リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ブラタモリ「島原・天草」編に出て来た・・・(4)

2020年03月21日 14時20分41秒 | ウソゆうたらアカンやろ!他【毒入注意反論無用】
MT先生は、自説にあとから批判が出て来たこともご承知で、近著でこういう内容も述べてらっしゃいます。

「ジョスカン・デ・プレと天正遣欧少年使節とでは年代があまりに隔たりすぎという異議も一部にはあるようです・・・」

はい、私はその一部です。その年代的な隔たりに加え、当時の音楽状況、その地域のその時代の音楽を使うということ、が決定的に氏の説を否定します。その時代ごとの音楽を使う、聴くというのは現代のポップスシーンも同様ですし、16世紀の当時そうでなかったら沢山のミュージシャンが失業します。現代におけるクラシック音楽の聴き方のように、100年も200年も300年も前あるいはそれ以前のものも水平的に聴くというのは、とても例外的なことだと思います。

氏は件の著書で、ジョスカンの死後「千々の悲しみ」が如何に広く多く伝えられていったかの傍証を沢山挙げ、少年達がこの曲を聴きそして覚えた可能性が大きいとおっしゃいます。でもこういうのって、一つの虚構(ウソ)を百の真実(ホント)で囲み、ウソをホントに見せる、という手法ではありませんか?

こんなことをせずに、これは単なる推理お遊びで、こうだったら綺麗だなーって感じです、でも多分そうではないでしょうけどね、ナンチャッテ。というくらいにしておけばよかったんです。それも40年前に。

MT先生としては傍証も含めてお遊びのおつもりなんでしょうけど、その道の権威が仰れば、ブラタモリのナビゲーター先生やNHKスタッフの方達のように真実として鵜呑みにしてしまいます。そして番組を見た全国の多くの人達もそう信じてしまったことでしょう。まぁ忘れっぽい人も多いでしょうから、そんなに害にはならないかも知れませんが。

もっともナビゲーター先生やNHKの制作スタッフの方達がMT先生の御著書を直接参考にされたかどうかはわかりません。別の方からそういうアドバイスを受けたのなら、その説が定説化しているということでもっと根は深いですが・・・

ブラタモリでは、秀吉の前で千々の悲しみ(皇帝の歌)を少年達が演奏したとされるなんて言わないで、「チコちゃん」に出てくる「たぶんそうだった劇場」みたいな感じにして曲名はぼかしとけばよかったのかなと思います。