フランチェスコ・スピナッチーノというリュート奏者が昔イタリアにいまして、1507年に曲集を発表しています。その本は第二次世界大戦の前まではベルリンにあったらしいですが、その後行方不明になったらしいです。でもそれを写真コピーしたものが残っていて、それも元に復元版がミンコフという出版社から出ています。
ミンコフの出版物は魅力的なものが多いんですが、値段が高いのがたまにきず。ホピーなんか、あれはミンコフじゃなくてマネーコフだなんて冗談を言っていました。(笑)
彼の作品を弾いてみると妙な響きがしたり、あり得ないような不協和音の部分があったりして、これはいったい何だろうと考えさせられる部分がちょくちょくあります。
まぁ印刷ミスもあるでしょうから、どれが彼の意図したものか印刷ミスなのかを見極める必要があります。彼の作品はボブの授業の中でたびたび引き合いに出されますが、ボブに言わせると、スピナッチーノは二流で、対位法とかムジカ・フィクタなどはあんまりわかっていなかった商売上手な音楽家、だそうです。ムジカ・フィクタというのは、終止のところなどで必要に応じて半音上げることなんですけど、この判断は結構難しいです。人によって異なる見方をしますし、昔も同様に結構ゆれていたようです。地域によっても傾向が異なっていたみたいです。
今日、明日の授業のためにヴィンセン(って読むのかな→Vincenet)作曲の「過酷な運命よ」という曲の比較資料を作りました。何の資料かというと、ナカガワ(2005)とスピナッチーノ(1507)の比較表です。何と498年の時間差を超えての比較!って大げさな感じですが、私のアレンジはヴィンセンのオリジナルにほぼ忠実に沿ったもので、大したもんではありません。スピナッチーノのアレンジをフランスタブラチュアに変換してさらにそれを、私のアレンジと同じキーにするために短三度下げて、それを私のアレンジの下に貼り付けます。これらは全てコンピュータで行いますが、手作業でやっていたら1週間くらいはかかるでしょうね。コンピュータ様々です。
比較してみると意外なほど、スピナッチーノは常識的というかオリジナルをきちんと参照している感じです。以前作った比較表でも同じことが言えました。でも理解不能な響きもあるんですよね。ひょっとすると彼は二流を飛び越えて超一流なのかも?このあたりについて明日の授業でボブと議論してみるつもりです。
ミンコフの出版物は魅力的なものが多いんですが、値段が高いのがたまにきず。ホピーなんか、あれはミンコフじゃなくてマネーコフだなんて冗談を言っていました。(笑)
彼の作品を弾いてみると妙な響きがしたり、あり得ないような不協和音の部分があったりして、これはいったい何だろうと考えさせられる部分がちょくちょくあります。
まぁ印刷ミスもあるでしょうから、どれが彼の意図したものか印刷ミスなのかを見極める必要があります。彼の作品はボブの授業の中でたびたび引き合いに出されますが、ボブに言わせると、スピナッチーノは二流で、対位法とかムジカ・フィクタなどはあんまりわかっていなかった商売上手な音楽家、だそうです。ムジカ・フィクタというのは、終止のところなどで必要に応じて半音上げることなんですけど、この判断は結構難しいです。人によって異なる見方をしますし、昔も同様に結構ゆれていたようです。地域によっても傾向が異なっていたみたいです。
今日、明日の授業のためにヴィンセン(って読むのかな→Vincenet)作曲の「過酷な運命よ」という曲の比較資料を作りました。何の資料かというと、ナカガワ(2005)とスピナッチーノ(1507)の比較表です。何と498年の時間差を超えての比較!って大げさな感じですが、私のアレンジはヴィンセンのオリジナルにほぼ忠実に沿ったもので、大したもんではありません。スピナッチーノのアレンジをフランスタブラチュアに変換してさらにそれを、私のアレンジと同じキーにするために短三度下げて、それを私のアレンジの下に貼り付けます。これらは全てコンピュータで行いますが、手作業でやっていたら1週間くらいはかかるでしょうね。コンピュータ様々です。
比較してみると意外なほど、スピナッチーノは常識的というかオリジナルをきちんと参照している感じです。以前作った比較表でも同じことが言えました。でも理解不能な響きもあるんですよね。ひょっとすると彼は二流を飛び越えて超一流なのかも?このあたりについて明日の授業でボブと議論してみるつもりです。
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