読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

奥州道中を歩く(その3)

2007年12月24日 | 里歩き
芦野宿に向けて
 前回は大田原宿・練貫十字路まで歩いて、東北新幹線那須塩原駅から
 帰った。今日は9:45に到着、駅からタクシーで練貫に向かった。
 12月で予定が空いているのは18日(火)と19日(水)だけ。天候さえ悪く
 なければ何とか今年中に奥州道中を完踏したいと思っていた。そうすれ
 ば五街道完踏達成だ。

 「今朝は、私の感じでは今年一番の寒さだ」とタクシーの運転手は言った。
 しかし降り立ってみれば、思ったほど寒くもなく、風もなく歩くにはもって
 こいの陽気である。そうなると足取りも軽い。
 500mほど先に十九夜塔や宝暦6年(1756)建立という道標がある。「右
 奥州海道左原方那須湯道」とある。
 2キロほど行くと左手に「樋沢神社」がある。鳥居はちゃちであるが、陸奥
 平定にむかう八幡太郎義家が丘上にあるこの八幡神社(樋沢神社)を見
 つけ、戦勝祈願をと一気に駒を駆け上がらせた。その勢いでついた蹄跡
 だという大石がある「義家愛馬蹄跡石」という。なるほどよく見ればそれら
 しい窪みがあるが、馬の蹄で石が抉れるとは。「ほんまかいな」と思ってし
 まう。傍らにはつづらに似ているという「葛籠石」がある。
 更に進むと切り通し道の崖上に「鍋掛神社」があり、急な石段を登ると、右
 側に小さなこんもりした盛り土がある。「鍋掛一里塚跡」である。元は50m
 ほど東にあったものを道路開設時にここに移転させたという。
 
        
       十九夜塔           道標             蹄跡石

          
        葛籠石           鍋掛神社       鍋掛一里塚跡       


 [鍋掛宿]・[越堀宿]
 この先で十字路脇に子育て「清川地蔵」がある。
 整備された県道脇の家は今様の造りで、既に宿場らしさをほとんど失って
 いる。ただガードレールの代わりに丸い自然石を使っており、風景に柔らかさ
 が生まれている。このユニークさには感心した。
 左手に「加茂神社」があり、境内には芭蕉の句碑「野を横に馬牽きむけよ
 ほととぎす」がある。またその隣にある「正観寺」にある枝垂桜は樹齢250
 年という古木で見事である。

         
     丸石ガードレール      芭蕉句碑       枝垂桜        那珂川      
 
 「那珂川」に架かる「昭明橋」を渡る。
 今でこそ那珂川は穏やかで、翡翠のような緩やかな流れが蛇行し、釣り人
 が立つ川面には崖上の緑を映すなど、橋上からみてもなかなかの風景で
 ある。Web上のある人は「幽玄の美」と表現しているくらいだが、かつては
 荒れ川で、川留めになると宿場の収容限度を越えるために、近隣村から
 鍋釜持ち寄って炊き出しを行ったという。宿場名を鍋掛とした所以である。
 川を渡ればそこは「越堀宿」。
 仙台藩伊達候が参勤の折、那珂川の川留めに遭い、小屋を建てて待機し
 たのが契機になって宿場となった。従って開宿は正保3年(1646)と遅い。
 橋の先で右に曲手に曲がる。右手は「白河の関」に向かう関道。
 川渡し場にあったという「黒羽藩領界石」はいま「浄泉寺」にあり、傍らには
 「明治天皇駐輦碑」、「御膳水碑」がある。

 やがて三叉路があって、左が「那須湯海道」である。その手前民家庭先に
 立派な石碑がある。「征馬之碑」、「殉没軍馬之碑」があった。昭和13年と
 ある。この地の人々に限らず、かつては牛馬は農耕、運搬の重要な担い
 手であり、その貴重なること命の次位であった。戦雲急となり次々と徴用
 されていく愛馬との別れを惜しむ気持ちは察するに余りある。これまでも
 これからも馬・牛への愛着を偲ばせる石像や記念碑などに出会うことに
 なる。西洋にこれほど人馬一体感を示すものはあるだろうかと思う。

          
        黒羽藩領界石      征馬之碑

 さて閑話休題。
 三叉路から二十三坂七曲といわれる道を上り下りして富士見峠に向かう。
 途中昼時なったので、やや高台の田圃の畦道に腰を下ろし持参のおにぎ
 りを食べた。
 ところが空が俄かに暗くなり、怪しげな雲行きとなってきた。天気予報では
 こんなふうには言っていなかったのに。
 雨がぽつぽつ落ち始めた中で富士見峠を越えた。昔は富士山も見えたの
 かもしれないが、今は木々も高く茂り眺望は望むべくもない。
 やがて道は間(あい)の宿「寺子」に至る。交差点脇に「寺子一里塚跡」が
 ある。ここも道路開設に伴う移設組である。
 「余笹川」を渡る。平成10年余笹川は氾濫し死者・行方不明6名など甚大
 な被害をもたらした。電柱に胸丈ほどの水位であったと印がある。
 これから黒川まで3キロほどアップダウンする山道を進む。

       
    寺子の一里塚跡     余笹川の「はしか地蔵」     馬頭観音

 寺子橋を渡り、石田坂を上っていく。「べこ石」という一群の碑がある。
 那須野が原は原は畜産が盛んで、街道を歩いているといたるところに
 畜舎があって牛、豚、鳥などの糞尿の臭いがする。思えば中山道の岐
 阜山中にも畜舎があって閉口したことがったが、ここでは大々的でほと
 んど切れ目がない。ここで生活している人たちは慣れっこになっている
 のだろうか。
 黒川橋を渡る。黒川も氾濫した。橋桁に当時の最高水位線が記してあ
 る。橋全体の全面冠水寸前であったことが分かる。


 山裾を迂回する形で小さな集落に出ると、田圃の先に小さな
 鳥居が見えてくる。大小二つの石があり、その前に石の鳥居がある。
 「夫婦石神社」である。その昔人に追われた夫婦がここにある石の隙間
 身を隠して難を免れたという言い伝えがある。
 やがて右手に「夫婦石の一里塚跡」が現れる。
 赤い屋根の家があったら左に入る。大きな馬頭観音がありその先で左
 に曲がった。ここで街道を外れ本日の宿「芦野温泉ホテル」に向かう。
 NETで調べて、この街道にはここしか宿泊できるところがないということ
 を知った。福島県境にある「芦ノ牧温泉」は聞いたことがあったが初めて
 の温泉で興味があった。

       
    石田坂の「べこ石」     スズキホルスタイン牧場       黒川橋

        
       夫婦石神社      夫婦石一里塚跡       馬頭観音

 坂道を500mほど辿るとホテルが現れた。うりものの50面テニスコートだけでな
 くペンション、売り物市場などもある。
 到着は午後2時。14.5キロを4時間で歩いたことになるが、山道とはいえ
 この街道はつらいことはなかった。
 ありふれたアルカリ単純泉なるもPH9.8という珍しい温泉。掛流しで、肌が
 超つるつるになる気持ちのいい温泉です。部屋もゆったりしているし、薬
 湯などもあって、ゆっくり湯に浸かって湯上りのビール(中で580円!)を飲
 み、夜は妙に気取らない和食で熱燗など(1本だけ)も飲んで爆睡した。

    
     芦野温泉ホテル
   
 
 
 
 
  

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