院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

金色夜叉

2007-04-15 15:08:42 | Weblog
 尾崎紅葉の名作「金色夜叉」では、貫一お宮の熱海での場面が有名である。

 このとき、貫一はお宮を足蹴にするのだが、そのとき貫一は下駄をはいていたか、靴をはいていたかが今回のテーマである。

 田舎芝居だと貫一はたいていホウバ(下駄)をはいている。

 TVなどのコントでも下駄をはいている。しかし、下駄で蹴られたら怪我をするのではないか?

 原典に当たってみた。

 本文中には貫一が何をはいていたかが書かれていない。ただ「宮が衣(きぬ)のはだけて雪はずかしく現せる膝頭は、おびただく血に染みて震うなりき」という記述があるだけである。

 ただ、初版本の浮世絵風の表紙絵では、貫一は靴をはいている。

 巷間、貫一は熱海では下駄をはいていたことになっているけれども、実は靴をはいていたのではないか?

 初版本の表紙に紅葉から文句は出なかったようだから、やっぱり貫一は靴をはいていたと考えるのが妥当である。

オートキャンプ

2007-04-14 10:41:19 | Weblog
 キャンピングカーとトレーラーハウスというのは、同じものだろうか?

 細部は違うのだろうが、車で寝泊りする点は同じなので、同じようなものとして論じたい。

 そもそもオートキャンプというのは面白いのだろうか?アメリカでは流行しているようである。国土が広く、宿のない場所も多いだろうから、うなづけないでもない。

 日本でオートキャンプをするのは、どういう意味があるのだろうか?

 日本は狭く、いたるところに宿屋がある。なぜ車で旅行して宿屋に泊まらないのだろうか?

 宿屋は値段が高いという考えがありうる。でも、キャンピングカーだって相当に高い。キャンピングカー一台分の金で、何回、宿屋に泊まれるだろう。

 オートキャンプは宿屋のように予約が要らない。だから、いつでも予定を変更して別の場所に行くことができる。この点は、キャンピングカーの大きなメリットだろう。

 デメリットも大きい。ひとつは食事の材料や水を仕入れて、自分で調理しなければならないという点である。それなら、家に居るのと変わらないではないか。

 また、し尿の処理が大変である。掃除も必要である。

 オートキャンパーは、そういうこともトータルにして、オートキャンプが楽しいのだろう。ものぐさな私には絶対に向かないレジャーである。

羊に関する疑問

2007-04-13 13:11:45 | Weblog
 羊について、いくつかの疑問がある。

 羊には何種類もの品種があることは知っている。これらの品種というのは、犬にシェパードやチワワがあるのと同じようなものなのだろうか?

 だとしたら、雑種の羊というのもありうるのだろうか?

 ジンギスカンで使う羊の肉は、どういう品種のものなのだろうか?羊なら何でもよいのだろうか?

 今ごろが綿羊の毛を刈り取る季節である。報道に「毛を刈り取られた羊は涼しそうに・・・」という決まり文句があるけれども、それは人間が勝手に見立てたことであって、羊がほんとに涼しがっているかどうかは分からない。

 毛が抜けるというのなら分かるが、毛を刈るというのは、羊にとって自然なことではない。だから、むしろ羊は不快なのではないか?

 もっとも、いつぞや述べたツルを巻かないアサガオの種(人間が手を加えなければ発芽できない)のように、綿羊は人間が毛を刈り取ってやらなければ熱中症になってしまうような品種なのだろうか?

 これしきのことを私たちは知らない。昔の羊飼いは知っていたのだろうか?

商品名

2007-04-12 11:59:31 | Weblog
 すでに述べたように、アクアラングは商品名である。それなのに一般名のようになってしまった。

 セロテープも商品名である。だからNHKでは、セロテープと言わずにセロハンテープと言う。

 エレクトーンもヤマハの電子オルガンの商品名である。

 パワーポイントはパソコン画面を投影するソフトの商品名であるが、これも一般名のようになりそうである。

 正露丸は逆のケースである。正露丸は商品名でなくて、一般名である。だから、どこの会社でも正露丸を名乗ってよい。事実、正露丸は大小10社ほどから出されている。

 正露丸は、わが国がロシアを敵視していた時代に作られたので、もとは征露丸といった。でも、それではロシアに対して失礼という時代になって、正露丸に改められたという経緯がある。

白人、黄色人種、黒人

2007-04-11 09:15:50 | Weblog
 紫外線が皮膚に悪いことは広く知られるようになった。

 オーストラリアでは、子供が外出するときにはツバの広い帽子をかぶることが義務付けられている。皮膚がんのリスクを減らすためである。

 でも、外出時にいちいち帽子をかぶるなんて、変ではないか?しかも、それが義務なのである。

 こんな妙な事態になった大もとは、白人がオーストラリア大陸という亜熱帯に移住したことにあると、私は見ている。

 人間の進化の過程を見ると、白人は北方、黄色人種は温帯、黒人は熱帯に適応してきた結果だと思われる。

 白人は太陽光の少ない地域にいたので、太陽光を吸収すべく白くなったのではないか?一方、黒人は熱帯に住み、太陽光を防ぐために黒く進化したのではないか?

 何億年という人間の進化の過程で、皮膚の色と居住地域は合理的に峻別されてきたのである。

 ところが航海術など、人間の移動の手段が発達したために、白人がオーストラリアのような亜熱帯に住むようになった。自然の摂理に反したのである。

 その結果、オーストラリアの子供は帽子を被らざるをえなくなった。

 逆のケースもある。奴隷貿易で黒人が温帯に運ばれた。黒人特有の遺伝病で、鎌状赤血球症というのがある。赤血球が丸くなく鎌のようなかっこうをしている。

 これは温帯では不利な赤血球である。だから温帯では「症」が付いて病気として扱われる。

 しかし、鎌状赤血球はマラリアに強いのである。だから、マラリアの多い地域では有利に働く。つまり、鎌状赤血球症は熱帯では病気ではないのである。

 昨今、文明によって自然が破壊されると、よく言われる。それは、大航海時代に人類が長距離の移動が可能になってから、すでに始まっていたのだ。

 人類学では、人種の細分類は許されていない。ただ、白人(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)、黒人(ニグロイド)という3分類のみが、わずかに許されている。

昭和30年代まとめ

2007-04-10 13:30:08 | Weblog
 延々と続いた昭和30年代の話題も、今日でひとまず打ち止めにする。

 昭和30年代といえば高度経済成長の始まりで、今日より明日、明日より明後日のほうが生活が向上しているという時代だった。

 TVは街頭テレビは前からあったけれども、家庭に入ってきたのはこの時代である。幼い私たちでさえ、映画館に行かずにただで映画が見られると喜んだものだ。

 夢中になったのは、月光仮面とスーパーマン。プロレスは大人も子供も熱狂した。

 内風呂が普及してきたのもこのころである。それまでは庶民は銭湯に通っていた。内風呂は最初はマキで沸かしていたけれども、すぐにガスに置き換わった。 

 新しい食材が家庭に入ってきた。これまで家庭では食べられなかったレタスが、八百屋の店先に出るようになった。家でレタスを食べた亡父が「このキャベツは、レストランで出るキャベツだ」と言っていたのが懐かしい。

 同じころ、チッコリという西洋野菜も店頭に並んだが、これはわが国に根付かなかった。

 車は庶民の家にはまだなかった。そうなるにはモータリゼーションが始まる昭和40年代まで待たねばならなかった。

 とにかくあわただしく変化する時代だった。人気絶頂の歌手は、美空ひばりさん、三橋美智也さん、春日八郎さん、三波春夫さんらだった。ビートルズやグループサウンズはまだ影も形もなかった。

寄生虫

2007-04-09 13:29:45 | Weblog
 再三にわたり昭和30年代の話で申し訳ない。

 当時、小学校のクラスの子のうち数人は寄生虫をもっていた。

 回虫やギョウ虫である。学校ぐるみで虫下し(確かサントニンという名称だった)を飲んで、それらの駆逐に励んだ。あの頃はアトピー性皮膚炎というのはなかった。

 寄生虫を撲滅してしまったので、人間の免疫系に異変が生じ、アトピー性皮膚炎が増加したのだという説が、最近になって出てきた。

 生態系という観点から見れば、寄生虫は悪行ばかりしていたわけではなく、免疫系を正常に維持するための「益虫」としての側面もあった・・と考えられなくもない。

 ただ、子供の私には寄生虫は気持ちが悪かった。ひそかに思いを寄せていた女の子が寄生虫をもっていたので、複雑な気持ちになった。

 当時はクラスで集団で検便をやった。大便を持ち寄るのは男の私でも恥ずかしかった。

 集団検便というのは、今でも小学校でやっているのだろうか?そんなことをすれば、学校にどなりこんでくる親が出てくるような気もするが・・・。

マヨネーズ

2007-04-08 15:20:24 | Weblog
 またまた昭和30年代の話で恐縮である。

 マヨネーズというものを初めて見たのは昭和30年代初めだった。

 生野菜にかけるものだが、そんなにおいしいとは思わなかった。

 マヨネーズはタルタルソースに似ていた。でも、エビフライや牡蠣フライにかけても、タルタルソースのようにおいしくはなかった。むしろ、ウスターソースのほうがフライには合っていた。

 マヨネーズ以前は、生野菜には塩かウスターソースをかけていたので、マヨネーズと同時にウスターソースを混ぜてかけてみた。そしたら、格段においしくなった。

 私は今でもエビフライや牡蠣フライにはマヨネーズとウスターソースを同時にかける。

 マヨネーズとウスターソースは相性がいいのだ。お好み焼きにマヨネーズをかける地方があるが、あれはすでにお好み焼きにウスターソースがかけてあるから合うのである。

 最近、焼きそばにもマヨネーズをかけるようになった。これもお好み焼きと同じで、焼きそばにはもともとウスターソースが入っている。

 私が幼稚園のころ、ハイカラな家庭の娘さんで、お弁当にデザートが付いている子がいた。そのデザートとは、リンゴをサイの目に切ったものをマヨネーズであえたものだった。

 リンゴとマヨネーズの取り合わせに不思議な感じがしたけれども、小学校の家庭科の料理実習で、ポテトサラダにリンゴを入れて、そこにマヨネーズをかけていたから、そういうのもアリだなと思った。

 最初はキューピーマヨネーズしかなかった。後になって味の素株式会社がマヨネーズを売り出した。私はキューピーのほうが好きであるが・・・。

ハムと玉子

2007-04-07 14:25:56 | Weblog
 昭和30年代の話を続ける。

 当時、肉屋でハムを売っていた。周囲を赤く色づけしたものだった。銀座ローマイヤのハムはすでにあったが、庶民には手が届かなかった。

 パン屋では、安いハムを薄切りにして二つに切り、コッペパンの小ぶりなやつにマーガリンとカラシを塗って、挟んでハムパンとして売っていた。

 これが、すこぶるうまかった。ジャムパンやあんパンと違って、ハイカラな雰囲気があった。

 しばらくして、肉屋でハムを揚げて売るようになった。これはアイデア商品でとてもおいしく、瞬く間に広まった。ハムカツと言い、ウスターソースをかけて、少量のキャベツを付け合せにすればもう立派なおかずだった。

 ハムカツは今でもコンビニのサンドイッチに使われている。今でもおいしいと思う。

 ハイブローな家では、ハムエッグを作っていた。玉子は当時ぜいたく品で、一個10円から15円。大きさによって値段が違った。ラーメン一杯が40円の時代だから、玉子はとても高かった。

 現在、ハムも玉子もスーパーで一山いくらで売っている。豊かになったものである。

 玉子で思い出したが、寿司屋で玉子を頼むと、ダシ巻き玉子の寿司が出てくる。これはいただけない。寿司の玉子は魚の練り物が入ってなくてはならない。

 昔は練り物入りの玉子の方がダシ巻き玉子より安かったが、今は逆であることを、時代遅れにも寿司屋は忘れているのではないか?

昭和30年代の商売

2007-04-06 11:32:01 | Weblog
 今回も古き良き昭和30年代の話。

 朝、パン屋に食パンを買いに行くと、まだ暖かかった。それにより、パン屋は深夜から早朝の仕事と知った。

 豆腐屋、蜆売り、牛乳配達など、早朝に仕事をしている人を、眠たいさかりの私は尊敬した。

 引き売りも沢山あった。豆腐屋のおじいさんは、自転車ではなく、天秤棒で豆腐を売り歩いていた。金魚売り、風鈴売りは夏の風物詩だったが、今は見かけない。

 背負子に野菜を大量に詰めて売りにくるおばさんもいた。朝、収穫したものを売りに来るから、八百屋の野菜より新鮮で、かつ1割ほど安かった。

 今はこうした引き売りも、野菜の訪問販売もなくなってしまった。引き売りで残っているのは、先日書いた焼いも屋くらいか?

 最近、都市部で豆腐の引き売りを組織化して、凄い収益を上げている企業ができたと聞いた。

格差社会というけれど

2007-04-05 22:15:04 | Weblog
 今、格差社会というけれども、懐かしの昭和30年代の格差は今の比ではなかった。

 まず、農村と都市部の格差がひどかった。農村部の子供たちは、口減らしのために都市部へ奉公に出された。中卒者の集団就職がその好例である。

 都市部の子と、農村部の子とは教育レベルが全然違っていた。だから中卒で都市に出された子供たちは、きちんとした技能を身につけることができなかった。

 格差は都市部にもあった。自家用車に乗っている層もあれば、何度も言うように「寝食分離」さえできない層があった。

 私が「寝食分離」でなかったころ、夏休みに母が勤めていた会社の保養所に行ったことがある。

 保養所(場所は御用邸がある葉山である)と言っても、ただの平屋の一戸建てで、管理人がいるわけでもなかったから、私たちは米や缶詰を持って、そこへ行った。それでも結構楽しかった。洗濯も調理も自分でやるのだが、子供の私にとっては、海が近くにあるというだけで嬉しかった。

 そのとき、びっくりしたのが、保養所の周囲の西洋館群である。豪壮な建築にガレージが付いている。ガレージの中には外車だけでなく、運搬車に乗せられたモーターボートがあった。住人はむろん日本人である。

 子供の私は、たまげてしまった。個人でモーターボートを持っているというのが信じられなかった。(今で言えば、自家用ジェット機みたいなものだ)。

 昭和30年代の良き時代、その時代を「良き」と思う人が多いけれども、「苦難の時代」だったと思う人も、また多いのではなかろうか?

売血

2007-04-04 08:39:45 | Weblog
 懐かしき昭和30年代の話を今回も。

 当時は多くの家で「寝食分離」が行われておらず、朝、布団を上げてから同じ部屋でちゃぶ台で朝食を摂った。貧しくてもそれを幸せと思っていた。前に述べたように、当時は浮浪者がいて、「もっと下」があったからである。

 「もっと下」のうちの一群の人たちの中には、「売血」で生計を立てている人がいた。そのころ献血の制度はなく、輸血用の血液はもっぱら売血者からの血液に頼っていた。

 「売血」は常習的になり、売血者の血液は薄くなる。だから、売血を買うときには、買取側は血液の比重を計った。比重の低い血液は買い取らなかった。売血者の血液は「黄色い血」と呼ばれた。

 売血者は比重を上げるために、砂鉄を飲んだ。そのために砂鉄を売る業者まであった。

 昭和30年代は良き時代ではあったけれども、こういう底辺があったのである。

 「売血」は実入りがよく、200ccで1000円くらいだったと記憶する。売血者は1000円を受け取ると、まず百円札(硬貨ではない)を靴の中に入れた。その日の木賃宿の泊まり賃である。

 あとの900円を、食事と呑み代に使った。すっからかんになっても、靴の中の宿代だけは残しておいたわけである。

 ささやかな幸せと貧困が同居していたのが昭和30年代である。

 「売血」は今でも中国では行われている。

PTSD

2007-04-03 13:20:43 | Weblog
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)という概念がある。

 ベトナムでの過酷な戦争を経て、アメリカ人帰還兵の中に精神的に使い物にならなくなった人が出てきた。

 PTSDという概念は、そういう人たちを社会保障の枠内で救えるようにしようという、もともとは極めて政治的な概念だった。

 それがいつの間にか、アメリカの精神疾患診断統計マニュアルに載ってしまってから、この概念は一人歩きを始めた。

 ちょっとイヤなこと、ちょっとした事故があったあと、精神的に落ち込むとPTSDだというまでになってしまった。

 ちょっとイヤなことや、ちょっとした事故は誰にでもふりかかる。それを乗り越えてこそ人間的な幅が広がるというものだろう。多少の不幸も経験していない人は昔は「甘ちゃん」と呼ばれて蔑まれた。

 「艱難(かんなん)なんじを玉にす」という言葉もあるではないか。

 それが今や、なでもかんでもPTSDだ。少し変なのではないか?

新聞はなくなるだろう

2007-04-02 12:46:47 | Weblog
 新聞はそのうちなくなるだろうと、いつぞや書いた。

 今やグーグルやヤフーで新聞が読める時代である。初め新聞社はグーグルに記事を提供しなかった。ひとり毎日新聞だけが無料で提供した。そうしたら、世界から見ると、日本には毎日新聞しか存在しないように思われるようになった。

 仕方なく各新聞社も毎日新聞に追随するようになった。

 新聞は広告が多すぎる。紙がかさばる。そのうえ、月に4千円以上も徴収する。しかも、くつろいでいる夜間に料金を取りに来る。

 新聞によいことなぞ何もない。

 10年前から新聞をとっていない。精神衛生に良いことこの上ない。

官僚の天下りに思う

2007-04-01 11:38:17 | Weblog
 上級公務員の天下りを阻止しようという動きが強まっている。

 官僚も自民党の一部もそれに抵抗している。もっともである。

 日本の高級官僚はすごく働く。それは私利私欲のためでなく、日本国のためである。

 若手の高級官僚は、酒席でも天下国家を論じている。自分たちがなんとかしなければ、日本国は二流国になることを恐れての行動である。

 なぜ、私がそんなことを知っているのかというと、友人に高級官僚がいるからである。彼には私利私欲はない。

 そんなに日本国のことを考えている彼らに、甘い汁は吸わせたくないと国民は思う。だが、それは国民の誤りである。嫉妬である。

 国民に支持されなければ、高級官僚はやる気を失うだろう。

 私は国民とマスコミの、あまりの偏狭さに驚いている。何十年と薄給で尽くしてきた人材に、天下りを花道として与えたらどうか。

 さもなくば、国民は次には二流の官僚しか得られないようになる。