子供のころ随分距離があると感じたところを、大人になってから歩いてみると、あれ?こんなに近かったのかと驚くことがある。
それは、子どもの足の歩幅が小さく、かつ筋力もなかったから当たり前のことである。
電車やバスで、老人には席を譲れという。私も2回、譲られたことがある。譲ってくれたのは2件とも子どもだった。私は彼らに感謝し、ありがたく席を譲ってもらった。
しかし、老人と言っても、私たちくらいだとまだ子どもの足よりは強い。すなわち、私は自分たちよりも弱い者から席を譲ってもらったことになる。
西洋では(日本でも)子どもは車内で座るなというしつけがある。でも、これは子どもには酷なしつけである。
子どもが吊り革に手も届かず、そのまま立っているのは、実は私たち初老の者が立っているよりよほど苦痛である。
単に苦痛かそうでないかという理屈だけから言うなら、小学生以下は座り、70歳くらいまでは立っているべきである。
それは、子どもの足の歩幅が小さく、かつ筋力もなかったから当たり前のことである。
電車やバスで、老人には席を譲れという。私も2回、譲られたことがある。譲ってくれたのは2件とも子どもだった。私は彼らに感謝し、ありがたく席を譲ってもらった。
しかし、老人と言っても、私たちくらいだとまだ子どもの足よりは強い。すなわち、私は自分たちよりも弱い者から席を譲ってもらったことになる。
西洋では(日本でも)子どもは車内で座るなというしつけがある。でも、これは子どもには酷なしつけである。
子どもが吊り革に手も届かず、そのまま立っているのは、実は私たち初老の者が立っているよりよほど苦痛である。
単に苦痛かそうでないかという理屈だけから言うなら、小学生以下は座り、70歳くらいまでは立っているべきである。