■沖縄の思いの共有化はできるのか!
鳩山総理が、「普天間基地移設問題で引き続き沖縄に基地負担を求め、訓練などを鹿児島県徳之島など県外へ移転する」という政府原案なるものをもって、5月4日に沖縄を訪問した。
沖縄県民は、4月25日の県民大会で明確に「普天間基地の県外・国外移設を求める」意思を表明していたから怒りは爆発した。
照屋寛徳衆議院議員の言葉を借りよう。「従来、沖縄の人々は、米軍基地を『県外の他の地域に移せ』と公然と言わなかった。それは、自らが受けている基地負担や犠牲を他の地域の者には背負わせたくない、というウチナーンチュの優しさだったかもしれない。だが、今や県民意識は変わった。政権交代を果たした鳩山政権も圧倒的に多くの国民も基地問題に無関心で、なおかつ基地は沖縄に押し付けておけ、という無責任な態度に失望し、怒っているのである。意識的な沖縄差別、無関心と無意識の沖縄差別に気付いたのである」(5月14日)。
「米軍再編がどうだ、安保がどうだ、抑止力がどうだ」と言う前に、先ず第1に言わなければならないのは、沖縄が差別され捨て石とされてきた歴史と、日々騒音や米兵による事件事故に苦しみ続けている実態にこそ、私たちは目を向けなければならないということである。
■「普天間基地移設」ではなく「新基地建設」だ!
「普天間基地の移設」と表現されているが、ここには大きな問題がある。宜野湾市の基地渉外課の資料によると、普天間基地にある海兵隊司令部とヘリ部隊の大半がグアムへ移転することになっている。では、「移設」ではなく「新基地建設」ではないか!
米軍は、かねてから弾薬庫に近いところに軍港がほしかったと言われている。さらに垂直離着陸輸送機MV22「オスプレイ」を配備する飛行場が欲しかった。だから辺野古なのである。
しかし残念ながら、辺野古に新基地はつくれない。沖縄にもつくれない。それを許さない民意があるからだ。当のアメリカの連邦裁判所も、アメリカの文化財保護法に基づきジュゴンの棲む辺野古沖への建設を許さない。さらに、日本全国の沖縄を思い、平和を願う国民世論が許さない。
■「抑止力」論
鳩山総理は「辺野古沖への移設は自然の冒涜だ」と言い切った。その舌の根が乾かないうちに「辺野古桟橋案」なるものを解決策として提示した。何が、彼を変えたのか?
彼は、「海兵隊の抑止力を知らなかった」と説明したが、依然として彼は今もって海兵隊の抑止力を知らない。沖縄海兵隊の多くはイラク・アフガニスタンへ出かけていて、日本にはいないということを知らない。
何が彼を変えたのか?考えると、在日米軍の再編で首都圏にアメリカの陸・海・空の3軍の司令部が配置され、同時に自衛隊の3軍の司令部が同居して合同訓練が行われる。この事実が、彼をして「国外、最低でも県外」という考え方を「抑止」させたのではないか。
してみると、日米安保体制の「抑止力」は周辺諸国に働いているのではなく、日本国民にこそ有効に働いているといえる。
■日米安保体制の変質
話は変わるが、今年は1960年の安保改定から50年となる。60年安保の改定により米軍の駐留権、基地自由使用権が認められた。このとき、全国民的な反対闘争の後遺症により、日米両政府はその後の情勢の変化があったにもかかわらず条文の改定はしてこなかった。
しかし、東西冷戦の崩壊以降アメリカの一極支配の強化に向け、世界的に米軍が再編されることになった。一度に二つの戦争を遂行することができる能力をもち、同盟国に積極的に補完をさせるというシナリオである。
1997年、「日米防衛協力のための指針」、いわば日米安全保障条約のための運用マニュアルがつくられ、周辺事態法をはじめとした関連法案がつくられ、日米の協力体制が強化された。
2001年アメリカ同時多発テロを契機に、太平洋からインド洋、中東に連なるテロや大量破壊兵器の温床として米国が警戒する地域(「不安定の弧」と呼ぶ)に即応可能な指揮機能・後方支援機能を、在日米軍が自衛隊と共同して構築するため、自衛隊と在日米軍の役割分担や、在日米軍基地の再編を決定した。
つまり、在日米軍の再編は沖縄の基地負担の軽減を目的としているわけではなく、あくまでアメリカが行う世界的な軍事戦略の遂行のためのものであることを忘れてはならない。同時に、60年安保闘争並みに日本全国が自らの問題として、沖縄の基地負担問題を考えるならば、今後の展開は必ず変わるし、変えなければならない。
まさに、チェンジである。
鳩山総理が、「普天間基地移設問題で引き続き沖縄に基地負担を求め、訓練などを鹿児島県徳之島など県外へ移転する」という政府原案なるものをもって、5月4日に沖縄を訪問した。
沖縄県民は、4月25日の県民大会で明確に「普天間基地の県外・国外移設を求める」意思を表明していたから怒りは爆発した。
照屋寛徳衆議院議員の言葉を借りよう。「従来、沖縄の人々は、米軍基地を『県外の他の地域に移せ』と公然と言わなかった。それは、自らが受けている基地負担や犠牲を他の地域の者には背負わせたくない、というウチナーンチュの優しさだったかもしれない。だが、今や県民意識は変わった。政権交代を果たした鳩山政権も圧倒的に多くの国民も基地問題に無関心で、なおかつ基地は沖縄に押し付けておけ、という無責任な態度に失望し、怒っているのである。意識的な沖縄差別、無関心と無意識の沖縄差別に気付いたのである」(5月14日)。
「米軍再編がどうだ、安保がどうだ、抑止力がどうだ」と言う前に、先ず第1に言わなければならないのは、沖縄が差別され捨て石とされてきた歴史と、日々騒音や米兵による事件事故に苦しみ続けている実態にこそ、私たちは目を向けなければならないということである。
■「普天間基地移設」ではなく「新基地建設」だ!
「普天間基地の移設」と表現されているが、ここには大きな問題がある。宜野湾市の基地渉外課の資料によると、普天間基地にある海兵隊司令部とヘリ部隊の大半がグアムへ移転することになっている。では、「移設」ではなく「新基地建設」ではないか!
米軍は、かねてから弾薬庫に近いところに軍港がほしかったと言われている。さらに垂直離着陸輸送機MV22「オスプレイ」を配備する飛行場が欲しかった。だから辺野古なのである。
しかし残念ながら、辺野古に新基地はつくれない。沖縄にもつくれない。それを許さない民意があるからだ。当のアメリカの連邦裁判所も、アメリカの文化財保護法に基づきジュゴンの棲む辺野古沖への建設を許さない。さらに、日本全国の沖縄を思い、平和を願う国民世論が許さない。
■「抑止力」論
鳩山総理は「辺野古沖への移設は自然の冒涜だ」と言い切った。その舌の根が乾かないうちに「辺野古桟橋案」なるものを解決策として提示した。何が、彼を変えたのか?
彼は、「海兵隊の抑止力を知らなかった」と説明したが、依然として彼は今もって海兵隊の抑止力を知らない。沖縄海兵隊の多くはイラク・アフガニスタンへ出かけていて、日本にはいないということを知らない。
何が彼を変えたのか?考えると、在日米軍の再編で首都圏にアメリカの陸・海・空の3軍の司令部が配置され、同時に自衛隊の3軍の司令部が同居して合同訓練が行われる。この事実が、彼をして「国外、最低でも県外」という考え方を「抑止」させたのではないか。
してみると、日米安保体制の「抑止力」は周辺諸国に働いているのではなく、日本国民にこそ有効に働いているといえる。
■日米安保体制の変質
話は変わるが、今年は1960年の安保改定から50年となる。60年安保の改定により米軍の駐留権、基地自由使用権が認められた。このとき、全国民的な反対闘争の後遺症により、日米両政府はその後の情勢の変化があったにもかかわらず条文の改定はしてこなかった。
しかし、東西冷戦の崩壊以降アメリカの一極支配の強化に向け、世界的に米軍が再編されることになった。一度に二つの戦争を遂行することができる能力をもち、同盟国に積極的に補完をさせるというシナリオである。
1997年、「日米防衛協力のための指針」、いわば日米安全保障条約のための運用マニュアルがつくられ、周辺事態法をはじめとした関連法案がつくられ、日米の協力体制が強化された。
2001年アメリカ同時多発テロを契機に、太平洋からインド洋、中東に連なるテロや大量破壊兵器の温床として米国が警戒する地域(「不安定の弧」と呼ぶ)に即応可能な指揮機能・後方支援機能を、在日米軍が自衛隊と共同して構築するため、自衛隊と在日米軍の役割分担や、在日米軍基地の再編を決定した。
つまり、在日米軍の再編は沖縄の基地負担の軽減を目的としているわけではなく、あくまでアメリカが行う世界的な軍事戦略の遂行のためのものであることを忘れてはならない。同時に、60年安保闘争並みに日本全国が自らの問題として、沖縄の基地負担問題を考えるならば、今後の展開は必ず変わるし、変えなければならない。
まさに、チェンジである。