(1)震災の傷跡の深さ、いや「心」の傷跡の深さを思い知らされた。今日1月17日は22年前、1995年早朝に神戸市街地などを襲った阪神大震災発生の日だ。
今では見た目はすっかり復興して元の市街地に戻った感のある神戸だが、22年目の今日も阪神大震災で身内、知り合いを失った人々が泪ながらに(ニュース映像)慰霊する人の姿があった。
街角からは震災の傷跡は消えたかに見えたが、人々の「心」に残る傷跡は22年すぎても容易には消えてくれない。
(2)地震災害国日本は、その後2011年に東日本大震災、昨年に熊本地震と巨大地震に襲われて復興途上にある。
それでも地元に根差した郷土愛(provincial attachment)にこだわる、愛する、燃える想いの被災者たちは復興に向けて必死で地震発生時刻、その日を迎えるたびにテント小屋で郷土料理を来訪者に振る舞う被災者たちの「目」は真剣にまっすぐに力強く光り輝いているのを見ると、本当に勇気と希望を感じさせてくれる。
(3)「人間」の強さ、不屈さを感じ取れる瞬間だ。国、自治体はそういう不屈の被災者たちに十分寄り添ってきたのか、自己点検、自問自答こそが求められる。
東日本大震災、福島第一原発事故の補償業務では型どおりのルーティンに終始して、残念ながら誠意は感じられないものだ。
被災から5年が過ぎて原発事業者東電の賠償補償も打ち切り方針のものがあり、国の補償も財政状況が厳しい被災自治体に振り替えられるものもある。
自主避難をしたというだけで賠償補償にも差別することがあった考えられない震災格差(discrepancy of disaster)というしかない。こんな前代未聞の大震災の補償は発生5年で見切られるものではない。
(4)見た目には元に戻った感の神戸市などでは、今年、阪神大震災から22年目を迎えて当時神戸市などが民間から借り上げた復興住宅入居者が入居20年を迎えて退去を求められることになり、継続入居を望む住民が訴訟を起こす(報道)事態になっている。
こちらも公営復興住宅の入居者は継続入居が認められているというから、復興差別、格差待遇がいまだに続いている震災被害、影響現実だ。格差社会は震災にまで及んでいる。
(5)20年間の入居保障ということになれば一生住居と同じであり、その期に及んでの退去というのは準備期間は大いにあったとはいえ、被災者の個別事情に対する配慮としては戸惑いもあるのはそのとおりだろう。それを甘えといえるのだろうか。
被災者に対する寄り添った親身の対応こそが人間社会の有り様だ。それでも復興に立ち上がろうとする被災者の不屈のまなざしが忘れられない。
今では見た目はすっかり復興して元の市街地に戻った感のある神戸だが、22年目の今日も阪神大震災で身内、知り合いを失った人々が泪ながらに(ニュース映像)慰霊する人の姿があった。
街角からは震災の傷跡は消えたかに見えたが、人々の「心」に残る傷跡は22年すぎても容易には消えてくれない。
(2)地震災害国日本は、その後2011年に東日本大震災、昨年に熊本地震と巨大地震に襲われて復興途上にある。
それでも地元に根差した郷土愛(provincial attachment)にこだわる、愛する、燃える想いの被災者たちは復興に向けて必死で地震発生時刻、その日を迎えるたびにテント小屋で郷土料理を来訪者に振る舞う被災者たちの「目」は真剣にまっすぐに力強く光り輝いているのを見ると、本当に勇気と希望を感じさせてくれる。
(3)「人間」の強さ、不屈さを感じ取れる瞬間だ。国、自治体はそういう不屈の被災者たちに十分寄り添ってきたのか、自己点検、自問自答こそが求められる。
東日本大震災、福島第一原発事故の補償業務では型どおりのルーティンに終始して、残念ながら誠意は感じられないものだ。
被災から5年が過ぎて原発事業者東電の賠償補償も打ち切り方針のものがあり、国の補償も財政状況が厳しい被災自治体に振り替えられるものもある。
自主避難をしたというだけで賠償補償にも差別することがあった考えられない震災格差(discrepancy of disaster)というしかない。こんな前代未聞の大震災の補償は発生5年で見切られるものではない。
(4)見た目には元に戻った感の神戸市などでは、今年、阪神大震災から22年目を迎えて当時神戸市などが民間から借り上げた復興住宅入居者が入居20年を迎えて退去を求められることになり、継続入居を望む住民が訴訟を起こす(報道)事態になっている。
こちらも公営復興住宅の入居者は継続入居が認められているというから、復興差別、格差待遇がいまだに続いている震災被害、影響現実だ。格差社会は震災にまで及んでいる。
(5)20年間の入居保障ということになれば一生住居と同じであり、その期に及んでの退去というのは準備期間は大いにあったとはいえ、被災者の個別事情に対する配慮としては戸惑いもあるのはそのとおりだろう。それを甘えといえるのだろうか。
被災者に対する寄り添った親身の対応こそが人間社会の有り様だ。それでも復興に立ち上がろうとする被災者の不屈のまなざしが忘れられない。