院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ソースご飯

2006-10-16 13:11:43 | Weblog
 子供のころ、ご飯にウスターソースをかけて、それだけで食事をすませたことがある。同じ経験がある人も多いことだろう。

 このソースご飯は、なかなかおいしいものである。栄養はないかもしれないが、それならおにぎりだって栄養がない。

 ソースカツ丼というのがあることを最近知った。ソースご飯の上にトンカツが乗っているのだもの、さぞおいしいだろう。

 ただ残念なことに私は少食で、どんぶり飯一杯を食べきれない。「ソースカツ丼あります」と書かれた店の前を寂しく通り過ぎるしかないのだ。

刑罰と矯正

2006-10-15 13:59:58 | Weblog
 裁判で「矯正不能なので死刑に処す」とかいう判決がある。ならば、矯正可能ならば死刑にしないのか?

 刑罰は刑罰であって、矯正ではない。懲役を科せられて、「二度とこうはなりたくない」と思わせるのが矯正である。

 そこのところが最近は乖離してしまって、懲役を矯正と同義語に使用する向きがある。矯正指導なぞ不可能である。それは出所者の50%が再び刑務所に戻って来ることからも分かる。

 刑務所は矯正施設ではなく、刑罰の施設であるべきである。昨今の人権主義で、受刑者の人権は守られ過ぎている。どこかに嘘が感じられる。

 犯罪者が矯正可能と言い張るのは、きれいごとである。反省文なぞ書かせても何の役にも立たない。

 司法は矯正なぞということを言わずに、罪人にはそれなりの罰を与えなくては、そのうち信頼を失うだろう。 

戦争前夜

2006-10-14 08:23:57 | Weblog
 北朝鮮は近々第2の核実験を行うであろう。そうなると国連は軍事制裁を含めた決議を行うであろう。

 必ず北朝鮮は軍事的に反撃に出る。体制を守るだけが目的で、国民は洗脳されているから、軍事行動はためらわれないだろう。

 北朝鮮の攻撃はアメリカ本土ではなく、まず韓国と日本に対して行われるだろう。そして、日本の客船が魚雷攻撃されて、数百名規模の犠牲者が出たりでもすれば、あんなに改正を反対されていた憲法第9条も、すんなりと国民投票で改正されてしまう。

 これで、日本は北朝鮮と戦争を始めることになるだろう。あんなに嫌っていた戦争をだ。

 アメリカ本土も安泰ではいられない。北朝鮮が潜水艦で核の自爆攻撃をやれば、アメリカ沿岸のどこかの都市に大打撃を与えることができる。ミサイルなぞ開発されていなくても、アメリカ本土に核攻撃を加える手立てはあるのだ。

 これらの戦闘にイランやイスラエルが便乗してくれば、第3次世界大戦になる。

 1年以内に戦闘が起きると、私は思う。今は戦争前夜なのだ。なのに夜の街にはネオンが輝いている。

 戦争前夜があまりに静かなことに驚嘆する。

定年制に見るお国柄

2006-10-13 13:03:24 | Weblog
 わが国ではサラリーマンの間で、どちらかと言えば定年を延長してほしいというムードがあるのではないか。

 それは年金制度への漠然とした不安から生じてきたムードだと思う。

 何年か前、フランスでトラック運転手が大規模なストを打った。要求は「定年を延長するな」というものだった。(確かフランスのトラック運転手の定年は50歳であったと記憶する)。

 フランスのトラック運転手は定年後の悠々自適を楽しみにしていたのだ。そこに定年延長の話が出てきて、ストに至ったのだろう。

 わが国は定年を65歳まで延長せよという声がある。一方、フランスでは50歳以上への定年延長に反対である。

 彼我の差には大いに考えさせるものがある。

チック

2006-10-12 12:47:33 | Weblog
 チックという症状がある。意味もなく瞬きをしたり、首をひねったり、声を出したりする症状である。症状と言うより癖と言ってもいいかもしれない。

 タレントのビートたけしさんが肩をひねるのもチックである。

 小学生高学年に多い。じつは私もそのころ瞬きのチックがあった。母は私を眼科に連れて行った。そこでの診断は「逆さまつ毛」とのことで、私はまつ毛をピンセットで抜かれた。

 チックの治療は、本当は放置するのがよい。親もチックを無視して、チックのことにまったく触れないのがよい。そうすれば自然に良くなる。

 「治療」として目をいじったり、親がチックを気にし過ぎると、チックはかえって悪くなる。

 私のまつ毛を抜いた眼科医は、そのようなことも知らなかったのだ。不勉強を恥じて欲しい。まつ毛を抜かれ、親が毎日心配していたにもかかわらず、私のチックが治ったのは、奇跡的でさえある。

録音(放送)とナマの違い

2006-10-11 08:30:00 | Weblog
 音楽なら、私は一流プレイヤーの録音を聴くより、二流のナマのほうが好きだ。ナマは聴衆の拍手や微妙な反応がプレイヤーに通じて、演奏に大きな影響を与える。そうした「対話」が好きである。

 録音や放送だと、聴衆の反応なぞ関係ない。録音や放送と聴衆が交流することなぞ、ありえない。ナマ演奏での聴衆とプレイヤーの微妙な交流こそが、音楽の醍醐味である。

 ナマであることの重要性は、方言のことを考えれば分かる。

 TVもラジオも、一日中、標準語で放送を流している。その影響で日本中の人々が標準語を話すようになったかと言うと、そんなことはない。方言は地方地方できちんと生きている。

 それは方言がナマだからで、生活に直結しているからである。一方、録音や放送は、地域生活に影響しない生きていない言葉である。

 これがナマの持つ大きな力で、方言は生きた言語である。そのコミュニティーを支えているのは方言である。だから、録音や放送がいくら標準語を流し続けても、方言への影響は少ない。

 音楽も(二流でも)ナマのほうが良いのは、今その場所で生きている人間がやっている音楽だからで、リアルであることが人間に感銘を与えるのである。

絵画の価値

2006-10-10 12:51:59 | Weblog
 亡父が美術館巡りが好きだった関係で、私は小さいころからよく美術館に連れられていった。これまで多くの名品を見てきた。自分でも油絵や水彩画を描いていた。

 しかし、私には未だに絵画の良さが分からないことを白状しておこう。

 まず値段の付け方が分からない。私が良いと思う作品が意外に安かったり、その逆も多い。

 良いと思っても、その作品を欲しいとは思わない。複製で十分だと思ってしまう。

 私の診療所に飾ってある版画は、いずれも安物である。でも、私には美術館に飾ってある名品との差が分からない。

 素人でほんとに絵画の良し悪しが分かる人は、わが国にどれだけいるのだろう。小さいころから絵画に親しんできた私がこのていたらくなのだから、ほんとに絵画が分かる素人は、そんなに大勢はいないのではないか。

 大家が良いと言うから、それに倣って良いと言っている素人がほとんどなのではなかろうか。

TVの時代終わる

2006-10-09 08:45:58 | Weblog
 「最近TVが見たくなくなりましたか?」というのが、これまでのうつ病診断の決まり文句だった。

 「前は面白かったのですけれど、最近はTVを見たいとも思わなくなりました」という回答が来ると、うつ病の兆候だった。

 それがこの頃は違ってきた。「TVはつまらないから、もともと見ないんです」という答えがかなり多くなってきた。これでは、うつ病の診断には使えない。

 確かに最近のTVは面白くない。芸人がギャーギャーと騒ぐバラエティー番組がやたらに多く、本当に面白くない。聞くところによると、特定の番組だけではなく、TV全体の視聴率が減ってきているのだという。

 もうTVの時代は終わったのかもしれない。一時はTVのおかげで、映画館の利用者が減ったと言われたけれども、TVも飽きられてきたようだ。

 次なる国民的娯楽は何だろう。こういうことを書くのが娯楽である私にとっては、次なる娯楽は皆目見当が付かない。

アメリカの医療制度と医学教育

2006-10-08 09:47:14 | Weblog
 アメリカのスペースシャトルの技術はすごい。アメリカの軍備もすごい。でも、すべての分野でアメリカがすごいわけではない。

 アメリカは医療の値段がバカ高い。出産費用は一件100万円である。それでいて質は日本より優れているわけではない。

 移植医療は日本より格段に広く行われている。でも、それは技術の差ではなく、制度の違いである。

 アメリカの健康保険制度はひどいものである。アメリカの健康保険は主に民間が行っているので、保険会社は医療費を値切ろうとする。その結果、保険を使うと限られた医療しか提供されない。保険に入っていなければ、医療を拒否されることもある。

 それに比べると、わが国の健康保険制度はずっとうまくいっている。お金の心配をあまりせずに、患者は必要なときに必要な(しかも最高度の)医療を受けられる。アメリカから見たら、夢のような話である。

 しかし、そのようなことは、日本ではあまり知られずに、まだ健康保険制度が不備であるとか、医師が怠慢であるとか、批判にさらされている。まったく道理が通らない批判である。

 ひとつはマスコミが20年以上続けている医師批判が影響している。(医師批判に比べて、看護師批判というのはないのが不思議である)。もうひとつは、政府の医療費削減政策である。今でさえ、医療費は国民一人当たりアメリカの半分である。それをさらに減らそうとする政府の真意が分からない。

 費用対効果という観点と、いつでも誰でも医療を平等に受けられるという観点から見れば、日本の医療は世界一である。健康的平均寿命も世界一である。なのに批判され続けている。あまり批判を続けると、そのうち医師のなり手がなくなり、その結果、医師の質が落ちて、そのツケは国民に回ってくることになる。(すでに産科が激減している)。

 話変わって、アメリカの医学教育について。

 アメリカは普通の大学を出て、そのあと医学部に行くようになっている。わが国では、「一定の社会常識を身につけてから医学部に入るのは、成熟した医師を育てられるから良いことだ」という論調がある。ここにも、なんでもアメリカは良いという発想の片鱗が見える。

 でも、それは違う。医学部では解剖学など無味乾燥な分野をマスターしなければならない。解剖学では、体の細かい血管や小さな骨の名称を何百何千と覚えなくてはならない。それも、日本語とラテン語とである。

 こうした訓練は若いうちにやらなければ駄目である。医師には社会経験も必要だろうが、それは医師になってからもできることである。記憶を主とする科目は、若いうちにやっておいたほうが良いことは議論の余地がない。

 だから、アメリカのように大学を出てから医学部に入るというのでは、もう遅いのである。すでに頭が固くなってしまっている。アメリカの医学生が、日本の医学生に比べて、解剖学的知識がどれだけあるか、疑問である。アメリカの学生が一番嫌いな科目はラテン語だそうである。

 日本の医療制度、医学教育はいずれもアメリカより優れていることを、多くの方々に知っていただきたいと思い、この稿を起こした。

赤い羽根考

2006-10-07 13:08:49 | Weblog
 少年のころ、今は亡き父と街へ出た。私と同世代の少年少女が「共同募金お願いします」と大声で呼びかけていた。

 父は「何にも分からない子供たちを、募金に動員するのはけしからん」と言っていた。そんなものかなあと私は思った。

 それにしても、赤い羽根共同募金は、いくらくらいの額を集めるのだろうか?そして何に使うのだろうか?

 むろん発表されているのだろうが、私は知らない。

 国会議員も一様に赤い羽根を付けている。これほど全国的な活動なのだもの、集める額は相当なものだろう。

 ということは、専従職員がいるはずである。専従職員は募金の一部をピンハネして生計を立てているのだろう。しかし、専従職員を募集しているという話を聞かない。誰が取り仕切っているのだろうか?

 大昔のことだが、赤い羽根で不正が行われたことがあったように記憶する。あるいは、記憶違いかもしれないが・・・。

 赤い羽根はもう止められない。専従職員や仕切り屋の職を奪うことになるからである。「赤い羽根」は秋の季語にさえなっているし・・・。

 最近、亡父が言っていたことが、ようやく私にも分かってきた。金が動くところには、必ず裏というか闇があることを知る年齢に、私もなったということである。

北朝鮮の核実験宣言

2006-10-06 09:18:28 | Weblog
 以前、北朝鮮が核保有宣言をしたとき、私は北朝鮮は核を本当に持っており、ハッタリではないと思うとこの欄に書いた。

 そうしたら、今度は核実験宣言が出た。今回も北朝鮮は本当に核実験を行うだろう。国連がいくら圧力をかけても、各国が制裁を加えても、北朝鮮は核実験を思いとどまることはないだろう。

 理由は簡単である。宣言をした以上、核実験をしなければ、オオカミ少年として世界からあなどられるからである。アメリカは絶対に二国間協議に応じないだろうし・・・。

 インドやパキスタンも核実験をしたが、世界の態度はさほど厳しくはなかった。北朝鮮はその辺りのことを見ているだろう。

 北朝鮮が核を持っていることを世界に知らしめれば、イラクのように攻撃されることもないだろう。そのメリットを考えれば、経済制裁なぞものの数ではない。

工場見学その3

2006-10-05 13:17:36 | Weblog
 名古屋の近郊に「お菓子の城」というレジャー施設がある。お菓子(砂糖)でできた家の模型や花束が飾ってあって、見事である。

 この施設には玉子ボーロの製造プラントがあり、誰でも見学することができる。

 ボーロのタネがコンベアの上を流れていくうちに焼けるのであるが、面白いのは最後の工程である。

 ボーロは大きくても小さくてもいけないようである。だから、工程の最後にふるいがある。まず規格より大きいボーロをふるいに引っ掛ける工程、つぎに規格以下のボーロをふるい落とす工程がある。

 たかが玉子ボーロでも、これだけの注意を払って製造されていることに、私はほとんど感動した。

 規格外のボーロは再利用ができない。職員が持って帰って子供に食べさせるのかどうかは、聞かなかった。

患者さんは暴力団組長

2006-10-04 07:14:29 | Weblog
 昔、暴力団のB組長が患者として私のところへ来た。毎日、恐怖感があって眠れないとのことだった。

 その組長は気が荒く、自宅の前でクラクションを鳴らした車にかっとなり、木刀で車のガラスを割り、車全体をべこべこにしてしまったという。運転手が驚いて土下座しているところに、車の代金だと300万円の札束をポンと投げたという「武勇伝」の持ち主である。

 話をよく聞いてみると、息子の出来がよく、東大に受かったという。息子にまっとうな道を歩ませるには、自分が暴力団から足を洗わなくてならない。でも組長ともなると、指を詰めるだけでは駄目で、左腕をちょんぎって上層部に差し出さなければならないということだった。

 B組長は、それでノイローゼ状態になっていたのだ。

 そこで私は、上層部のA組長を呼んだ。暴力団の組長を相手にするなんて、私としても初めてで、かなり恐ろしかった。しかし、A組長は温厚な人だった。暴力団でも組長と下っ端とではずいぶん違うのだなと思った。

 私はB組長の現状を、A組長に縷々語った。そして、「あなたがB組長の立場だったらどうされますか?」と迫った。

 A組長は、しばらく考えた後、「先生がそこまでおっしゃるのなら、ここは先生の顔を立てましょう」と言った。

 その後も紆余曲折があった。金銭の授受など、私が知らない駆け引きが多々あったことだろう。でも、なんとかB組長は左腕を差し出さずに、足を洗うことができた。息子は優秀で東大在学中に司法試験に受かった。今は立派な弁護士になっている。

 私としては生涯忘れられない、恐ろしいやり取りだった。交渉期間中は、寝てもその事を考えていた。暴力団には二度とかかわりあいたくないと思う。そして暴力団の手打ちの仲介なぞ、医者の仕事ではないとも思う。

 (なお、この記事はB組長を初め関係者の承諾を得て掲載しました)。

ホステスがいる酒場

2006-10-03 13:25:05 | Weblog
 ホステスがいる酒場は高いし面白くないから、私はまず行かない。でも、友達の付き合いでまれに行くことがある。

 似顔絵からも分かるとおり、私にはセックスアピールがないから、当然モテない。イケメンの友人はたいそうモテる。その差は歴然である。

 ホステスもいくら仕事とは言っても、やはりイケメンのほうが楽しいのだろう。でも、それではプロフェッショナルではない。

 行ったことがないから想像だが、一流の店ならホステスが客を差別することはないだろう。

 二流以下の店にしか行かないから、それなりの待遇しか受けられないのだ。もっとも、ホステスにモテても、どうと言うことはないけどね・・・というのはモテない男のひがみか。

工場見学その2

2006-10-02 13:29:57 | Weblog
 オートメーションの時代になっても工場見学は面白い。オートメーションが人間技の完璧なコピーだからである。しかも高速である。

 ビール工場で、ビールが次々と瓶詰めされて栓をされ、送り出されていく光景は壮観である。

 きょうびはドーナツもオートメーションで作る。ドーナツのタネを入れるバケツのようなものがあって、その下に雨どいを一回り大きくした「川」が2メートルほどある。その「川」には熱せられた油が流れている。

 どういう仕組みかは分からないけれども、タネを入れたバケツの底からイカリングくらいの大きさのタネが雨どいの端にポトッと落ちる。そのタネは油の「川」をゆっくりと流れていく。そして、雨どいの終点に来たとき、ドーナツが揚げあがっている。

 イカリングは次々と出てくるので、雨どいはドーナツでいっぱいになる。流れるうちにドーナツはだんだん膨らんでいく。ドーナツが流れる速さをどのように調節しているのかは謎である。

 いずれにせよ、こういう装置があるからミスター・ドーナツは商売ができるのだろう。

 ただ、ドーナツは暖かいうちに食べたほうがおいしい。ミスター・ドーナツのドーナツは冷めきっているので、私はあまり買わないが・・・。