津島様。塩倉池のほとりの小高い丘に津島様が祭られています。「江戸時代の終わりに疫病がはやり、伊勢の津島神社に詣で、お札をもらい社をつくったことが起源です」と主催者がお話していました。地元にいても、知らないことがたくさんあります。そうそう、岡田冠者親義の顕彰会の記事が今朝市民タイムスに掲載されていましたが、今から25年ほど前、地元の歴史家である中川l清さんが「欅大樹の芽吹く里」という、親義にちなんだ小説を、青年団の演劇として、発表したことがあります。
インターネットで「津島様」で検索。
津島様
「子供中心の行事に「津島様」という例祭があった。津島様とは、愛知県津島市にある津島神社のことである。その分霊社が全国各地にあるのだが、我が村にもお札を納めた小さな祠が祀られている。村内の各所に水場があって、祠は水場に隣接して鎮座している。総本社の例祭が六月十五日に行なわれるので、それに合わせて、実施されている。
例祭は天下泰平・国家安穏・五穀豊穣を祈願する祭りであるが、戦時中は特に戦意高揚を図ることが目的でもあった。子供連中が祭りの行進をするときに手に持つ角提灯は、各家の手作りである。墨痕鮮やかに、必勝祈願・武運長久と書いた。
行進曲は、水師営の会見である。当時は太平洋戦争の真っ只中で、対戦国はアメリカであるが、行進曲は日露戦争を勝ち抜いた軍歌が使われた。」この方は、木曽の出身の方です。
「きゅうりの初なりは津島様にさしあげるといって川に流す。」津島様は妖怪。群馬県の俗信。
「毎年7月14日に厄病よけのお津島様とよばれる祭りがあります。各家庭で白樺の若木を門先に立て、ローソクを40本ほど小枝にさして夜になると火を灯します。家々の火が灯された白樺が並ぶ光景はとても美しく幻想てきな眺めです。これは平谷だけの祭り行事だと言われています。」長野県平谷村の行事。
「津島で受けてきた箱祓いを「沢またぎ」に檜の葉で葺きおろした「お川社(おたちく様)」の中に安置して、その前に、笹竹に赤い酸漿チョウチンを鈴なりにつるして点火する。」愛知県新城市。
「平成15年7月22日(火)に、瀬戸大橋の南側で、津島様秋葉山の祭事(さいじ)がありました。地域の方が集まって、お参りをしたり、食事をしたりしていました。」愛知県瀬戸市の行事。
「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を御祭神とし、御相殿には大穴牟遅命(おおなむちのみこと)が祀られた、愛知県津島市の「津島神社」が総本社。古くから人の身に起こる災厄・疫病を除き給う御徳と授福の神である「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とも呼ばれ、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められています。ここ飯田下伊那地域へは、当時、当町内は荒町と呼ばれ武家屋敷でもあり、正徳5年(1715年)、「未満水」(ひつじまんすい)の惨禍(この年に、野底川が大氾濫)を期に「疫病災害避け」=「水害避け」=「水の神様」として祀られるようになった。」飯田市中央通りのブログ
「伝承では 弘法大師がこの地を訪ねておいでになった時、弘仁の疫病蔓延の年でした。お大師様は井戸を掘り、川の水が汚染されている現状を改善して、お薬師様をお祭りになりました。今から1200年前のことです。弥五郎殿脇 現在の津島神社の境内です。それ以来 信長や秀吉の厚い信仰を受け、現存する重要文化財の楼門は 秀吉が母上の病気平癒をお薬師様に祈願し、成就したので、お礼に建てたものです。 徳川家の厚い庇護を受けて、牛頭山の天王社は神仏混合の社寺として、信仰の中枢をになってきました。尾張名所絵図にも 掲載されていますように、尾張の津島様と言われて栄えてまいりました。」津島 宝寿院 住職のひとり言
<続きはまた>
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津島様
「子供中心の行事に「津島様」という例祭があった。津島様とは、愛知県津島市にある津島神社のことである。その分霊社が全国各地にあるのだが、我が村にもお札を納めた小さな祠が祀られている。村内の各所に水場があって、祠は水場に隣接して鎮座している。総本社の例祭が六月十五日に行なわれるので、それに合わせて、実施されている。
例祭は天下泰平・国家安穏・五穀豊穣を祈願する祭りであるが、戦時中は特に戦意高揚を図ることが目的でもあった。子供連中が祭りの行進をするときに手に持つ角提灯は、各家の手作りである。墨痕鮮やかに、必勝祈願・武運長久と書いた。
行進曲は、水師営の会見である。当時は太平洋戦争の真っ只中で、対戦国はアメリカであるが、行進曲は日露戦争を勝ち抜いた軍歌が使われた。」この方は、木曽の出身の方です。
「きゅうりの初なりは津島様にさしあげるといって川に流す。」津島様は妖怪。群馬県の俗信。
「毎年7月14日に厄病よけのお津島様とよばれる祭りがあります。各家庭で白樺の若木を門先に立て、ローソクを40本ほど小枝にさして夜になると火を灯します。家々の火が灯された白樺が並ぶ光景はとても美しく幻想てきな眺めです。これは平谷だけの祭り行事だと言われています。」長野県平谷村の行事。
「津島で受けてきた箱祓いを「沢またぎ」に檜の葉で葺きおろした「お川社(おたちく様)」の中に安置して、その前に、笹竹に赤い酸漿チョウチンを鈴なりにつるして点火する。」愛知県新城市。
「平成15年7月22日(火)に、瀬戸大橋の南側で、津島様秋葉山の祭事(さいじ)がありました。地域の方が集まって、お参りをしたり、食事をしたりしていました。」愛知県瀬戸市の行事。
「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を御祭神とし、御相殿には大穴牟遅命(おおなむちのみこと)が祀られた、愛知県津島市の「津島神社」が総本社。古くから人の身に起こる災厄・疫病を除き給う御徳と授福の神である「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とも呼ばれ、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められています。ここ飯田下伊那地域へは、当時、当町内は荒町と呼ばれ武家屋敷でもあり、正徳5年(1715年)、「未満水」(ひつじまんすい)の惨禍(この年に、野底川が大氾濫)を期に「疫病災害避け」=「水害避け」=「水の神様」として祀られるようになった。」飯田市中央通りのブログ
「伝承では 弘法大師がこの地を訪ねておいでになった時、弘仁の疫病蔓延の年でした。お大師様は井戸を掘り、川の水が汚染されている現状を改善して、お薬師様をお祭りになりました。今から1200年前のことです。弥五郎殿脇 現在の津島神社の境内です。それ以来 信長や秀吉の厚い信仰を受け、現存する重要文化財の楼門は 秀吉が母上の病気平癒をお薬師様に祈願し、成就したので、お礼に建てたものです。 徳川家の厚い庇護を受けて、牛頭山の天王社は神仏混合の社寺として、信仰の中枢をになってきました。尾張名所絵図にも 掲載されていますように、尾張の津島様と言われて栄えてまいりました。」津島 宝寿院 住職のひとり言
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