2週間ほど前から今年こそは行ってみたいと思って密かに企てていた葵祭。
初孫の名前が何故か去年・一昨年に出生した女児の名前No.1のあおい。
文字は葵・蒼・藍などあるようですが読みはみんな「あおい」チャン。
幼稚園にでも行けばクラスに3人ぐらいは居そうな感じです。
そんなことも脳裏にあって、去年ダメにしたフタバアオイが手に入ればリベンジと
言う気持ちもあってのことでした。
久しぶりに近鉄電車から「おけいはん」(京阪電車)に乗り継いで神宮丸太町まで。
御所を出発するのを見るなんて他人の頭や背中を見るのに等しいだろうし、初めてで
様子が分からないので、巡行コースの河原町丸太町交差点辺りでと見越してのこと。
北行き2車線を通行止めにして南行を1車線ずつに交互通行にして、巡行が通るまでは
路線バスぐらいしか通さなかったので、人混みを避けて反対側の歩道にも幼稚園か保育
園の園児が陣取ったりしていました。
先頭というか先導というか、京都府警の平安騎馬隊の2頭の馬が歩き出します。
馬の列がどんどん続きました。
写真はいっぱい撮ってありますけれど、罰当たりだとは思いますがオジサンやオジン
ばかりで、それも無愛想なので私の記録だけにとどめておきます。
そんな中でも可愛らしい子供の姿も。
飾られた傘も綺麗でした。
牛車の音も歴史を感じます。
いやぁ~美しい 着物です。
気温は25℃くらいでしたが風があったので暑いというまでの感覚はありませんでした。
いよいよ斎王代
長い葵祭の歴史の中で、16世紀はじめの室町期と、19 世紀中ごろの幕末、太平洋
戦争末期の1944(昭和19)年に祭が途切れたことがあるそうです。
周りの観客も言っていましたし噂にも聞いていますが、この斎王代はよほどの資産家
のお嬢さんでないと務まらないのだそうですね。
なんでもいろんな費用が自腹で3千万円ほど必要なのだとかと聞き及びます。
一通りの行列が通過するのに一時間少々かかったように思います。
「時代祭はもっと」とか物知り顔のオジサンがおっしゃってました。