すっかり雪景色の佐久です。
また次の雪がやってくるみたいな空模様。
雪かきしないで済んだ年はありません。
今年は寒~い、なんて言うけど私は、毎日ヌクヌクと家ごもりしていました。
骨折から今日で1ケ月になり、少しずつ日常に戻してきました。
それでも、夫が家事をやつてくれているのを取り上げるのも偲び難く(笑)
甘えた毎日を過ごしています。
夫も試練の日々でしたが、予行練習になったのではと。
昨年の今頃は竹林の整備に励んでいました。
あの元気、骨折しなくてもあの元気はないかもしれません。
年々体力・・・・いや気力も落ちてくるものですね。
夫が退職してから、いろんなものを片付けてきました。
畑の小屋から始まって、公図片手に所有地の確認と整備、その一つが竹林でもあったのです。
そして今年は、山林を何とかとなくてはと考えていました。
どこだったかしらは、私。嫁にきた年に1度キノコ採りに連れていってもらっただけ。
夫はだいたいあの辺りだと。
義父の生前中、私たちの息子に界を教えてもらいました。
大きな台風が来た後、道が壊れて軽トラしか入れなくなってそれで息子だけ。
先日息子に聞いたら、分かるとのこと。
高速道路が通って山が変わってしまっているのです。
その山、義父が紀元2600年を記念して、カラマツを2600本植林したというのです。
私が嫁に来てからも、森林組合に間伐を2度してもらっていたはずです。
紀元2600年は昭和15年のこと、樹齢は80年を越えました。
どうなっているのだろう。
界あたりには赤松も植えられていました。
その赤松は松くい虫にやられている可能性も大です。
それならばそれなりの対処もしなくてはなりません。
木だって人間と同じ、樹齢80年は80歳なのです。
伐採するにも適期もあります。
孫の代に役に立てば、と思って植林したそうです。
木材価格は長い間低迷していました。
ここ20数年、プレカットの普及により、大工さんが手刻みするという建物は、一般住宅ではほぼ無くなりました。
赤松は、国内の木材では一番強度があり、梁として重宝されていました。
特に雪国では欠かせない木でした。
赤松は曲がっているので、プレカットでは無理、でも当初は大工さんがその部分を手刻みしていた時期もありますが、今あまり聞きません。
そこへきて松くい虫ですから。
暖かくなったら、とりあえず息子と夫と私、山に行って見ることにします。
どうやってもこのまま朽ちるまで置いておくことはできません。
義父が孫の代にはと植えた思いを叶えたいです。
そしてその後には息子が孫の代にと植林してもらいたいです。
問題は林道かなあ~、トラックが入らないことにはねえ。
やることが多すぎて、いつまでも安静にしている訳にはいきません(笑)
お読みいただきありがとうございました。
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いつもありがとうございます。
どうしたら、代々、山を受け継いでいかれるのでしょうね
若い人たちの、力が必要ですね
それで名前が紀子でした。
美恵子さんの深い思いが伝わりました。
でもやりきれないほどはいらないかも(笑)
さすがに1月も冬眠していると・・・・・大変です。
ポスティングしていてポストのお名前を見ていると、この方絶対昭和15年生まれだと思う方いらっしゃいます。
「勝」という字が入った方は戦中の方が多いし、名も時代を反映していますね。最近のキラキラネームは読めません。