院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ミャンマーのサイクロン災害に寄せて

2008-05-16 08:34:16 | Weblog
 ものごとには何でも理由がある。

 ミャンマーの軍事政権が諸外国からの援助をかたくななまでに拒否することにも理由があると、私は見ている。

 ミャンマーは昔はイギリスの支配下にあった。おかげでミャンマー人は搾取され、華僑やインド人がミャンマーを食い物にするという現実を招いた。

 そこでミャンマーは鎖国という道を選んだ。鎖国を堅持するためには軍事政権でなければならなかった。

 どうしてミャンマーの軍事政権を非難できよう。私は軍事政権を悪玉としてアウンサン・スーチー女史を善玉とする議論に与しない。スーチー女史はイギリスで教育を受けている。平均的なミャンマー人は、スーチー女史を信じず、イギリスの手先だというくらいにしか思っていないだろう。

 軍事政権は、今回のサイクロンをきっかけにして外国が介入してくるのを極度に恐れている。

 ミャンマーの軍事政権を非難するなら、パキスタンを初めすべての軍事政権を非難すべきである。ミャンマーの軍事政権だけを非難するのは、政治的な意図があるとしか私には思えない。

 ミャンマーの軍事政権が諸外国の援助を拒否することに、ちゃんとした理由があることを世論は気付くべきだ。

 同人雑誌

2008-05-15 08:41:16 | Weblog
 高校生の頃、高校の文芸部の雑誌に馴染めなかった。恋愛小説が多く、何となく甘っちょろいのである。

 T君も同じことを考えていた。そこで2人で語らって、総合雑誌を創刊することにした。でも、お金がない。しかたなく、ガリ版印刷で自作した。

 それでも、新しい雑誌を創刊するというのは、2人にとって心ときめくことだった。印刷はT君と2人でやった。原稿も結構集まった。小説、エッセイ、短歌、詩などだった。印刷はT君と踊りながらやった。ほんとうに踊るほど楽しかったのである。

 一部50円。多いときには100部ほど売れたか?高校の図書館にも寄付した。反響もあった。猥褻な記述にかんしては、教師が「あまり、やり過ぎないように」とやんわりと助言をくれた。

 その同人誌は3巻まで出して、私たちは卒業を迎えた。私はご存じのとおり、いま開業医をやっている。

 秀才だったT君は東大から有名コンピュータ会社に入って、今、取締役にまで出世している。同窓会でときどき会って、旧交を暖めている。

まむろ川音頭

2008-05-14 07:49:07 | Weblog
 私が幼稚園のころ、祖母が私に「まむろ川音頭」を教えた。当時の私はもの覚えがよかったらしく、すぐに「音頭」を覚えてしまった。

 「わたしゃ梅の花、そこに来る鶯よ」といった歌詞だった。ここで梅の花は女性器を指す。そして鶯は男性器を暗喩している。

 祖母は私が器用に「まむろ川音頭」を歌うので、面白がって老人会のようなところで私に歌わせた。幼児が「まむろ川音頭」を歌うので拍手喝采だった。

 ところが父親が怒った。息子は芸人ではない。「まむろ川音頭」のような歌を人前で歌わせるとはなにごとかと、祖母に強く抗議した。それ以来、私は人前で「まむろ川音頭」を歌わされることはなかった。

 父親の怒りを今でも覚えている。

家庭教師は意味があるのか?

2008-05-13 08:27:03 | Weblog
 学生時代に家庭教師のアルバイトをしたことがある。

 2件ほどやったが、家庭教師って意味があるのだろうかと疑問に思った。というのは、生徒が全然覚えないのである。つまり、やる気がないのだ。

 家庭教師を子供に付けるのは親の自己満足ないし不安の回避にしか過ぎないのではないか?

 家庭教師にはブランド志向がある。旧帝大や早慶や医学部が好まれる。私は無名大学の出身だが、医学部だったので需要があったのだろう。

 でも、あまりにやりがいがないので、もう家庭教師はこりごりだと思った。

旧漢字に戻せ

2008-05-12 11:55:17 | Weblog
 「学」や「昼」や「戻」などの新漢字は中国人には読めない。書くのを簡単にするために新漢字は作られたのだろうが、意味が分からない新漢字もある。「戻」がよい例だ。昔は「戸」の下は「大」ではなく「犬」だった。点をひとつとっても、さほど書きやすくはならない。

 それに漢字の元来の意味が分からなくなる。「戸」(家)に「犬」が戻るから、「戸」の下は「犬」でなければならない。元の旧漢字に戻せと訴えたい。

 中国は大幅に新漢字にしてしまった。それも、ほとんど意味の分からない簡略化だ。中国は大失敗をした。若い中国人は、すでに中国の古い碑文を読めないだろう。

今年はゴキブリの当たり年

2008-05-11 08:42:34 | Weblog
 昨年はゴキブリ殺虫剤のCMが少なかった(2007.8.13)。そして事実、昨年はゴキブリが少なかった。

 今年はどうだ。もうゴキブリ殺虫剤のCMが始まっている。ゴキブリ会社はCMに何億円もかけるのだから、今年はゴキブリが発生するかどうか、もうすでに掴んでCMを流しているのだろう。

 だから、今年はゴキブリが大発生すると私は思っている。みなさま、くれぐれもご用心を。企業というものは、お金にならないことは絶対にやらないはずだから。

竹製品と棕櫚箒がなくなった

2008-05-10 08:28:15 | Weblog
 ザルなどの竹細工がめっきり身の周りからなくなってしまった。

 ザルは金属やプラスチックに置き換わってしまった。なぜだろうか?竹細工は清潔で使い勝手もよく、重宝していたのに・・・。

 考えられるのは、ザルを竹で作るだけの腕前の職人がいなくなってしまったことだ。

 ザルや箕(み)などの生活必需品は、昔は一家になくてはならないものであり、農家を回ってそれらを修理に来る職人もいたほどだ。

 箒も見なくなった。とくに棕櫚を使った箒を見なくなった。棕櫚箒を作るのは熟練の技で、何十段階もの工程があるという。

 かつて、竹製品や棕櫚箒の製作、修理の多くを担っていたのは被差別民である。彼らは伝統技能として竹製品や棕櫚箒をつくる技を継承していたらしい。

 竹製品や棕櫚箒の消滅と、被差別の消滅が連動しているとしたら、喜ぶべきことかも知れない。

バザー

2008-05-09 08:33:49 | Weblog
 幼稚園のころバザーというのが園であった。みんなが品物を持ち寄って、お互いに売るのである。

 私は食べ物の出店が好きだった。あんみつやアイスクリームが市価の半額である。どういう大人がこんなに楽しい会を考えたのだろうと思った。こいうこと考え付く大人は天才だと思った。

 年がいくとバザーはさほど面白くなくなった。

 興味の中心は町の祭りに移っていった。だが、そこにはテキヤが大勢来て、あこぎな商売をするので、やがてそれもイヤになってしまった。

 この歳になって、いちばん面白いのは、名もない地方の朝市である。

西洋管楽器と能管

2008-05-07 07:39:18 | Weblog
 最近、能の笛を練習している。

 昔、クラリネットやフルートをやっていたから、音を出すのに苦労はない。

 ただ、音をかすれさせたり、ひっくりかえさせたりするのには努力を要する。

 クラリネットやフルートでは音をひっくりかえさせるのは恥なのである。それが能の笛(能管)では、かえって味になって、これがなければ詰まらない演奏になってしまう。

 西洋管楽器で育ってきた私は、「かすれ」、「ひっくりかえし」に苦労している。しかし、最近なんとかできるようになってきた。

SLはなぜ黒いのか?

2008-05-07 07:26:44 | Weblog
 海外のSLが緑や赤に塗られているのに対して、わが国のSLはなぜ全部黒いのか、かねてより疑問に思っていた。

 そこで大宮の交通博物館に聞いてみた。調べてあとで電話するとのことだった。1時間後に電話があった。

 文献的には、明治時代にSLと貨車は黒くせよという鉄道規則があったらしい。

 なぜそのような規則ができたのかと問うと、これは類推だが、煙によって車両が汚れるのを隠すためだと思われるとのことだった。

 博物館や天文台は、ほんとに真面目にユーザーの疑問に答えてくれますぞ。交通オタクや天文オタクが沢山いて、彼らほんとうに真剣に調べてくれます。

 みなさまも一度ご利用になってはどうか?

ゴールデンウイークの休載

2008-05-02 20:57:58 | Weblog
 ゴールデンウイーク中は、旅行に出るので、本欄を休載します。ご了承ください。

 なお、本欄の愛読者様は、アクセスデータから推測して、300~600名様と思われます。

 今回のみコメント不許可を解除します。本欄に関するご意見、ご感想をお待ちしています。

赤ちゃんはなぜ踏まれないのか?

2008-05-02 08:24:20 | Weblog
 家族が赤ちゃんを踏んで死なせてしまったというニュースを聞かない。

 乳児が床にごろごろしていれば、誤って踏んでしまう親もいるだろうに、そういう情報はない。

 みな赤ちゃんを可愛がって、細心の注意を払っているのだといえばそれまでだか、細心の注意を払っても起きるというのが事故というものである。

 本当は踏まれて死んじゃった赤ちゃんがいるのではないか?親の心情を慮って、そういうニュースは報道されないのではないか?

 日本中に赤ちゃんはごまんといるだろう。それでも踏まれて死んだという話がないのが、私には不思議である。

茶の花忌

2008-05-01 04:14:14 | Weblog
 もう10年以上も昔、名古屋の俳句結社「牡丹」の句会に、左手の肘から先がない娘さんが来ていた。

 主宰の浅野右橘先生は、その娘さんの俳句をよく取り上げた。とびきり上手い俳句でもなかったから、これは浅野先生の配慮だったのだろう。

 浅野先生が亡くなってから、その娘さんは句会に来なくなった。俳誌「牡丹」への投句もなくなった。

 その後の彼女の消息は知らない。

 浅野先生の命日は、季語「茶の花忌」としてホトトギスに残った。弱者にやさしい先生だった。