◇ 『世界で最も危険な男』(原題:TOO MUCH and NEVER ENOUGH)
著者: MARY L. TRUMP PH.D.
訳者: 草野 香、菊池 由美 他 2020.9 小学館 刊
第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ氏の暴露本である。
トランプ氏の姪メアリーが一族の暗部を明るみに出し、現職の大統領を米国
を破滅に導く人物と告発した。当然全米で大ベストセラーである。
これまでにもトランプ政権の元閣僚やジャーナリストの何人かが暴露本を
出版し話題を呼んでいる。この本は単なる暴露本・告発本とは異なり、トラ
ンプ一族の一員として、直接の見聞で内情を明かしているという強みと、著
者本人がダーナー高等心理学研究所で臨床心理学を学び博士号を取得してい
て、専門家の視野でドナルド・トランプ氏を分析している点で異色である。
とりわけ重要なことは大統領2期目を問う選挙戦のさ中にあって、現職大統
領を、超大国の棟梁としての致命的欠陥を告発するという際物本であるとい
うこと。
著者は出版の動機と意義について本書39ページでこう述べている。
(前略)「これ以上沈黙していてはならない。この本が出版される頃には、
(新型コロナウィルスへの対応の誤りで)十万人単位のアメリカ人の生命がド
ナルドの不遜で頑迷な無知の祭壇にささげられた犠牲となっていることだろう。
彼が第二期目も大統領に就任するようなことがあれば、アメリカの民主主義
は終わりだ。」(中略)
「私はこの本によってドナルドの「戦略」だの「」課題」だのという議論に
終止符を打つことを望んでいる。そうした言葉は、あたかも彼が秩序ある理念
や心情をもってものを考えているかのように思わせるが、彼にそんなものはな
いからだ。ドナルドのエゴは昔も今も脆弱で現実世界から彼を守る障壁として
は不十分だが、父親の遺した財力と権力のおかげで、これまで彼は努力するこ
となく生きてこられた。私の祖父がつくりだした強くて、頭がよくて、特別な
人間という虚構をドナルドは常に必要とし、それを維持することに腐心してき
た。自分がその三つの資質のどれも備えていないという真実に直面することは、
あまりに恐ろしすぎて彼には想像すらできないのだ。
声を上げず行動も起こさなかったきょうだいたちを共犯者として、ドナルド
は祖父の指導に従い私の父を破滅させた。私は、彼がこの国を破滅へと導くの
を許すことはできない。」
<トランプ一族の系譜>
曾祖父:フレッド(フレデリック) 曽祖母:エリザベス
祖父:フレッド 祖母:メアリー・アン
長女:マリアン 長男:フレディ(フレデリック・クライスト・ジュニア)
次女:エリザベス 次男:ドナルド 三男:ロバート
(著者は長男フレディの娘)
ドナルドらの祖父はドイツの生まれで当初カナダに更に第1次世界大戦の
ちに米国(ニューヨーク)に渡った。スペイン風邪で急死すると12歳のフレ
ッドが家長になって家を支えた。早くから建築業に強い関心を持ち、母のエ
リザベスと会社を興し、連邦住宅局の潤沢な資金を使いながら大規模な宅地
開発を進め、州と連邦から多額な税優遇措置を受け財を成した。
フレッドは社会病質者で、共感力を持たず、平気で嘘をつく、善悪の区別
に無関心、他者の人権を意に介しない男だった。
長男のフレイディは当初は父親の事業承継者と目され、常に父親からプレッ
シャーを受け続けた。父親はうまくやっても誉めることはせず、うまくできな
いときは容赦なく貶し侮蔑した。次男のドナルドは兄が父親から受ける仕打ち
のプロセスから父親の評価基準を学び、巧みに行動し後継者の地位を奪った。
フレディは過剰な干渉と過剰な期待とによって壊されていった。大学在学中
に航空に興味を持ち訓練を重ね操縦士の資格を取った。トランプ帝国での仕事
は自分に向かないと悟り会社を飛び出し、トランスワールド航空の操縦士に採
用された。しかし1年足らずで深刻な飲酒癖を理由に自主退職を要求された。
父フレッドはフレディがトランプ・マネジメント社を一時的にせよ辞めたこ
とにショックを受け、この裏切りを終生許さなかった。
ドナルドは1950年に暴力を伴う不品行でNYMA(ニューヨーク・ミリタリー
・アカデミー)に送られ5年間寄宿制の軍隊式教育で過ごした。
ドナルドは父に認めてもらうために有力な大学で経営学を身に着けようと、友
人に金を払ってペンシルベニア大学を替え玉受験をする。
フレッドは大学を出た24歳のドナルドをトランプ・マネジメント社の社長に
した。彼はドナルドを裕福にするためには何でもやった。
1970年代。その後何度も破産ののちテレビプロデューサーのマーク・バーネ
ットにテレビのリアリティ番組のホスト役に据えられ、「精力的なやり手実業
家」というイメージが作り上げられた。虚偽と誤伝のでっち上げのイメージが
共和党の大統領候補選出につながっている。
フレディはタバコと飲酒が因で離婚し、1981年42歳で亡くなった。
1991年フレッドは認知症になり、1999年6月フレッドは亡くなった。
遺産は3億ドルと新聞に書かれたが、実はその4倍であることが後でわかった。
長男のフレディは亡くなっているが、その子にも本来権利がある筈の相続権が
奪われていた。著者メアリーと兄のフリッツは訴訟を起こすことにする。
遺産の分け前だけでなくトランプ・マネジメント社の医療保険が解約され使え
なくなっていた。祖母はこうした事実を知っていて何もしてくれなかった。
2018年10月2日、トランプの点滴ニューヨークタイムズ紙はトランプ一族の詐
欺や犯罪の可能性のある事実を暴露した記事を発表した。
<ドナルドの病理>
説明不能の言動が多すぎるため、心理学と神経心理学の両面からの十分な検
査を行うことなしには正確で包括的な診断はむつかしいとするものの、自己陶
酔症(ナルシシスト)社会病質者(ソシオパス)であることは明らかで、依存
性人格障害の諸項目にも該当するとする。
彼の病理の依ってきたる所以は幼児期における両親の育児放棄にあるとみる。
夫は外で働き妻は家で料理と掃除洗濯をするのが役割分担の基本という旧弊の
考えに従い、父は単に厳格であり、母は慈しむこともなく子供らを放任した。
息子たちは父親の、娘たちは母親の手の内にいた。父親は長男しか眼中になく
(のちに次男のドアナルドに代わる)本来家庭でしつける最低限の社会性ルー
ルも教えようとしなかった。男らは規則違反や逸脱行為があっても、父親が求
める「無敵の男(キラー)」に合致すれば許された。著者はドナルドの傲慢で
自己愛が強く、攻撃的で頑固、残酷で弱い者いじめの性格は、幼児期の父親か
ら受け継いだ強い承認欲求の表れであるとする。
<大統領選挙への影響は>
この本の出版によってトランプ大の選挙に大きな影響が出るだろうか。多分
それはないだろうというのが読後の私の感触である。
共和党のトランプ支持者の大部分は民主党支持者のメアリーが書いたものだ
からトランプを貶めるためであり、この中身はフェイクだと断じるだろう。そ
して民主党支持者は「やっぱりね、だと思ったよ」と確信するだけに終わるの
だ。
だが、もしこれからもトランプが大統領として君臨するとして、これから新
たにトランプ大統領と接していく人(日本の首相初め)は本書から彼の本質を
汲み取り、事を誤らないようにしなければならない。
(以上この項終わり)