お経とは、もともと梵語で書かれていた仏教の教えを漢字に翻訳したものだろう。
それを音読みにするから、お経は意味が全然分からなくなってしまった。
意味が分からなくても、お経を聞いていると、なんだか厳かな気分になるから不思議である。法事にお経は欠かせない。
念仏さえ唱えていれば極楽へ行けると説いたのは法然だったか一遍だったか忘れたが、卓見である。
文字もろくに読めぬ昔の人々には、とてもマッチした教えだと思う。庶民にはインド哲学の難しい内容は理解できない。
今のわれわれも同じである。意味も分からずに厳かな気分になっていれば、それでよいのである。
それを音読みにするから、お経は意味が全然分からなくなってしまった。
意味が分からなくても、お経を聞いていると、なんだか厳かな気分になるから不思議である。法事にお経は欠かせない。
念仏さえ唱えていれば極楽へ行けると説いたのは法然だったか一遍だったか忘れたが、卓見である。
文字もろくに読めぬ昔の人々には、とてもマッチした教えだと思う。庶民にはインド哲学の難しい内容は理解できない。
今のわれわれも同じである。意味も分からずに厳かな気分になっていれば、それでよいのである。