ジョン・ダウランド(1562-1626)は数多くのリュート・ソング(リュート伴奏歌曲)を作曲しましたが、その中でも特に名高い曲が、Flow my teares でしょう。リュート・ソングの歌詞は、それ以降の時代のアリアなどより長く、日本人にとって理解するのにとても壁が高いです。英語も古くさい英語ですし。
英語の歌をリュート伴奏するときに、歌手の方から「これ、訳詞です。見といてくださーい」なんておっしゃって頂いた訳を見ると、ムムムという日本語が連なっているときがあります。
例えば、こんな日本語訳:
あなた自身に生きなさい
私は心を感じて生まれます
※私が適当に作った例ですので、英語原文はありません
はて、「あなた自身に生きる」とはドユコト?
「心を感じ生まれる」とはどう生まれるの?たった2行でもツッコミどころ満載です。
日本語にはなっていますが、直訳といいますか(上の訳は直訳のレベルにも達していないです。そもそもどういうことか全く不明だからです)意味論的に全くつながらない訳は困ったものです。
これが例えば:
自分の気持ちを素直に出して生きなさい
私は生まれて初めて人の心を感じました
とすれば日本語としては理解可能ですね。(間違っているかも分かりませんが。実はこっちのパターンの方がくせ者です)
上例は私が適当に作ったものなのでちょっと極端かもしれませんが、部分的にはこれに近いものを見たことがあります。
(前置きはまだ続きます)
英語の歌をリュート伴奏するときに、歌手の方から「これ、訳詞です。見といてくださーい」なんておっしゃって頂いた訳を見ると、ムムムという日本語が連なっているときがあります。
例えば、こんな日本語訳:
あなた自身に生きなさい
私は心を感じて生まれます
※私が適当に作った例ですので、英語原文はありません
はて、「あなた自身に生きる」とはドユコト?
「心を感じ生まれる」とはどう生まれるの?たった2行でもツッコミどころ満載です。
日本語にはなっていますが、直訳といいますか(上の訳は直訳のレベルにも達していないです。そもそもどういうことか全く不明だからです)意味論的に全くつながらない訳は困ったものです。
これが例えば:
自分の気持ちを素直に出して生きなさい
私は生まれて初めて人の心を感じました
とすれば日本語としては理解可能ですね。(間違っているかも分かりませんが。実はこっちのパターンの方がくせ者です)
上例は私が適当に作ったものなのでちょっと極端かもしれませんが、部分的にはこれに近いものを見たことがあります。
(前置きはまだ続きます)