院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ダーウィンの進化論はそんなに正しいのでしょうか?(その3)

2014-11-21 08:04:36 | 読書
   
(『だんだん物語』の原書。)

 「キリンの首はなぜ長いの?」という子どもの質問があります。それに対して、高い木の葉っぱを食べようとしていたら、だんだん首が長くなったんだよ、という大人の答えが上掲の『だんだん物語』という子ども向けの本には載っているそうです。

 それは「獲得形質は遺伝する」というラマルクの考え方で、正しくありません。しかし、いろんな分野で目的論的な説明がなされたのも事実です。たとえば、アステカの食人風習について、実はそれによってタンパク質不足を補っていたといったような説明がそれです。目的を別に設定して、現状を正当的に説明してしまうわけです。

 進化論も同じようなことをやっていると批判されます。アメリカのグールドという古生物学者が1978年「スパンドレル論文」と呼ばれる論文を提出して、合目的論者を批判しました。自然淘汰だけによって進化は行われてきたのではなく、偶発的な事件によることが大きいというのが論文の主旨です。

 スパンドレルというのは大聖堂の球場天井の建築のことらしく、そこにはキリスト教の聖者たちが描かれています。聖者たちがあまりに荘厳に描かれているので、スパンドレルという建築構造は絵画を立派に見せるために設計されたように見えますが、じつは力学的な構造に過ぎないのだそうです。

 現在の進化論は、スパンドレルが絵画用に作られたと主張するようなことを、進化の説明で行っているというのがグールドの主張です。勝手に「目的」を設定してはいけないというわけですね。

 それに対して、ドーキンスという人が、生物は必ずしも最適に適応化した行動をとっているわけではないと実例を示し反論しました。完全に合目的的な行動をしなくても生物は生存しうるのであり、それらの行動が合目的的ではないことを示すためにも、やはり合目的的な尺度を措定して比較しなければならない、としました。

 この論争は20年続いたそうです。結果はどうかというと、生物は合目的的な存在だと決めてかかって研究した方が、疑って研究するより成果があがることが示され、いまのところ合目的論者(適応主義者)のほうが”実用的には”分がよいそうです。

 以上のようなことが『理不尽な進化』には書かれています。ここから先は、学問を研究するときの認知の仕方といった哲学的な考察に入っていきます。次回になるべく分かりやすく解説します。