あれから半年

2015年03月19日 | 家族
我が会社の昼は賑やかである。それぞれが持参のお弁当を持ち寄り、会社の話、家庭の話に、世間話に、仕事の話にお互いの情報交換の場でもある。

 珍しくけい子さんと2人だけの昼になった。けい子さんは私の兄である夫が昨年の8月、娘が9月に亡くなった。いつまでも泣き悲しんでいるそぶりもできないから、元気風を装うが、けい子さんの胸の内は私と変わるまいと思う。

 そのけい子さんが「みーこちゃんぱよかったね、ちゃんと最後に話ができて」と言う。「話ってなに、私だって、娘にあなたはもう死んじゃうなんて言えなかったけど」。

 私が最後に娘に語りかけたことを言っているんですね。

 病院に泊りがけだった私が、娘の夫と代わって家に帰り父母を病院に連れて行った時、娘は深い眠りについていました。

 一目見て、娘の夫に「もう目を覚まさないかも」と言いました。強い鎮静剤で眠っていましたが、それは眠りとは違うように見えました。

 ちーちゃんにママにお別れを言いなさい、今だったらママは聞こえるからねと言いました。

 ちーちゃんの「ママー、死じゃあいやだアー」の叫び声が病棟中に響きました。

 私は「長い間、よく頑張ったねご苦労様、ちーちゃんは私たちが、立派にそだてるから心配しないでね」と声をかけ続けました。

 その時、娘の目から涙が流れました。握った手はもう温かくはありませんでした、その涙で何をつたえたかったかわかりません。
 
 ちーちゃんがその涙をぬぐいました。

 それまで病状がどんななのか尋ねられても「大丈夫治るから」と欺きとおした私。自分の死が近いと知れば言い残したいことがあっただろうにと、私は今もずっとそれを悔やみ続けるのです。

 私がその涙を悔やむのと同様、けい子さんは最後まで亡くなると思わず、最後の言葉をかけれなかった自分を悔いるのです。

 娘を亡くして間もなくの頃、大勢の集まりに出なければなりませんでした。「ここであんたの気持ちが分かるのは俺たちだけかも」と声をかけて下さったのは、数年前に30歳代の息子さんを突然死でなくされたご夫妻でした。

 私は言葉もなく深くうなずくことしかできませんでした。

 あれから6回の月命日を迎え、私のお団子作りの腕が上がりました。

 娘のためにお団子をつくるなんてと、その不条理さにいつも涙がでます。

 それでも時間は薬だと思えるようになってきました。先のご夫妻は7年かかったとお話されました。

 今朝、娘が手を付けてもなかったファンーデーションが終わりました。娘の残した物を一つひとつ使い切って、娘が心残りなく天国にいられるようにと思っています。
                                 依田美恵子

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