いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

政治家と憲法学者の対決討論。 a confrontation debate between politician & scholar

2015-06-18 19:31:44 | 日記
 (1)昨日の党首討論は安倍自民党総裁・首相と岡田民主党代表が安保法制案の合憲、違憲を巡って、首相は「(安保法制案の)正当性、合法性には完全に確信を持っている」と言えば岡田代表は「存立危機事態は抽象的だ。もっと法律で明確にできないか。憲法違反だ」と主張して、議論は平行線のままだった。

 岡田代表が存立危機事態の具体例を問えば、首相は政策の中身をさらすことになり、いちいち全てを述べるような海外のリーダーはほとんどいないと、まったくかみ合わない論戦だった。

 (2)本日の衆院予算委員会で安倍首相は、日本の安全保障に対して何もしないというのは政治家の責任放棄だと強弁してみせたが、ここに安倍首相の論法(argument)の誤り、ごまかしのすべてがある。

 党首討論で合法性には完全に確信を持っているという根拠の59年砂川事件での最高裁判決は「必要な自衛の措置」を認めたものではあるが、専門家の多くは憲法上個別的自衛権の容認を前提にしたものと解釈しているが、自民党議員は集団的自衛権も含まれると解釈して安保法制案の合憲性を主張している。

 (3)最大譲って、59年砂川事件の判決に個別的自衛権も集団的自衛権も明記されていないとしてどちらにも解釈できるとするとして、しかし両論がどちらとも解釈できる判決を根拠に一方の立場の合憲性を「完全に確信する」ことは論理上無理があるというものだ。

 安倍首相の論法の誤り、ごまかしがあるというのは、そういうあいまいな根拠をもとに憲法の解釈変更により集団的自衛権の行使を容認しようということに、それが政治家の「責任」だと自己主張していることだ。

 (4)日本、国民の安全、生命、財産、権利を守るという使命、責任は政治家のみならずに国民すべてに課せられたものであり、必要ないと言っているわけではなく、どの理念、範囲で実施、実行されるのかの問題であり、人によって集団的自衛権の行使が必要と考えたり、あるいはもっと攻撃的な軍隊が必要であると考えたりしてそれが憲法に合致しなければ、理念の憲法改正(constitutional revision)を国民にはかればいいことだ。

 判断、解釈があいまいなまま、一方的な憲法解釈の変更で集団的自衛権、安保法制案の合憲性を確信、主張していることに、安倍首相の論法の誤り、ごまかしのすべてがあるわけだ。

 (5)理念、判断が正しいと思えば堂々と憲法改正を主張して国民に信を問うのが政治家の「責任」であり、そうしないことこそ「責任放棄」というもので「あべこべ」論理だ。

 安保法制案の国会論戦、与野党の党首討論では「らち」があかないことがはっきりした。政府、自民党のなかには憲法学者の違憲論に反発もあるようなので、ここは国会で安倍首相、与党議員と憲法学者との対決憲法討論(a confrontation debate between politician and constitutional scholar)をやるしかない。

 (6)首相、政治家は国の安全保障は政治論であって学問的憲法論でない(趣旨)とやはりここでも「あべこべ」論のよくわからないことを言っているが、憲法に違反する政治がまかり通っては立憲主義、民主主義政治もないだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする