リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

マンドリュート

2006年09月06日 12時22分21秒 | 音楽系
マンドリュートって楽器があるんですね。知り合いと話をしていてひょんなところからその名前が出てきたんですが、寡聞にして知りませんでした。少し前金山駅でリュートそっくりのケースを持っている人を見かけました。その人はマンドリンのケースを持った人たちと一緒に歩いていましたので、多分あれはリュートじゃなくてマンドリンなんだろうなぁと思いました。それがマンドリュートだったのか・・・

マンドリンチェロっていうのもあるようですね。マンドリュートとどう違うのかはよく知りませんが、従来のマンドリンアンサンブルのより低い音を補うための楽器らしいです。 
この新型(って言っていいのかな)マンドリン、ちょっとつっこみますと、命名がなんか変です。マンドーラの小さいのがマンドリンですが、チェロということばはヴィオロンチェロ=小さいヴィオローネ(バロック・オーケストラのコントラバスです)のことを言います。今でも楽器の省略名にチェロはVCって書きますよね。つまりマンドリンチェロというのは小型マンドリンという意味になりますが、マンドリンチェロはマンドリンよりも大きい!

マンドリュートというのも何かリュートの種類が増えたのか、なんて感じがする名前です。リュート風であるならば、リュートマンドリンって言った方がいいような。でもそれだとちょっと長いかも。リューマンドリン、リュートマン、リューマンだとなんのこっちゃわからんし。(笑)ま、マンドリュートは語呂がいいですね。マンドリンチェロもマンドチェロにした方が語呂がいい感じだなって思って、一応WEBで検索してみましたら、何とマンドチェロという楽器がありました。ただ、その楽器は胴体はギターライク。でも他のサイトを見ると、マンドチェロ=マンドリンチェロ。うーん、ちょっと混乱してきたぞ。

聞くところによれば、最近のマンドリンオーケストラではギターを使わない傾向にあるそうな。いわゆるギタマンというのは減少傾向らしいです。だから件のマンドリンチェロやらマンドリュートが増えてくるのすね。多分同族の楽器同士の方がいろいろ都合のいいこともあるでしょうから、そういう傾向が出てきているのかも知れません。

ギターのアンサンブルも小型のギターやコントラバスの音域のギターを使って、全て同族楽器というアンサンブルもあります。これも同族楽器の都合のよさから来ているのでしょう。

ただアンサンブルというのは人間の集団と同じで、人間集団でもいろいろな個性を持った人が集まって欠点、長所をお互いに補いないあう集団の方が強いですよね。バロック時代のアンサンブルを見てもどの楽器も完全なものもはありません。ヴァイオリンはスピードも速くよく歌うことができる楽器ですが、基本的に和音楽器ではありません。チェンバロは沢山の和音を弾けて速いパッセージも弾けますが、音の強弱が出ません。リュートは和音も弾け音のニュアンスにも冨みますが、音が少し小さく、運動性もやや劣る・・・楽器には音色の違いだけでなくこのような長所短所がありますが、アンサンブルをすることによってお互いの短所を補い合い、長所を全面に出すことが出来るわけです。それこそまさに調和、人間の集団もこうあってほしいですね。(笑)

このあたりを考えると同族楽器のアンサンブルはある意味結構大変なことがわかります。下手すると欠点が増幅されるわけですから。でも人間集団的には楽器の共通の話題が多く何か楽しそうですね。アマチュアの合奏団がギターとかマンドリンだけの同族楽器化していく傾向があるのも、人間のつながりの方に比重が置かれているからなんでしょうね。

サンマルコでのコンサート

2006年09月04日 10時16分14秒 | 音楽系
昨夜は四日市のレストラン・サンマルコでのコンサートでした。サンマルコさんとはもう随分前からのおつきあいです。10数年前、お店が現在の四日市駅西に移る前、まだ市民文化会館の前にあったころ、はじめてコンサートをさせていただきました。

サンマルコでのコンサートはソロが多いですが、リコーダー、チェンバロと一緒に演奏したこともありました。今回はちょっと変則的で、声楽のAさんとBさんと「ジョイント」ということになりました。実はこの話急遽決まったもので、本当は声楽の方たちの伴奏ができるとよかったんですが、時間が取れず、前半をリュート、後半を歌のコンサートという形にしました。

コンサートはいつも2部形式です。それぞれ、30分程度のものを30分から1時間くらいの間をはさんで行います。お客さんは食事をしながら音楽を楽しむわけですが、奏者の前を配膳台が通ったりいくらかのノイズが入るのはいたしかたありません。

リュートの場合は、音が小さいのでこういった日常生活的には特に問題にならないような音でも音楽を遮ってしまいます。こんなときに役立つのが例のPAシステムです。2年前にここでコンサートを行ったときにはじめてそれを使いました。そのときはこの機器開発に携わったUさんにもお越しいただき、セッティングのお助けをしてもらいましたが、今回は自前の機材でずっとコンパクトなものにしたので、セッティングは瞬く間にできました。スピーカー以外の機材を32cmx16cmx16cmの箱に詰め込んだので、スピーカーと結線してあとは電源を入れるだけです。

今回は「リュートのための愛の歌」というタイトルで、中世末期からルネサンス後期にかけての音楽プラス自作の小品を演奏しました。新しい楽器(モーリス・オッティガー作)を使ってのはじめてのコンサートですが、楽器はよくなっていました。8月7日にはじめて音出しをした楽器とは思えないほどです。この楽器とPAシステムのおかげで自然な感じの音がレストランの隅々まで行き届いたと思います。こういう環境ノイズの多い場所での演奏には、PAシステムは必須です。

この富士通テンの機材によるシステムは優れもので、PAを使っているということがほとんどわからないくらい自然な音が出ます。スピーカーから音が出ると言うよりは、リュートのボディーから少しいつもよりは大きめの音が出ているという感じです。6月の扶桑町でのコンサートも同じPAを使いましたが、終演後お客さんがいろいろ楽器や楽譜を見に、ステージのところにやってきました。いろいろ質問をしたあと、ふと演奏した椅子の横にあるスピーカーをさして、「ところでこれって何ですか?何かのかざりですか?」って質問されました。実はこれはPAだって言ったら、大変驚いていました。まさかここからも音が出ていたとは思わなかったんでしょうね。

来週の日曜日には、昨夜のプログラムに何曲かを付け加え、パワーポイントによるレクチャーも含めたコンサートを名古屋市北区大曽根のミューズで行います。お時間のある方はぜひお越しください。

これからコンサート

2006年09月03日 12時31分34秒 | 音楽系
今日はこれから四日市のサンマルコでライブです。いつもはひとりですることが多いですが、今日はソプラノのMさんと二本立て。二本立てというのは、共演はなく、二人で二つのコンサートをするということです。

朝、少し早めに起きて食事をして、曲をさらって、と思い、まず爪けずりから。指頭奏法の場合爪は使わないんですが、爪をきちんと切って磨いておかないと爪が弦にあたるようになるので、ギターのような爪弾き奏法と同じように爪の手入れは欠かせません。

爪磨きは結構単調な作業なので、インターネットのニュースを読みながらよくします。ふと、思い出したのが例のバッハの自筆譜発見の話。昨夜友人から聞いたはなしでは、そのブクステフーデの写筆譜は五線譜ではなく、タブラチュア(オルガン・タブラチュア)とのこと。インターネットで写筆譜の写真を探して確認してみました。サイトの説明では曲はブクステフーデの曲ともう1曲、ラインケンの作品もある由。このあたり、興味ある人には重要なことなので、新聞報道ももうちょっと正確にやってほしいところですねぇ。

バッハは子供の頃からオルガン・タブを使ってたんですね。ずっとあとの時代の曲ですけども、リュートのためのプレリュード・フーガ・アレグロ(BWV998)の最後の部分が、紙のスペースがなくなってきたので、急遽五線譜による筆記を止め、オルガン・タブラチュアに切り替えて書かれています。タブはリュート弾きの専売特許みたいに思われていますが、当時のオルガニストたちも結構使っていたようです。

さて、今日の本番は夜ですが、指ならしのあと曲を通してみることにします。お近くの方でお時間のある方はぜひお越しください。



またもや新発見!!

2006年09月01日 21時52分15秒 | 音楽系
また出てきました。バッハの自筆譜です。こんどは最古の手書き譜で、13歳のころに写筆したブクステフーデのオルガン曲の由。

一昨年の新発見リュート作品(エイプリフルールのネタですよ(笑))以来、なんか最近よくバッハの新発見資料が出てきますね。もっとどんどん出てこないかなって思うのは人情でしょうけど、研究され尽くされている(まだ足りないといえば足りないでしょうけど)バッハだけに、そうそうは出てこないでしょう。

バッハの残した楽譜はたしかフリーデマンに託されたものが散逸してしまったらしいですが、それがどこかからどっと出てくるなんてことはもうないでしょうね。それよりも当時超有名とは言えなかったバッハの作品がこれだけ残っただけでもよしとしないといけないでしょうね。

当時バッハより有名だったらしい人気オペラ作曲家ハッセなんかほとんどの作品は失われたというし、我らがヴァイスもソロ曲以外の作品は残っていません。バッハが結構作品が残っているのは、多分メンデルスゾーンの頃に再評価が始まり、研究がスタートしたからでしょう。ハッセにしてもヴァイスにしても知られるようになるのは20世紀後半ですから、ちょっと遅すぎました。

ハッセにしてもヴァイスにしても自分の意志で作品が伝わらないようにした訳ではありませんでしたが、なんとハンガリーの大家バクファルク(16世紀)は死ぬ前に自分の作品を全て火にくべてしまったそうです。バクファルクは当時は超大家でその名はヨーロッパ中に響き渡っていました。現在でもハンガリーでは彼は国民的有名作曲家の一人だそうです。(ってハンガリーの人から聞いたことがあります。その方に会ったとき、出身がハンガリーだと知って、「じゃ、バクファルクって知ってる?」って聞いたら、逆に「(日本人の)あなたが何で彼の名を知ってるの?」って逆に驚かれてしまいました)

でもバクファルクは有名すぎて、ヨーロッパ各地にある彼の作品までは消滅させることはできませんでした。おかげで1冊の本になるくらいは作品が残っています。でも全て残っていたらすごいことになるでしょうねぇ。新発見、バクファルクの作品!燃えカスが実は残っていて・・・来年のエイプリフルールのネタには、ちょっとオソマツでした。(笑)