新聞の投書欄ほどつまらないものはない。理由はいくつかある。
ひとつは読者の名を借りながら、投書の内容は新聞社の意見だからである。
二つ目は内容が道徳的過ぎることである。「老人には席を譲ろう」、「タバコのポイ捨てはやめよう」のたぐいが多すぎるのである。この点を衝いて「大衆は修身が好きなのだ」と喝破したのはエッセイストの故山本夏彦氏である。
三つ目は「投書者交流会」のようのものがあるらしいということだ。投書を趣味にしていて、何度も掲載された人たちが仲良しクラブのようなものを作っているという。会員は老人が多い。
投書欄の編集者はこのクラブを無視できず、ときどき載せてあげなければならない。奇妙な世界が出来上がってしまっている。
投書欄に「若い声」なぞと銘打って、10代の意見ばかりを載せることがある。これは老人のクラブに新聞社が対抗するためにむりやり作った企画ではないか。
老人と若者の投書欄と言われて久しい。働き盛りの投書が極めて少ない。投書数は少なくないのだろうが、当たり障りのない意見を載せようとすると、働き盛りの意見は鋭すぎて投書欄には向かないのだろう。
まあ、新聞社には末永く、投書欄に「修身」を載せていただくしかない。ご苦労様。
ひとつは読者の名を借りながら、投書の内容は新聞社の意見だからである。
二つ目は内容が道徳的過ぎることである。「老人には席を譲ろう」、「タバコのポイ捨てはやめよう」のたぐいが多すぎるのである。この点を衝いて「大衆は修身が好きなのだ」と喝破したのはエッセイストの故山本夏彦氏である。
三つ目は「投書者交流会」のようのものがあるらしいということだ。投書を趣味にしていて、何度も掲載された人たちが仲良しクラブのようなものを作っているという。会員は老人が多い。
投書欄の編集者はこのクラブを無視できず、ときどき載せてあげなければならない。奇妙な世界が出来上がってしまっている。
投書欄に「若い声」なぞと銘打って、10代の意見ばかりを載せることがある。これは老人のクラブに新聞社が対抗するためにむりやり作った企画ではないか。
老人と若者の投書欄と言われて久しい。働き盛りの投書が極めて少ない。投書数は少なくないのだろうが、当たり障りのない意見を載せようとすると、働き盛りの意見は鋭すぎて投書欄には向かないのだろう。
まあ、新聞社には末永く、投書欄に「修身」を載せていただくしかない。ご苦労様。