今、格差社会というけれども、懐かしの昭和30年代の格差は今の比ではなかった。
まず、農村と都市部の格差がひどかった。農村部の子供たちは、口減らしのために都市部へ奉公に出された。中卒者の集団就職がその好例である。
都市部の子と、農村部の子とは教育レベルが全然違っていた。だから中卒で都市に出された子供たちは、きちんとした技能を身につけることができなかった。
格差は都市部にもあった。自家用車に乗っている層もあれば、何度も言うように「寝食分離」さえできない層があった。
私が「寝食分離」でなかったころ、夏休みに母が勤めていた会社の保養所に行ったことがある。
保養所(場所は御用邸がある葉山である)と言っても、ただの平屋の一戸建てで、管理人がいるわけでもなかったから、私たちは米や缶詰を持って、そこへ行った。それでも結構楽しかった。洗濯も調理も自分でやるのだが、子供の私にとっては、海が近くにあるというだけで嬉しかった。
そのとき、びっくりしたのが、保養所の周囲の西洋館群である。豪壮な建築にガレージが付いている。ガレージの中には外車だけでなく、運搬車に乗せられたモーターボートがあった。住人はむろん日本人である。
子供の私は、たまげてしまった。個人でモーターボートを持っているというのが信じられなかった。(今で言えば、自家用ジェット機みたいなものだ)。
昭和30年代の良き時代、その時代を「良き」と思う人が多いけれども、「苦難の時代」だったと思う人も、また多いのではなかろうか?
まず、農村と都市部の格差がひどかった。農村部の子供たちは、口減らしのために都市部へ奉公に出された。中卒者の集団就職がその好例である。
都市部の子と、農村部の子とは教育レベルが全然違っていた。だから中卒で都市に出された子供たちは、きちんとした技能を身につけることができなかった。
格差は都市部にもあった。自家用車に乗っている層もあれば、何度も言うように「寝食分離」さえできない層があった。
私が「寝食分離」でなかったころ、夏休みに母が勤めていた会社の保養所に行ったことがある。
保養所(場所は御用邸がある葉山である)と言っても、ただの平屋の一戸建てで、管理人がいるわけでもなかったから、私たちは米や缶詰を持って、そこへ行った。それでも結構楽しかった。洗濯も調理も自分でやるのだが、子供の私にとっては、海が近くにあるというだけで嬉しかった。
そのとき、びっくりしたのが、保養所の周囲の西洋館群である。豪壮な建築にガレージが付いている。ガレージの中には外車だけでなく、運搬車に乗せられたモーターボートがあった。住人はむろん日本人である。
子供の私は、たまげてしまった。個人でモーターボートを持っているというのが信じられなかった。(今で言えば、自家用ジェット機みたいなものだ)。
昭和30年代の良き時代、その時代を「良き」と思う人が多いけれども、「苦難の時代」だったと思う人も、また多いのではなかろうか?