20170425戦争する国NO!平和を守る岡田の会定例のスタンディング
4月23日午後は、安曇野市穂高会館で穂高未来フォーラムが主催して開催された「憲法から子どもたちの未来を考えよう」をテーマに水野すうさんのお話を聞きに出かけた。(写真はOUTのため前段のポコアポコさんの演奏です)
水野すうさんのお話は一人に話しかけるような優しい言葉が印象的です。これまでの中でいちばん心に残る言葉は何ですかという問いや、今日のお話ではじめて聞いたこと、感じたことを参加者が積極的に話していたことも印象的でした。
社民党長野県連合は、女性の権利確立と女性議員の拡大に向け、この間女性と政治スクールを開催してきました。今年度も開催に向け実行委員会をたちあげ、実行委員会そのものを学びの場にしていきたいと考えています。
一回目は自民党改憲草案24条の問題点について、今回はちの男女共生ネットの藤瀬恭子さんの活動報告についてお話を聞きました。
ちの男女共生ネットのきっかけは、3.11東京電力福島第一原発事故での政・官・産・学の権力者たちの市民に説明する姿勢も言語もない状況が、戦争中の大本営発表と重なり、「第2の敗戦」の印象を強くしたから。何よりもそこに女性がいない、戦後の男女平等政策は何だったのかという問題意識から「自分でものを考える市民が育つこと、基本的人権、男女平等を理解し、それを生きる市民」を目的にして男女共生ネットがつくられた。そのために「自由に発言し議論する場が必要」と強調された。
女性と政治スクールは、9月頃開催し、「男女平等から見た憲法改悪」をテーマに講師をお願いすることを確認しました。次回実行委員会は6月18日(日)に開催する予定。次回の問題提起は宅老所を経営されている方から介護保険制度の問題点についてお話をいただきます。どなたでもご参加いただけます。問い合わせは社民党県連合026-235-2727まで。
4月21日松本建設労働組合第71回定期大会に来賓として出席しました。長野県建設労連は昭和22年に設立されて、今年で70周年を迎えますが、松本建設労連はそれに先んじて2月に70周年を迎えます。上伊那建設労連の呼びかけで全国建設労連ができたこともはじめて知りました。
来賓が多かったので私は「天・地・人の言葉を大会に贈ります。天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。天の時=チャンス=労働力不足、地の利=地勢の有利さ=松本という人が集まる地域で業をなしている、人の和=建設労働組合としての団結。団結で地の利、天の時を呼び込み労働条件の改善に全力をあげましょう!と」呼びかけました。
(写真)長年組合長として牽引してきた前林組合長に感謝状が渡されました。
4月21日長野市で「食とみどり、水を守る長野県民会議」の総会があり出席しました。「食とみどり、水を守る長野県民会議」は、労農会議と緑の県民会議が統合されてできたもので、アジアアフリカ支援米の運動や山を見る会などに取り組むとともに、TPPに反対する運動にも取り組んできました。
私は社民党を代表して以下の挨拶をいたしました。
「最近憲法についての学習会をやっていて、つくづく長野県平和・人権・環境労働組合が中心となって行っているカンパニア運動は文字通り国民の基本的人権を守る運動だと認識を新たにしています。護憲はもちろんのこと、脱原発、解放共闘、食とみどり水を守る運動、公共交通を守る運動、これらは国民の生存権、個人の尊厳、幸福追求権を守り求める運動であり国に対して平和人権環境を守れと言っていく大切な運動だと思います。先ごろ種子法が廃止となりましたが、TPPが成立していればモンサントなどの多国籍企業の利益を確保するために国が補助金を出して種子を開発することは公正な競争を阻害するものだということが理由だそうです。日本の農業をアメリカや多国籍企業に売り渡すことは決して国民の基本的人権を守ることにはなりません。社民党も引き続き皆さんとともに生存権の基礎となる環境を守る取り組みに全力をあげてまいります。」
続いて記念講演があり、全水道本部辻谷貴文書記次長さんから「水道・公共インフラが奪われる」と題して、この国会に提出されようとしている「水道法改正案」が成立すれば、水道事業の民営化が推進されることになる。老朽化した水道管の工事、耐震管工事など、地方自治体の水道インフラを維持するために今後莫大な費用がかかるという。人口減少により収益バランスが崩れるという構造的な問題もあるが、そもそも水は人間の生存に根本的に関わる問題であり、国家が責任をもつべき問題であることを改めて考えさせられました。
父が亡くなってから一週間がたつ。先週の月曜日、父が逝く前にこの畑にジャガイモを植えた。今日はネギを植えた。昨年耕した畑から菜の花やニンジンが育っている。田畑とともに暮らす生活は我が家の基本です。
父の書棚を整理していたら声楽家の狭間壮先生の著書が二冊ありました。クラッシック好きな父でした。