くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

葵祭(後半)

2017年05月16日 23時52分51秒 | ソウダKyotoへ

午前中の前半が御所を10時半に出発して11時40分に下賀茂神社着。
午後の後半は下賀茂神社を14時20分に出て15時半に上賀茂神社着の予定でした。

前半だけ見て帰るつもりでしたが、やっぱりなんかもったいない気がして鴨川べりを北上。
賀茂大橋(今出川通り)の北側では飛び石を渡る人も多いこと。

途中の張り出しているところは府立鴨川公園の鴨川デルタでそのまま北へ行くと下賀茂神社にもつながります。 足元がおぼつかない私たちはそのまま川沿いを上り葵橋を渡りました。
葵橋からは上賀茂神社方面が一望できました。

橋を渡って信号を一つ行けば

糺(ただす)の森で下賀茂神社の境内となります。(ただしすぐにあるのは河合神社)
手前の鳥居越しに参道を覗き見たら凄い列になっているのが見て取れました。

一番奥の拝殿まで行くには日が暮れそうです。
側道を上がって行っても竹藪の向こうは長蛇の列でした。

直接は表参道には柵やロープで入れませんがカメラを望遠にすればなんとか様子が見て取れました。

馬の列が一通り過ぎると南口鳥居まではスッと行けましたのでそこで参拝。

笠や控えの人(門前のピンクの衣装)達はそこで待機していました。

待ち時間がたっぷりあったので猿屋で名物の猿餅(ほうじ茶付)を頂きました。

お守りも、まあー可愛い綺麗な物を売っていました。

妻が孫のために葵祭限定の、1年のうちでこの日この場所でしか授かれないという葵守を買いました。

さてさてここからは行列の写真の羅列として、サボらせていただきます。

取材の減りも。   朝日新聞のマークかな?

ちなみに今回の斎王代はこんな人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


葵祭(前半)

2017年05月15日 23時31分39秒 | ソウダKyotoへ

2週間ほど前から今年こそは行ってみたいと思って密かに企てていた葵祭

初孫の名前が何故か去年・一昨年に出生した女児の名前No.1のあおい。 
文字は葵・蒼・藍などあるようですが読みはみんな「あおい」チャン。
幼稚園にでも行けばクラスに3人ぐらいは居そうな感じです。

そんなことも脳裏にあって、去年ダメにしたフタバアオイが手に入ればリベンジと
言う気持ちもあってのことでした。

久しぶりに近鉄電車から「おけいはん」(京阪電車)に乗り継いで神宮丸太町まで。
御所を出発するのを見るなんて他人の頭や背中を見るのに等しいだろうし、初めてで
様子が分からないので、巡行コースの河原町丸太町交差点辺りでと見越してのこと。

北行き2車線を通行止めにして南行を1車線ずつに交互通行にして、巡行が通るまでは
路線バスぐらいしか通さなかったので、人混みを避けて反対側の歩道にも幼稚園か保育
園の園児が陣取ったりしていました。

 

先頭というか先導というか、京都府警の平安騎馬隊の2頭の馬が歩き出します。

馬の列がどんどん続きました。
写真はいっぱい撮ってありますけれど、罰当たりだとは思いますがオジサンやオジン
ばかりで、それも無愛想なので私の記録だけにとどめておきます。

そんな中でも可愛らしい子供の姿も。

飾られた傘も綺麗でした。

牛車の音も歴史を感じます。

いやぁ~美しい 着物です。  

気温は25℃くらいでしたが風があったので暑いというまでの感覚はありませんでした。

いよいよ斎王代

長い葵祭の歴史の中で、16世紀はじめの室町期と、19 世紀中ごろの幕末、太平洋
戦争末期の1944(昭和19)年に祭が途切れたことがあるそうです。

周りの観客も言っていましたし噂にも聞いていますが、この斎王代はよほどの資産家
のお嬢さんでないと務まらないのだそうですね。
なんでもいろんな費用が自腹で3千万円ほど必要なのだとかと聞き及びます。

 

一通りの行列が通過するのに一時間少々かかったように思います。
「時代祭はもっと」とか物知り顔のオジサンがおっしゃってました。

 

 


アンナ・ジャービス

2017年05月14日 23時12分45秒 | ひとりごと

その人の生い立ちは全く知りません。
アメリカの南北戦争中に「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味
方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたひとりの女性
アン・ジャービス(Ann Jarvis) さんという方が居たそうで、ジャービスの死後2年
経った
1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が
日曜学校の教師をしていた
教会で記念会をもち、母の好きだった白いカーネーション
贈った。 

翌年からその教会で生徒達(470人)やその母親が集まって集まり最初の「母の日」
を祝ったことから、これが日本やアメリカでの母の日の起源とされるそうですね。

長男一家から届きました。
二男は『職場の母 』達から「何もないの?」と催促されて気付いたとが。
まあそれぞれに元気でいてくれているのが一番です。

 

陶芸の日でした。

素焼きが出来上がっていました。

菓子などを入れるポットにしようと思っています。

コチラは紅茶のポットでたっぷり4~5杯分は入ると思います。
2週間後の次回までに何か絵付けをしたいと考えているのですが、適当な図案が
浮かんではいません。
どうなることやら。。。 

 


スタンプラリー

2017年05月13日 23時59分19秒 | ひといき入れましょ

昨夜からの雨は午後まで続き15時頃から霧のようになり、17時頃にはようやく
やみました。  久々に長かったですね。

さて、タイトルのスタンプラリー。
その昔、お寺参りゆ宗教など興味がなく、ただ四季の景色や庭園を観光気分で
周ることだけが好きだった若い女性が「スタンプラリーみたいだね」と言った
御朱印帳のことです。

4月に京都府立京都文化博物館の【戦国時代展】に行ったとき、『ろうじてんぽ』の
紙の小さな博物館「楽紙舘」で無地の集印帳を買っていました。

西国三十三カ所の集印帳はかなり以前に第一番・那智山 青岸渡寺に行った記念に
納経帳を買い求め、一番の御朱印を頂きました。

このところの門戸厄神(東光寺)さんで右の御朱印帳の1ページに朱印を頂きました。

門戸厄神さんには、大きく分けて西国薬師の御朱印と厄神明王の御朱印があり、
どちらにするか尋ねられて 厄神明王の方を頂きました。

複数の朱印の印影を集めることを集印(しゅういん)といい、朱印を押印し集印する
ための専用の帳面を
朱印帳(しゅいんちょう)、御朱印帳(ごしゅいんちょう)
納経帳(のうきょうちょう)、集印帳(しゅういんちょう)と呼び、すべて同じ物の
呼び名です。

スタンプラリーと違うのは自分で押したり誰でも良いわけではなくて、寺社の職員や僧侶神職氏子などが押印し寺社名や参拝日などが書かれるものです・。

ちなみに先日の奈良県葛城市の三寺もいただいていました。 

左が石光寺で、右が當麻寺の奥之院です。
元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったとする説が諸説の中では一番正しそ
うで本来の意味はこれだと思います。

最近ではそのお寺に参詣したという記念の証拠みたいにする場合が多く、お寺の
方も「納経帳」などと堅いことは言わないで授けてくださいます。

 

これが昨日までの三日間かけた日記の善峰寺。
この西国三十三カ所や四国八十八カ所は巡礼の為の御朱印と一般の朱印帳とは
朱印も文字も別のことが多く、種類も3~6ぐらいあって、ご本尊とか秘仏で
あったりと集める楽しみのようなものもあります。

他に巻物の掛け軸様式になっているものや、お遍路の白衣にお願いする方も居ます。

葬儀の際に自分が集めたものを棺に入れてもらって、旅立ちの明かりとされる場合
もあって、亡父もその一人でした。

西国も四国も何回も周って納経帳も自分の旅立ち分と息子(僕)・娘(妹)と
その家族に各一冊、掛け軸もちゃんと表装を施したものが5本は残して逝きました。

 

こちらが亀岡の穴太寺です。

西国三十三カ所は皇族の花山法皇由来のお寺で、四国八十八カ所は弘法大師由来の
観音霊場で、種類・意図が違っています。

各お寺での御朱印はだいたいが300円で授けていただけます。


それだけのところもありますが、他に65mmぐらいの散華(下の3枚)や
梵字本尊のお札を西国三十三カ所ではいただけて、花の寺などは絵葉書を1枚
付けてくださることもあります。 

四国八十八カ所はお札を授けてくださいますが、巡礼の回数によって一色刷りや
銅の札(10回以上?だったっけ)、銀の札 (50回以上?)、金の札(100回以上?)なんて気の遠くなるものもあります。

はい、亡父は金の札を棺に入れました。

法華宗、日蓮宗のお寺でも朱印はありますが、他の宗派の御朱印がある御朱印帳を
差し出すと、省略した感じだったり拒否されるお寺もあります。

また、浄土真宗の特に大谷派(東本願寺)りお寺ではそもそも拝観者に対しての
御朱印という考え方がありません。
根本はその1回限りで教えを悟ったようなものではないという考え方なのです。

そんな四角四面のことを言わずにいつ参ったかの記録として朱印という形での
奉納の仕方もあるのではないかと思います。 


近頃は花の寺、薬師の寺、七福神めぐりなどと様々な形での朱印が増えて、1時期は
ブームになったこともありました。
どんな形でも良いことではないかと思います。 

 


 



ラストスパート善峰寺

2017年05月12日 23時59分15秒 | ちょっとお出かけ

7日に発症した座骨神経痛に伴う左足の痛みもほぼ収まり、杖なしで歩いて仕事にも支障なく
暮らせる生活が戻ってきました。
まだ多少不安が残るのでコルセットと湿布は明日までは続けますが、ご心配いただいた方には
感謝です。

その最終的な要因になったと思われる4日に行った善峰寺の最終レポートです。
そんなに真剣に見ていただいているとは思いませんが、私の記録ですので良かったらご覧ください。

昨日は15番の稲荷社の前を通過したところまで。 
そのまま進む途中には

                 

牡丹は盛り、ツツジはこれからという景色が広がって
振り返ったらの観音堂の屋根とその左側の御手洗がはるか下の方に見えました。

階段を登り切ったら薬師堂です。

桂昌院出生の由緒により出世薬師如来と云われています。 

 ここからの眺めは

もう建物が何が何だか分からなくなった来ています。
ここが一番高いところに在る施設かと思っていました。

        

階段を戻って進むと江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母の桂昌院を
記念して昭和62年、花山法皇西国札所中興一千年を記念して建立された『けいしょう殿』が
あり、桜の花が満開の時は背景が美しかっただろうと推測できる名残がありました。

 

一旦下るように見せかけて景色に目を奪われて気が付いたらまだ坂が上に登っていて

一番上の施設、青蓮院親王御陵(宮内庁管轄)と功績ある祖師の御墓(17番)がありました。

やっとここから下りとなります。

黄色いツツジを横目に周遊路の最後、18番の阿弥陀堂です。

常行三昧(阿弥陀仏を讃えて極楽往生を願う勤行)道場にて常行堂ともいうそうです。
さあ、もう足が心もとないですがとにかく降りて行きます。

         

拝観案内にはない本坊です。

オオデマリも元気いっぱいに咲いていました。
行き(登り)の時に多宝塔の裏になっていて経堂も拝ませていただいて

         

観音堂前の待合所まで戻って

一休み&トイレタイムを済ませて山門を後にしました。
三十三カ所分のご本尊が一堂に在りました。 

これでも拝観料はすべて合わせて500円のお値打ち寺院でした。

はぁ~~~ お疲れ様でした。

 

 


拝観の続きです。

2017年05月11日 23時45分38秒 | ちょっとお出かけ

昨夜の激しい風雨とは真逆の快晴の朝となって、寒さも思ったほどでなかったようでした。

また熊本で地震がありましたね。 M4.3だとか。 余震としたら長いですね。
来月、長崎に行く予定があるので少々不安です。
現地の方々も進まない復興の上に追い打ちで滅入っているでしょうね。
更迭された前大臣りようなヤカラが居るから、なおさら復興も進みませんよね。

 

さて昨日の続きの  西国 三十三所第二十番善峰観音宗 西山 善峯寺 ネタで日記を誤魔化します。
いろいろ書いても位置間隔が分からないとつまらないでしょうから境内図を拝借。

昨日の時点での多宝塔からの経堂のところまで歩いていました。 
この図があると楽ちんだ 

開山堂です。開山源算上人のご廟所で、上人117歳の尊像が祠られています。

白山・櫻 紫陽花苑
白山明神が出現された奇瑞の地で春はしだれ桜、夏は紫陽花が一帯を彩るそうです。
ちょうどその真ん中の時期に伺ったことになりますね。 

向こうの建物は幸福地蔵でした。

この裏はずぅーっと広い庭園になっていて間もなくすると紫陽花が咲き乱れるのだと想像
出来ました。 

次いで十三仏堂・弁財天堂・毘沙門堂・護法堂の四社が立ち並ぶ 鎮守社です。

全て全て元禄5年(1692)建立だそうです。
近くにはやはり花が

牡丹ですね。
そして五体安穏や腰痛神経痛など「当病悉除」“霊験あらたかなお釈迦さま”として評判の
釈迦堂です。 

本尊釈迦如来は源算上人御作と伝わり、明治18年(1885)建立です。

ちゃんと御前まで伺ってお参りしたのですけどね。
ここからはもっと急な上り坂になりました。

そして稲荷社

正一位稲荷大明神をお祀りしてありました。

長くなったので今日はここまで。
またもう一夜、お付き合い願います。

 

 


善峰寺

2017年05月10日 23時59分26秒 | ちょっとお出かけ

昨日の予報では雨のようなことを言っていましたが、明るく晴れ渡った朝になりました。
気温も26℃まで昇りました。
知人に奈良県立リハビリセンター病院への受診を勧められて昨日行ってみたら、整形外科は
火曜日が休診日でくじ引きにはハズレるくせに、こういうことはドンピシャな自分に苦笑い。
それで今日、行きなおして受診することが出来ました。

やはり腰(脊椎)が引き金になっていてコルセットと湿布を処方してもらい、鎮痛消炎剤は
腎臓のことを考えて飲まないことにしました。
もっと時間がかかるかと予想はしていましたがメインがリハビリ専門施設なので、市立や
他の県立の総合病院ほどの混雑もなくお昼には全て終わりました。
座骨神経痛や踵に土踏まずの疾患とは酷くならないように気長にお付き合いすることと、医師
とも相談させてもらいました。
妻も一緒に診てもらいまして、とても親切な優しい病院だったと納得して帰ってきました。 

 

さてさて、この痛みの一番の要因となったのがこのお寺ではないかと思っているのが、京都市
西京区大原野にある西国 三十三所第二十番善峰観音宗 西山 善峯寺。(5月4日のこと)

桜や紅葉の名所になっている とともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できるお寺です。
それだけに高い場所にあって空気もずいぶん違いました。

 

山門で入山受付をしてシャクナゲやシャガの咲く参道を行くと

残念ながらこの御守りは求めて来なかったのがいけなかったようです。
階段を上ると 元禄5年(1692)建立、桂昌院の寄進により再建された入母屋造の観音(本)堂

本尊千手観音は仁弘法師御作で脇本尊千手観音は源算上人御作でした。
お参りを済ませ向かって右へ進むと、徳川5代将軍綱吉公の厄年にあたり寄進され、“厄除けの
鐘”と云われている桂昌院により建立された釣鐘堂。

 

一口50円~御寄進で1度衝けますので グゥォ~~~~~ンと一衝きしてきました。
とても良い響きが京都市内に広がりまし  た気がしました。

向こうが東山三十六峰で左は比叡山、赤丸囲いは京都タワーです。
花粉とPm2.5で白っぽくなっていますが、黄砂はまだでした。 
その先が護摩堂になっていました。

本尊は五大明王(不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五尊)で、元禄5年(1692)
桂昌院により建立されました。

さてさてここからが回遊式庭園の始まりです。
せっかく来たからにはしっぽを巻いて帰るわけには行きません。 

元和7年(1621)建立、国の重要文化財に指定されている多宝塔。本尊は愛染明王です。
その前に広がるのが五葉松で樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物に指定されている
遊龍の松。
 

平成6年に松くい虫の被害により、全長50mほどの松が15m余り切断され、現在は全長37m
となっています。

そして多宝塔の正面はこんな感じ。

ここでも先ほどの景色よりは少し高くなっています。

比叡山から鞍馬山の方まで見えてきました。

ちょっと息切れをしかけたので続きままた明日。


風が雨が強くなって、急に久しぶりに寒いと感じる夜更けとなっています。


 



あなおじ

2017年05月09日 23時42分39秒 | ちょっとお出かけ

雨の予報も午前中は何度かパラパラッと来た程度。
間欠ワイパーを使うほどでもなかったのでワンショットのワイパーを使ったら、窓の右端に
黄砂の筋が出来ました。
午後3時ごろからはしっかりとした雨になって「現在に至る」ですが、傘なしで濡れて歩いたり
すると頭髪・頭皮に浸透して行きそうで怖くて、傘を握りしめました。

 

左足の方は5cmも上がらなかったのが相変わらず痛みはあるものの10cmぐらいまで上げ
られるようになり、靴下もズボンも一旦床に置いてつま先だけを嵌めると少し浮かすだけで
履けるようになりました。  もちろん、おパンツも同様でございますことよ

こんなガタガタの足になった原因は3日~5日に渡って掲載した平城宮天平祭・久米レンゾと
全国陶器まつりの5月3日のムチャ歩きに続き4日の西国三十三カ所巡礼でした。

そのひとつ京都府亀岡市にある天台宗の寺院、菩提山 穴太寺。

西国三十三所第21番札所となっている「あなおおじ」「あのうじ」「あなおうじ」と読まれる
こともある、亀岡盆地の閑静な寺です。

仁王門をくぐってすぐ左にある多宝塔が陽射しに眩しく美しく見えました。

安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる厨子王丸肌守をご本尊としていて、偶然に御開帳の
時期ということで二重の硝子筒に守られていましたが手の届きそうな距離で拝見できました。

ちょうど牡丹の季節で本堂の両脇に鉢植えが飾られていました。

                

本堂に安置される釈迦如来涅槃像(なで仏)は、自分の病の場所と同じところを撫で、自分の
体をなで返すと病気平癒のご利益があるとされています。
掛け布団がかけられているのですが「どうぞ布団を剥がしていただいてお触れください。」と
案内の方に促されていたので、しっかり撫でさせていただいてきました。
ただ、ご浄財の金額が足りなかったかも知れません。

藤も見事に美しく下がっていましたし、何よりもモミジの若緑・新緑が鮮やかでした。

 本堂と渡り廊下で結ばれている円応院の中には天皇家に因む品物が多数展示されていました。

美しい庭園は京都府の名勝に指定されていて同じぐらいの年齢層のご夫妻らしきお二人が
ずっと座って眺めておられました。

 

周りには駐車場に隣接した土産物屋と和菓子屋ぐらいで耕作地が広がっていました。
お昼前に到着して、拝観を済ませて蕎麦かうどんでもと思っていたのが見事に打ち破られました。

5分も走らないところに亀岡の市街地があり、JR亀岡駅や保津川のトロッコ列車の亀岡駅も
西友やイオンショッピングセンターもあるのですが、ちょっと外れただけでガラッと風情のある
お寺の別世界にのどかな西方浄土のような感じを受けました。 

 



 

 

 


ラーメン店もびっくり

2017年05月08日 23時37分47秒 | 宇宙

お天気は良かったものの黄砂の量は半端な物でなく、昨日の日記のコメントに「あいうえだぁ」
サンがくださった『野焼きの煙かと思いました。』のように凄かったです。
なんせ睫毛がなんど洗ってもすぐにガサガサになるほど。
花粉アレルギーがやっと収まりだした妻も全身蕁麻疹が出るほどで、気が付いたら二人で足首を
ボリボリ掻いていました。

タイトルは開院前の皮膚科医院に15時20分頃には長い行列が出来ていて、「あれ?」と
こんなに早くから並ぶラーメン屋さんって人気なんだなぁと見間違えたくらいでした。

関西、奈良の盆地内では27.2℃まで上がる初夏の陽気でした。
住宅火災や山火事が相次いだ岩手、福島、宮城の各県ではやっと20℃程度で内陸の山手では
やっと雪解けが進んで地表が見えてきたころだとか。

去年の新米が採れた頃から予約していた雪室貯蔵のコシヒカリが、やっと出荷の時期を
迎えて熟成されて届きました。
現地直送なので送料を足しても関西で魚沼産コシヒカリの新米を買うより安くて旨い。

それとはまったく違うのですが奈良産のイチゴにこういう品種があります。

                

淡いオレンジというかピンクに近い淡雪。 右の画像は真っ赤な古都華と真っ白なパール
ホワイトとの合わせ盛です。

粒の大きさに因って値段も大きく違うのですが、そんなに食べられないので小さめの安い物を
買い求めました。
甘さは赤い物が一番で色の濃さと共に減りました。
やはり本来の品種の方が甘いのでしょうかね? 
きっと大きいものは大差ないほど甘いと思いますね。

本来イチゴはその昔、奈良の特産品だったのですが、閉鎖的な県民性と人の善さでドンドン
他府県に種を持ち出され栽培されるのに甘んじて、気が付けば人気が全くなくなっていました。
その頃はビニールハウスがいっぱいあって夜中でも白熱灯が明々と点いていたりしていました。 

今では品種改良にも努め、有名な品種では飛鳥ルビーという艶やかで甘い赤いイチゴが主流。
時期的にそろそろ終わりで、今はこの古都華が良く出回っています。

この白イチゴ「淡雪」は2013年に品種登録された鹿児島県志布志市の山下サンという方の
育成品種なのだそうで、 さがほのかという苺の突然変異で生まれたそうです。
雪室等とは関係なく、色の見た目で付いたようですね。


淡雪と言えば放ったらかしで伸び放題のアイリッシュモスに花が咲いてました。
ちょっと淡雪に見えませんか?      


株分けしてやるべきですね~🎶

 

 

 

 


ま 曲がらん

2017年05月07日 23時55分52秒 | 情けない~

朝、目覚めたらなんだか左足が痛い気がした。
骨の芯にズゥーンと思い痛さがある。  起きようとしたら膝が曲がらない
えらいこってす。 
腰から尻、尻からひざ裏、ひざ裏から足の外側を通って踝までズキューンと痛い。

冷えたのかなぁ? 夜中に。
いやいや、原因は分かっています。
3日に平城宮跡を歩き回って久米寺を巡って橿原神宮を闊歩して、翌4日も亀岡の寺と西京区
大原野の山寺の坂道を登ったり降りたり。 
弱い踵を庇いながら張り切り過ぎたから。 
ね、年寄りは3日目の忘れた頃にやって来ます。

インドメタシン湿布3枚貼ってサポーターでがっしり包み込んで耐えましたが、膝が曲がらない
のでロボットのようにガシャンガシャンと歩かなければなりません。

それでも地歌筝曲の定期演奏会に呼んでいただいていて友人夫婦も一緒に行く予定だったので
国立文楽劇場まで行ってきました。
電車で行って階段を上り下りする自信が失せたので車で。 オートマチック(AT)車は
左足は使わなくても良いので助かります。 

友人夫妻も私達もなによりも楽しみにしていたので頑張って行って良かったです。
全部で18曲の5時間半ほどの演奏会だったのですが、伝統ある地歌の三弦・筝の響きに
今回は協賛で3組の尺八の会の参加と近畿大・大阪大・大阪音楽大・雲雀丘中高筝曲部などの
出演もあり大勢の方が聴きに来られていました。

2番目の演目にジュニアのジブリアニメ・メドレーがあったのですが

可愛い子達が一生懸命に演奏する姿は可愛かったです。

3曲目の筝と尺八と太鼓の競演が斬新な感じでとても感銘を受けました。
素晴らしい演奏の数々で第54回なにわ芸術祭参加しいうこともあり、写真撮影は自粛させて
頂いたので、ご報告する画像はありません。

堂々たる演奏は貫録さえ感じるほどの調べで満足させてもらってきました。

足の方は手摺につかまってのストレッチや風呂で良く温めたので、安静にしていての痛みは
消えました。 
ただ床から5cmも足を浮かそうとすると痛みが走って、それは椅子に座っても同じなので
パンツはなんとか履き替えれても靴下やズボンは痛みと闘いながらの数分の悶絶が必要で
明日からどないしようかと不安です。

両親譲りの逃れようのない遺伝の座骨神経痛なので若い頃から慣れてはいるものの、こんなに
膝が曲がらないのは初めてで戸惑っています。

腎臓に悪いのでウッカリ痛みどめも服用できないので、ストレッチで頑張るしかありません。

妻の足の骨折がようやっと杖の要らない状況になった途端に杖が必要になりました。
もともと私のギックリ腰の時用に百均で買った杖ですが、もう3周り以上の元を取っていると
思います。

 

今日はPM2.5も黄砂も酷く、晴れているのにドンヨリ黄土色に染まっていた空。
喉もゴロゴロ、まつ毛はバリバリでせっかく良い音楽を楽しませてもらったのにテンション
ダダダ~

ゴールデンウィークは終わり、明日から心機一転!!  できるかな~

 

 


久しぶりの雨

2017年05月06日 23時35分24秒 | 季節の話

昨日はとても暑いぐらいのお天気でしたが、今日は湿度は高そうでしたが気温は24℃までで
20℃を越えたかな?というような風の強い1日で、時折小雨が降ってきました。
道路はかなり水たまりも出来ていたけれど、不思議に自分が外を歩くときは殆ど降っていません
でした。

15日は京都三大祭のひとつで風雅な王朝行列『葵祭 』があり、京都御所から 下鴨神社・上賀茂
神社へ新緑の都大路を、総勢500名を超える平安絵巻さながらの 優雅な行列が練り歩きます。
今年こそは見に行きたいなぁと密かに思っています。

それを前にしてその祭りのシンボルであり上賀茂神社で育てられていた「フタバアオイ」を
人づてに譲り受けて育てていた
ブログ友の「すーサン」から分けていただきました。

             

去年もいただいたのですが失敗して、今年は出て来なくて凹んでいたので大喜びです。
小さな花も3つほど咲いていました。
「すーサン」は上手に株を増やしていらして「もしまた失敗してもまた分けてあげますよ。」と
心強い言葉もいただきました。 それだけに失敗できませんよね。


さて今月1日2日に葛城市の染野の 「石光寺」と当麻の里の「當麻寺・奥之院」を記事にして
もう1か所周った「當麻寺・西南院」が残っていましたので時期外れになる前に続けます。

     

當麻寺全体がこの時期は牡丹の花の寺となって塔頭では競って咲かせます。


その中でもこの西南院はシャクナゲの寺としても知られています。

ここは他にも池のある庭園が裏庭に在って抹茶のおもてなしなんかもあります。
今は西塔が工事中で、どうしても足場囲いが画像に写ってしまうのでパスします。

表の庭は他にもシバザクラが鉢植えと地植えであります。

他にもツツジやドウダンツツジも咲いていました。







上賀茂神社では,京都三大祭の一つである「葵祭」に欠かせないフタバアオイの保護・育成のため,特定非営利活動法人葵プロジェクト(以下「葵プロジェクト」という。)を平成22年に設立し,小学校を中心とした教育機関や企業・個人の皆様と共同でフタバアオイを育成するとともに,自然と文化のつながりについての意識啓発を図りながら,伝統祭事「葵祭」を次世代へ継承する取組を進めています。




 


最終目標(3日)

2017年05月05日 23時21分22秒 | ちょっとお出かけ

3日はこの2日に渡って掲載した平城京天平祭、霊禅山東塔院久米寺での練供養会式と巡って
きました。
いつもなら橿原神宮前駅のコインパーキングに停めて近鉄電車で大和西大寺や京都方面に向かい
ます。
時間制ですが1日最大料金の設定があって一般なら700~800円ぐらいなのに市営だと
なんと1640円とお高いのだから不思議です、

この日は久米寺に近い橿原神宮の駐車場に停めました。
もちろん神宮公苑の閉苑時間には閉まってしまうので一般の駐車場のように日付が変わるまで
停めたりは出来ません。

実は2つのイベントだけでなく、橿原神宮表参道で全国大陶器市というのが開催されていて
最終目標はこれを見て帰ることでした。

表参道の大鳥居をくぐった途端、南神門までの間の両側にずらりテントが並んでいました。 

 

      

骨董品とか高価値なものはくなく、日常に仕えるものが大半でした。
そのあたりが奈良開催なのでしょうかね?
大阪の四天王寺や京都の東寺などで行われる陶器市とは格が違うような気がしました。 

この3連休中はとてもお天気に恵まれて、お出かけになられた方々も良い思い出ができたのでは
ないかと思います。
それでも体調がよくないという声を多く聞きました。
「風邪のようだ」「お腹の調子が悪い」「重い頭痛がする」「吐き気が・・・」 など。

乾燥が激しくて就寝時に点けている加湿器付空気清浄機のタンクの水が2日しか持ちません。
花粉はずいぶん減りましたが無くなるまでにはなっていません。
PM2.5は6日から7日にかけて多めに降りそうな予報です。


 

 


みどりの日

2017年05月04日 23時58分38秒 | ちょっとお出かけ

みどりの日の今日は新緑を求めて家を出かけて西国三十三所観音信仰の霊場の
第二十一番 菩提山 穴太寺 京都府亀岡市
第二十番   西山  善峰寺 京都府長岡京市
の二カ所を訪ねてきました。
その話はまた後日続けます。 

憲法記念日だった昨日は1307年前に遷都された平城京の宮跡でのイベントに参加した日記を
上げました。

平城京天平行列~平城遷都の詔~が11時スタートで約2時間の13時までというのに照準を併せ10時半頃に会場入りして行列を大極殿までお付き合いして 、その後は会場内を散策してまわり
昨日の記事以外の【ものづくり広場】や佐伯門東側広場の【東市西市】など全て見て写真に収め
13時頃に会場を後にして橿原神宮前駅まで戻りました。

実は毎年の5月3日は橿原神宮前駅からすぐ西の霊禅山東塔院久米寺で練供養会式
通称を『久米レンゾ』という春の農繁期前の祭典も見に行く予定をしていました。

たまたま前日のお仕事が寺のすぐ近くの白樫ニュータウンだったこともあり、偵察していました。

             

既に明日3日の本堂から護国道場まで約100mの掛け橋が架けられていて準備万端。
この儀式は同じ5月の14日に毎年行われている當麻寺の 二十五菩薩聖衆来迎練供養会式
(當麻練渡:タイマレンド)とお天気の関連が深くどちらかが晴れであればどちらかが雨に
なるというジンクスのようなものがあります。

練供養会式が始まる頃は全体に曇っていて晴れでも雨でもなかったので当麻寺の方も曇りでは
ないかと想像しました。

        

ちょうど予定の15時から儀式が始まり先導の檀信徒・仙人講・詠歌隊僧侶などが護国道場
から本堂を目指して渡り出し、掛け橋の中央部で暫くの読経があり、稚児が続いて渡ってきた
あと、先頭の観世音菩薩が阿弥陀様の像を左右に振りながら練り歩いて来ます。

お面の芽の穴が片側1cmもないので幅の狭い橋を練り歩くのは試練の技だそうです。
そのあとの菩薩は練り歩くことなくぞろぞろと歩いてくるのですが、どの菩薩様にも必ず一人
介添えの人が付くことになっています。

西方極楽から阿弥陀仏が二十五菩薩を従えて迎えにくることを示しています。


渡りきって本堂の周り廊下を時計回りに巡ってご本尊の前にて再度読経の後、

死者を連れて再度本堂(娑婆)から護国道場(西方浄土)まで戻って行きます。 

厳かな儀式ですが稚児の家族や二十五菩薩役の方の家族は写真を撮ったりするのに追われて
行列に合わせて移動したりと大変そうです。

 

僕が行き出してもう何回目かになりますが、今年はお面が新調されたのかヒカピカで綺麗
でした。 

 


平城京天平祭

2017年05月03日 23時34分33秒 | ちょっとお出かけ

2006年、それまで平城宮跡・朱雀門の南側だけを会場としていた「平城遷都祭」が
2010年に「平城遷都1300年祭」として大々的に開かれ、2011年から平城京天平祭と
改められて続けられています。

 

年々、お客様も参加者も増えて来ていて賑やかに、今年も今日3日から5日までの間
開催されています。

11時からスタートする平城京天平行列~平城遷都の詔~に合わせて行ってきました。

 

飛鳥京から藤原京を経て平城京に遷都された際に、実際にこういう光景だったのだろうと
想像すると何とも言えない雰囲気に包まれます。

3日間、いろんなイベントが繰り広げられるプログラムが組まれています。

期間を通じて催される「市の再現」はタイムスリップしたような錯覚に。

 

畿央大学・育英学園・県婦人会がリレーで行うお点前、『さくら茶会』

天平人の大道芸。 天平衣装体験やスタンプラリーも。
せんとクンも登場でした。

 

右下のバッヂはアンケートに答えたのでいただきました。

暑いくらいの陽射しの中でした。

 

行列のお嬢さんたちに二男の嫁さん候補を探しました。
が、見た目だけの第一次審査で舅の好みに合う方は残念ながら ・・・。 
まあ、アチラもこんな舅はパス!でしょうけどね。 


八十八夜

2017年05月02日 23時58分49秒 | 奈良学

あっという間ですね、立春から88日。
正月からだともう既に122日目となります。
特に何と言って残したことも無いような気がしてちょっと焦りを感じます。

昨日の記事の 「石光寺」  撮った写真が沢山あり過ぎて、かといって牡丹の
花の羅列も飽きられそうだし。

整理も大変だしで手こずっています。 

牡丹以外の花もいろいろあってアップしておかないといけませんね。

         

          

このお寺に寄ったら一緒に周っておかないともったいないのが當麻寺(たいまでら)

実はこちらもいっぱい写真を撮っています。
當麻寺は 境内には真言宗5院、浄土宗8院の子院がある二宗派融合の変わったお寺。( 真言宗子院) 中之坊、西南院、松室院、不動院、竹之坊
(浄土宗子院) 念仏院、護念院、来迎院、極楽院、奥院、千仏院、宗胤院、紫雲院

今回はその中の奥院と西南院に寄っています。
奥院だけでも 

これだけを撮っているのでスマホがフル活躍してマイクロSDからPCに移しかえる
だけでも妙に時間がかかりました。
花の方はまた後ほどということにして境内の建物と牡丹のコラボだけ先にUP。

 

方丈の玄関先です。
 

奥院本堂 (御影堂
京都の知恩院からもたらされた円光大師法然上人坐像を本尊としています。

阿弥陀仏を御本尊とし、江戸時代に建立された阿弥陀堂。

ここから眺めると五重塔がふたつ並んで見える はずなんですが西塔は補修工事中で
足場囲いですっぽりと覆われていました。 東塔はお分かりになりますか?

拡大というか角度を変えてみると

 

こんな感じです。

水子地蔵菩薩も

狐狸の明かり窓も風情があります。

また続きます。