院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

年賀状考(その1)

2014-11-25 05:47:23 | 文化

(日本橋郵便局元旦出発式。日本橋経済新聞より引用。)

 私はたぶん、小学校で年賀状について教わってから、これまで一年も欠かさず年賀状を出してきたように思います。思いを込めたりそうでなかったり、年により相手によりさまざまでした。

 子どもの写真を年賀状に載せるのは、子どもがいない人への配慮に欠けるのではないか?との議論が毎年行われますが、くだらないと思います。年賀状に写真をつけるのが容易になってから、年賀状のバラエティーが増えて面白くなりました。

 その年に旅行に行った写真が割と多いです。この人は家族であそこに行ったのかぁと思いめぐらすのも楽しみです。(子どもの写真云々をあげつらう人は、家族がいない人はどう思うか、旅行するゆとりがない人には酷だと文句を言うのでしょうか?そういう人は友だちにしたくありません。)

 とどのつまり、年賀状は存在証明だと私は思っています。ですから、子どものころは意匠を凝らしましたが、せんだってまでは一色刷りの印刷で済ませました。ただし、住所電話番号メールアドレスといった基本情報は遺漏なく載せています。(電話番号以下がない人がいますが、それらを知っていてほしくない相手なら年賀状も必要ないでしょう。)

 私は昨年の年賀状には3人目の孫との写真を載せました。やはり文章だけよりも写真は多くを語りますね。今年も写真を載せる予定です。

(年賀状ではありませんが、論文や著書を出すとその別刷や初版本を知りあいに贈る習慣があります。いただいたら読まないうちにでも礼状を返すのが常識です。以前に別刷や著書を贈ったら、半数以上の人がナシのつぶてで驚きましたね。ただし、実力がある人や社会的に活躍している人からは、すぐに返事が来ました。)


※今日、気にとまった短歌

  不用心だからと母は言いながら父の下駄そのままに十六年  (豊田市)徳井晃子