも、バランスのとれていることが、一番よいことなのだが、人々は長いことそれを忘れているようだ。


今日は、ちょっと気分を変えて、論語です。頭の調子が悪いので、さて書けるかどうか。苦しいときの論語だのみ。当たり前のことが書いてあるだけなのですが、それだけに難しい。人間は、人間を、難しくしすぎるんですね。

最近は、ちまたに、どうかしているのか、という人が増えているので、わたしも少々頭がいたいのです。(語調がきついのは、ひどい目にあっているからです。)

やりすぎ、やらなすぎ、かざりすぎ、ほっておきすぎ、とにかく、偏りがひどいのです。いいと思ったら、そればかりに行って、ほかが一切見えない。そればかりやりすぎて、結果的にそれがなくなったら何もなくなる。

最近の若い人の中には、アニメキャラのような格好をして外を歩いている人がたくさんいますが、それはそれは、見ている人は、心の中で「やめてくれ」と悲鳴をあげています。心の中が丸見えだからです。極端に走る人は、自分の中に大切なことが何もない、とその格好そのもので叫んでいるからです。自分は空っぽだと、身を極端に飾ることで、叫び続けているのです。

自分の中に、信じるものがある人は、粗末な服を着ていても、とても美しく感じます。行動が美しいからです。自己の核が、身の内で美しく光りだしてくる。背の高さや手足の長さや、太っているとかやせているとかに関係なく、自分自身を信じている人は、存在そのものの光が、たとえようもない美しさをその人に点すのです。

自己の核が確定している人は、自分自身の要があるので、極端に走ることはありません。自分を知っているので、できることだけを、必要なところでする。そのバランス感覚ができてくるのです。やるべきことを、やるべきところでする。負うべき責任は負う。その美しさが自分の誇りとなり、まっすぐ神の前に胸を張れる幸せが、人生を満たす。

これが中庸の徳というものなのです。

自分を信じている人、自分をわかっている人は、ルックスの如何にかかわらず、とても美しい。飾る必要は、ほとんどない。そのものだけで美しいから。それがわかっていない人だけが、あらゆるややこしいもので極端に飾り、ほんとうの自分とはまるで違う、おかしなものになっている。

要するに、極端に走る人は、自分を見失っているのです。自分を、バカだと思っているのです。だから、バカじゃないものに見せたがり、結果的にバカをさらすのです。

今日はちょっときついかな。でもこれくらいいいでしょう。えらい目にあいましたから。



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平たいですか?

2008-01-04 11:44:53 | 箱庭写真集

今のデジカメくんとであってよかったことは、小さな虫の写真がたくさん撮れるようになったことです。高いカメラなどは買えないので、これくらいのズームでも、世界が広がることが、ことのほかうれしい。

この小さなアブが、こんなにかわいいとわかったことは、ほんとにうれしいことでした。とてもきれいでしょう。

ホソヒラタアブというのだそうです。ところで、虫の名前には、ヒラタクワガタだとか、ヒラタアブとか、ヒラタがつくのがいっぱいあるのですが、わたしは、ヒラタさんという昆虫学に貢献した人にちなんだのかなとか思っていたのですが、ほんとは体が平たいから名づけられたのだとわかったのは、最近のことです。

デジカメくんは、相変わらず空ばかり撮っています。また空の特集のときに紹介しましょう。きれいな写真がたまってきました。

昨日は、黒いセーターの後ろ身頃が編みあがりました。でも、ここで毛糸が切れてしまったので、しばらくお休みです。近くの毛糸屋さんに、同じ毛糸が入るのが、まだ先なので。さて、時間があいてしまったので、何をしようかな。あまり毛糸もあらかた使ってしまったし。

長いこと、トンネルの中にいます。病人生活にもなれてしまった。ここをのりこえるために、いろいろやってきたことを、振り返ってみたりする。

今思えば、苦しさのあまり、あほなこともしてしまったな、というのもあります。あのときは、こうすればよかったな、って、反省点もたくさんある。すべて、一人の頭でやらなければならなかったので、暗中模索なんてものじゃない。とにかくむちゃくちゃにやりまくっていたと言う状態。あんまりだな。

反省点の山を見上げつつ、ため息をつく。わたしは自分と話をする。

満足と完璧は、永遠にない。とにかく、ずっと、やり続けていく。今まさに、ここにいるわたしを。欠点だらけの、永遠に未熟なわたしを。やりつづけていく。

ふふふ。

わたしは、ばかですか?



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ゴーヤー

2008-01-03 09:27:45 | 箱庭写真集

去年の夏に撮った、ゴーヤーの花です。デジカメくん、いい仕事をしてくれています。とってもきれい。

撮りためた写真を見返していると、その写真を撮っていた頃の自分が思い起こされます。そのときは、ただきれいだなと思っていた花の写真が、今見返してみると、すごく苦しい、と叫んでいるのがわかる。まいったな。そのときはただ、乗り越えることに夢中で、とにかくやれることはなんでもやっていた。苦しさに負けないために、すごく明るく笑っていた。

写真を撮ることを楽しむことで、なんとかしていた。そのほかのことは、できるだけわからないようにしていました。

このゴーヤーは、そんなわたしを、正確に見返してくれている。これはたまらない、と言っている。どんなにかつらいだろう、て言っている。今見ているわたしも、たまらなくなる。

涙を流していると、空に魂が吸われる、ということがよくあります。この世のことが、すっとどこかに退いて、なんにもなくなる一瞬がある。幸せがあふれてきて、ああ、みんななんでもないや、と思うことがある。見えない誰かが、助けてくれていると感じる。

ばかみたいだ。こんなこと。何もかも。

だけど生きよう。そのためにまた、何かをしていこう。

昨日は、あまり毛糸で、リストバンドを編んでみました。ゴム編みを編んで、すくいとじで輪にするだけです。なかなかに暖かい。手元が寒いときに重宝しますよ。朝一番に起きてきた息子にあげました。

楽しいことは、いくらでも生み出せる。それだから生きていける。

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冬の話

2008-01-02 12:51:46 | 珈琲の海

せっかくのお正月なので、なにかめでたい画像をと思ったのですが、思うように見つからず、今日のは、ツマグロヒョウモンです。これはオス。

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。よろしければ、今年もご愛読くださいませ。

昨日の詩は、朝ふとんの中で寝ながら考えました。いいなと思って書いてみたのですが、少し推敲が足らなかったと反省しています。でもま、いいか。絵は、絵を描くのがきつくなってきたころに、描いていたいくつかの小品の中から、使えそうなのを選びました。簡単なねずみの絵でも切ろうと思っていたのですが、ちょっと今は、絵を描くエネルギーが出てきません。

詩は、ぼちぼち書いています。苦しいときに書いたので、少々、読むのがきついなという作品になっています。ですから、ここで紹介するのは控えています。いつか、詩集でも出すときがきたら、そのときにまとめてみたいと思っています。

今は、編み物三昧の毎日です。黒い極太の毛糸で、メリヤス編みのシンプルなセーターを編みたくて、編んでます。メリヤス編みは簡単ですが、難しい。今まで、2度も目を落としてしまい、編みなおしました。これを編み終えたら、今度は一気に、難しいアラン模様に挑戦してみます。今まで編んだことがないような、込み入った模様なので、さて、できるかどうか。

バカみたいなことを楽しんで、なんとかしのいでいます。

この冬は編み物ばかりの冬になりそうです。デジカメもこわれちゃったし。

冬はやっぱり寂しいですね。落葉樹はあらかた葉を落としてしまいましたし、咲いているのは、赤い山茶花ばかり。美しいけれど、そればかりは寂しいな。山茶花は損な花ですね。あきれるほどきれいなのに、咲けば咲くほど、寂しくなる。やっぱり、こればっかりなのが、辛いのかな。花は、ほかにたくさんの花が咲いているからこそ、自分も美しいんですね。

それでも、あえて冬に咲いてくれる花もなければ、この季節はあきれるほど苦しくなってしまうでしょう。損な役回りも、してくれる花がなければ、苦しくなりすぎてしまう。ほかにだれもできないんなら、わたしがやりましょ。そういうひと、いますね。ばかだね、て自分で思っても、やってしまう。

冬に咲く花は、わたしがやりましょ。そんな花が、華やか過ぎる赤をまとっている。それはかなり、自分としては無理しているような感じ。本当はもっと、おとなしい感じがすきなのかもしれない。その証拠に。いつも、ほんとはいやなのって、心の奥でつぶやいている。でも、あきれるほど赤くなければ、冬が悲しすぎるから。

そんな人、いますね。

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