読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

水戸街道を歩く(その6)

2009年10月13日 | 里歩き

水戸街道 藤代宿から牛久宿へ
  
  今年になって、新年早々北柏から藤代まで17キロほど歩いた5回目の水戸街道歩き。その後三女の
 出産、妻の思わぬ難病罹患、お宮参り、町会総会準備等々いろんなことが重なって、街道歩きどころ
 ではなかった。
 
  このところ妻の病状も、「疲れないように、風邪を引かないように、紫外線に当たらないように気をつ
 けなさい」という医師の指示通りにしていたら幾分安定してきたので、体力維持のためにも歩こうと、
 先日「水戸街道歩き」に復帰した。ただし今回は試運転ということもあって藤代から牛久までの凡そ10
 キロ。
  昔は25から30キロは当たり前だったのにお遊びの距離だが、家に帰り着いた相棒は「疲れた」とソ
 ファにつぶれていた。
 「疲れないように」という医師の指示に違反してしまった・・・。

  10月12日(月)祝日(体育の日)藤代駅を9時に出発。「今日は曇り」という予報を信じて、紫外線を余
 り気にしないで良いと喜んでいたら結構良い天気で参った。

  藤代駅から1.2キロほどで小貝川に架かる「文巻橋」を渡る。手前に「ステーキ&イタリアン MY HOUSE」と
 いう、時間があったら入ってみたい、ちょっと小洒落たレストランがあった。

      

  さらに進むと牛久沼から流れ出し小貝川と合する川を渡り、道は主要地方道と合流する。
  ここで国道6号と分かれて、主要地方道5号で東に向かう。馴柴小学校信号で左折する。判読が難
 しいが道標があって、旧水戸街道を指し示している。

  佐貫と水海道を結ぶ関東鉄道を横断する。小規模の、単線の地方鉄道を見ると心和む。

    

  やがて佐貫駅東信号で幹線道路を離れ、旧街道らしい田舎道に入る。
  八坂神社の際にある茶の木に花が咲いていた。東海道を歩いたときの「金谷宿」のきつい坂道と茶
 の花を思い出した。

  この辺りが「若柴宿」のはずであるが、もはや宿場の雰囲気はない。わずかに「金龍寺」の前にある
 蕎麦屋で若柴宿の痕跡を見つけた。

      

  これから牛久宿までの4キロ余りは畑。しかも落花生畑で、ここいらが落花生の産地と知らなかった。
 たまに取り入れ前の青々とした畑もあるが大部分は掘り起こして逆さまにして干してある。我輩の田
 舎では落花生とかピーナツとか洒落た言い方は知らなかったのか「地もぐり豆」と言った。枝葉の節毎
 に根がついて、それが地面に潜り込んで豆を結ぶ。まさに「地もぐり豆」である。
  (右下写真のピーナツは道端に転がっていたものです。取ったものではありません。念のため)

         
  
       

   珍しくガマズミが赤く色づいているのを見つけた。
   またカラスウリが早くも色づいていた。
   水戸街道では珍しく「一里塚跡」碑(成井一里塚)があった。

       

   道は踏み切りでJR 常磐線を渡る。
   国道6号を横断し、旧街道に入る。祝日(体育の日)なのに、車がたまにしか通らない。旧街道の
  宿場は、押しなべて時間が止まったような異様な感じを受ける。まだ東京郊外圏ともいえる牛久に
  してこの有様である。

   やがて立派な構えの門が見えてきた。、これが牛久宿元本陣か「明治天皇牛久行在所」碑が立っ
  ている。
   牛久駅に近い街角には立派な「瑞雲山正源寺」があった。

          

   昔の牛久駅からは想像も出来ない立派なダブルデッキの牛久駅。
   本日の街道歩きはここまで。歩行距離は凡そ10キロ。
   これから東口から徒歩10分にある「シャトーカミヤ」へ向かう。

     

   (以上この項終わり)

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古希を迎へて

2009年10月13日 | その他

70回目の誕生日

  10月8日に70回目の誕生日を迎えた。
     今回は18号台風の来襲で、散々だった。おかげで予定されたパソコン講習
 会は中止、月末に延期なってしまった。

  ウサギ年生まれで、5周りが還暦、6周り目は72歳だから70と言っても単に
 切りがいいだけ。昔は70歳というと結構年寄りだったから「古希」などと祝った
 ようだが、今は昔だ。
 
  妻がケーキ屋さんでデコレーションケーキを注文した。
 「メッセージボードには『祝古希』と入れてください」
 「コキって平仮名でいいですか」
 「・・・」(紙に「古希」と書いて渡す)

  さて、予約票を書いていた店員さん、
 「お名前は「古希」さんでよろしかったですね」
 「・・・」 
  唖然 呆然 !! 彼女、全然分かっていなかった。
  30代の女性店員だったというが、どうせご両親ともまだ還暦などにも遠いお歳
 なんでしょうよ。
  還暦と古希はかなり浸透していると思うがこの調子である。すでに70歳が古来
 稀れという気分ではないのだから、死語化しても不思議ではないか。

  長女は遠く広島に転勤、次女は先方の両親のご招待でハワイに旅行中、それ
 でも三女の家に招かれて、5人だけのお誕生祝いをしてもらった。
  そして3人の娘たちの家族からのプレゼント(中身は内緒)を貰った。

  来月には所属のボランティアグループのひとつで記念旅行をやってくれる。


     

     (この項終わり)

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