私が小学校6年生のとき、ハナ肇とクレージーキャッツというコミックバンドの「スーダラ節」が爆発的に流行しました。
「サラリーマン」、「気楽」、「無責任」がキーワードでした。「タイムレコーダを押せば、あとはどうにでもなる」とか「無責任なのがよい、こつこつやる奴はご苦労さん」とか、日本人の勤勉さに少し水を指しているところが受けたのでしょう。
これらがヒットした伏線に源治鶏太の一連の「サラリーマン小説」があったかもしれません。
むかしのサラリーマンの仕事は少なくとも3Kではありませんでした。当時、国民の半数を占めた農業者の労働は3Kでしたから、国民の志向性がサラリーマンへと向かっても不思議ではありませんでした。(農業が3Kの仕事だった象徴は、下の写真にあるような「肥えたごかつぎ」でしょう。肥料にするために糞便を寸胴な桶(肥えたご)に入れて天秤棒で運んだのです。今この作業ができる日本人はいないのではないでしょうか?)
高度成長時代、人口は農村部から都市部へ流れ、農業人口の減少とサラリーマン人口の増加が起こりました。集団就職が行われ、地方から見た東京をテーマにした歌謡曲が何曲も流行りました(2014-08-13 に記載)。都会のサラリーマンが憧れられた時代でした。
しかしながら現在、サラリーマンはもっとも過酷な階層になってしまったようです。決して高くない賃金はガラス張りで、源泉徴収という水も漏らさぬ徴税制度が適用されています。経営者側の都合だけで、できもしない成果主義を押し付けられて、それに反論もできず、自分はダメな社員だと思い込む。「肥えたごかつぎ」こそやらないですむものの、思考まで奴隷化させられてしまったのでしょうか?
(映画「一枚のハガキ」。allcinema より引用。)