浅野右橘(ゆうきつ)先生は、私の最初の俳句の師である。前にも書いたが、私が精神障害者リハビリ施設の所長をやっていたころ、嫌がりもせず障害者の俳句指導に来てくださった方である。
浅野先生が88歳で亡くなってから、早いものでもうじき3年になる。
浅野先生は数々の名句を残した。中でも私が好きな句は次の句である。
なもといふ名古屋言葉を涼しとも
「なも」というのは、「そうだなも」というように用いられる。このような名古屋弁を話す人は急激に減っている。
季語は「涼し」で季節は夏である。「涼し」が夏の季語とは奇妙に思われる方もおられるだろうが、昔の人は夏の暑い時期のちょっとした涼しさに敏感だったと思われる。
この句は場所は忘れたが、どこかに句碑となって残っている。浅野先生の句碑は名古屋市内に20ほどある。
浅野先生が88歳で亡くなってから、早いものでもうじき3年になる。
浅野先生は数々の名句を残した。中でも私が好きな句は次の句である。
なもといふ名古屋言葉を涼しとも
「なも」というのは、「そうだなも」というように用いられる。このような名古屋弁を話す人は急激に減っている。
季語は「涼し」で季節は夏である。「涼し」が夏の季語とは奇妙に思われる方もおられるだろうが、昔の人は夏の暑い時期のちょっとした涼しさに敏感だったと思われる。
この句は場所は忘れたが、どこかに句碑となって残っている。浅野先生の句碑は名古屋市内に20ほどある。