松代の古墳や山城めぐり  その2

2022年11月22日 | 住まいづくり

長野市松代地区のNPО法人の「夢空間松代のまちと心を育てる会主催の、地形から地域の成り立ちを読み解く街歩きイベント「松代凸凹探訪会」に参加させていただいた。

講師の宮下先生のお人柄なのか、これを主催されている会の皆様の人徳なのか、とてもフレンドリーで居心地がよく和やかな会でした。

先日は古墳群のことをアップしましたが、今回は後半の戦国時代の山城「霞城」跡地巡りです。

近在に山城は4~5つありそうでしたが、霞城は尾根の先端部なのだけど、一見お椀を伏せたような山にありました。

麓から高さ60mの山頂です。

もう急峻。

落ち葉が湿っていて1歩間違えれば、下まで落ちていきそうなところをジグザグに登っていきます。

自分が落ちても、石を落としても、ただでは済まなそう。

いたるところに岸壁が取り巻いていて・・・・・板状になっている石の山でしょうか。

もう空堀もいりません、山自体が要塞そのもの。

たった60mの高さなのに麓の木と頂上の木は違っていました。

クヌギがいっぱい、講師の話を聞きながら、私はせっせと「どんぐり集め」。

プロ友さんがどんぐりで作っていたブローチが気になっていて。

どんぐりそのものではなく、その入れ物、ガクとでもいうのでしょうか。

それをせっせと。

皆さんがいいのがありましたよ、と協力してくれて。

あらあら私何しているのよ、この山城を見たくて来たのではないですか。

頂上からの見晴らしは最高、つまり敵の動きが一望にできる場所なのね。

講師が眼下の川を指さし、かつての川筋を「威の満水」の洪水以後、真田家が変えた話をしてくれました。

長野県ではあまりにも有名な威の満水は1742年の出来事。

その時のことが真田太平記に書かれていたことを思い出しました。

その後も千曲川は洪水を起こすのだけど。

山頂はいくつかのブロックになっていて、それが石積みで形成されているのだけど、その石積みが見事。

講師が、下見に来た時は平茸がいっぱいでねえ、と。

採り時期を逃した平茸を指さして教えてくれました。

おいしい平茸でも、この要塞を再び登る勇気が来年あるかしら(笑)

ここしばらくの間に、山城巡りを3ケ所しました。

山城が作られたのは戦国時代の終わり。そうそう、ちょうど先日の月蝕が前回見えた時代です。

それを思いながら、今回と同じような月蝕が見える322年後の地球はどうなっているのだろう、と思いました。

当然月に人は移り住んでいるでしょうね。

平和であってほしい。

こんな山城が必要でない時代は来たけれど、322年後は核もミサイルも戦争もあってほしくない。

お読みいただきありがとうございました。

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