お会いする誰もが、この閉塞感の漂う最近の日々を憂いている。麻生さんならずとも、この打開策があろうかと悩んでしまう。マスコミの朝から晩まで不景気話を繰り返し放映するのもいかがなものかと思う位だ。朝夕しかテレビの前に座らない私はともかく、一日家にいる家人は、何倍もの不景気の話を聞いている事となる。
「困ったいな、困ったいな」と言われる度に「何か困っていますか?」と聞き返す。よく考えれば・・・・家人には実際は何一つ困ったことはないのであるから。
この不景気だというムードがいっそう世の中の購買を落し悪循環になっているのである。
12月6日の信濃毎日新聞の「内山 節」氏の「風土と哲学」の102回目は、最近の世の中の事情を哲学的な視点で、それをやさしく解説してくれた。
久しぶりに現代が解明された気分になったのでご紹介しよう。
「私たちはいま、20世紀的の総決算を迫られているような気がする。近・現代史の総決算、と言ってもよいかもしれない。そんな思いをいだかされるのは、近代以降の人間たちがつくり出した仕組みが、次々に機能しなくなってきているからである。市場経済にもガタがきている。しかもそれを生み出した原因は、単なる不況や過剰生産ではなく、今日の市場経済の仕組み自体が、市場経済を瓦解させるという事態になっている。みずからが、みずからを破壊しているのである。」
つづいて「世界最強のアメリカがイラクでも、アフガニスタンでも勝てなくなった現実・・・先進国による軍事的な世界管理が不可能になったことを示している。
環境や資源の問題・・・私達の社会の存続に黄信号をともしている。
かって理想として描かれた近代社会がボロボロになっている。人々はお互いを無視し合う社会がひろがり、人々は自分の生きる世界がしだいになくなっていくかもしれないという不安をいだいている。」
以下・・かってに要約
現在の状況の比較としてよく話題になる1929年の大恐慌の時代だが、その当時人々は自由や民主主義を本気で信じていたし、社会主義という未来に希望をいだく人も大勢存在していた。進歩や発展に疑いをいだいていなかった。・・・明るい未来がくることを信じていた。
しかし今未来に向う時間が、明るい希望ではなく、少しずつ締め付けられていくような予感とともに展開している。
「すべてが無事でなくなっていくような予感。現在とはこんな時代である。死後に切実な未来を感じた伝統的な精神はすでになく、代わりに求めた現実世界の発展も信用できなくなった。・・・中略・・・・私達の社会に不安と無力感がひろがつていく。こんな状況をみていると、私にはひとつの時代が総決算の時を迎えているとしか思えない。市場経済や国家の側にもこの事態をたて直す力はなく、私たちの側は未来をつくる想像力をうしなっている。」
あー、なんと明快に言いきるのでしょう。・・・胸に落ちちゃいますよね。
でもこれで終わったら救いようがありません。続きます
「だから私たちは問いつづけなければならないのである。無事な自然と人間のあり方をつくりだすにはどうしたらよいのか。無事な社会をつくるにはどうしたらよいのか。無事な世界はどうしたらつくれるのかを。」
長くなりました。読むのもお疲れでしょうから、続きはまた。氏のシリーズも続きそうです。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家