井上 陽水。うすいピンク系の無地のシャツ お相手:宮地佑紀生
塩瀬「1969年秋頃、レコードテスト盤でアンドレカンドレのカンドレマンド
レという曲を聞いて、なんという魅力的な声、これはおもしろいと思って、名古屋
に呼んだ。
体の大きい、頭はもじゃ、もじゃで、サングラスで顔を隠して、無口な男がやっ
てきた。大学ノートに、自分の作詞した詞をいっぱい書いたのを持っていた。
1年後に、井上陽水で再デビューした。無名だったので「人生が二度あれば」の
のB面のちょっとハードロック調の「断絶」を深夜放送で積極的にかけた。
名古屋の人が井上陽水を認めて、その後、「夢の中へ」が名古屋からヒットし
た。最初の出会いの、アンドレカンドレ氏の印象が、未だに心に残っている。」
綜合司会の天野アナウンサーが当時、東海ラジオのレコード室でよくレコードを
聞いている井上陽水さんを見ました。その当時はよく話してもらった。
塩瀬さん、今となっては人柄のすばらしい人だと思いますが、最初は、こんなに
相当に、特別にすばらしい人だとは思わなかった。威張らない、偉そうなことを言
わない、相当レベルの高い人だと、この頃わかるようになった。
宮地「今日は、調子いいよ。」
松坂屋(デパート)に、ひつまぶし食べに行ったけど大勢が並んでいて、待って
食べる文化なくて、となりの店で食べた。味噌煮込みの世界、九州人なんで、九州
にない文化、最初はわからなくて、この頃は1日に2回食べたこともある。あれは
(麺)、やはり固くないといけない。
ミッドナイト東海に、たくさん呼んでいただいた。それは塩瀬さんのお陰、名古
屋のみなさんのお陰、心から感謝している。今日は、その気持ちで歌いたい。
「夢の中で」、「傘がない」(ギター2本、ハーモニカ)
あたらしくない曲と言っても、300年前とかじゃない。ま、おおざっぱに言え
ば、最近の曲と、言って、「傘がない」が圧巻だった。「~その気持ちで歌いた
い」との井上陽水の言葉どおりの歌だった。
声はもちろんのこと、歌いだしからの「気迫」、「気持ち」の入れ方が、すごか
った。ホールを圧倒して、歌い終わっても拍手がしばらく鳴りやまなかった。
井上陽水がステージ去り際、マイクに向かって、「塩瀬さん、ご苦労さんでし
た。イエィッ!」
塩瀬「1969年秋頃、レコードテスト盤でアンドレカンドレのカンドレマンド
レという曲を聞いて、なんという魅力的な声、これはおもしろいと思って、名古屋
に呼んだ。
体の大きい、頭はもじゃ、もじゃで、サングラスで顔を隠して、無口な男がやっ
てきた。大学ノートに、自分の作詞した詞をいっぱい書いたのを持っていた。
1年後に、井上陽水で再デビューした。無名だったので「人生が二度あれば」の
のB面のちょっとハードロック調の「断絶」を深夜放送で積極的にかけた。
名古屋の人が井上陽水を認めて、その後、「夢の中へ」が名古屋からヒットし
た。最初の出会いの、アンドレカンドレ氏の印象が、未だに心に残っている。」
綜合司会の天野アナウンサーが当時、東海ラジオのレコード室でよくレコードを
聞いている井上陽水さんを見ました。その当時はよく話してもらった。
塩瀬さん、今となっては人柄のすばらしい人だと思いますが、最初は、こんなに
相当に、特別にすばらしい人だとは思わなかった。威張らない、偉そうなことを言
わない、相当レベルの高い人だと、この頃わかるようになった。
宮地「今日は、調子いいよ。」
松坂屋(デパート)に、ひつまぶし食べに行ったけど大勢が並んでいて、待って
食べる文化なくて、となりの店で食べた。味噌煮込みの世界、九州人なんで、九州
にない文化、最初はわからなくて、この頃は1日に2回食べたこともある。あれは
(麺)、やはり固くないといけない。
ミッドナイト東海に、たくさん呼んでいただいた。それは塩瀬さんのお陰、名古
屋のみなさんのお陰、心から感謝している。今日は、その気持ちで歌いたい。
「夢の中で」、「傘がない」(ギター2本、ハーモニカ)
あたらしくない曲と言っても、300年前とかじゃない。ま、おおざっぱに言え
ば、最近の曲と、言って、「傘がない」が圧巻だった。「~その気持ちで歌いた
い」との井上陽水の言葉どおりの歌だった。
声はもちろんのこと、歌いだしからの「気迫」、「気持ち」の入れ方が、すごか
った。ホールを圧倒して、歌い終わっても拍手がしばらく鳴りやまなかった。
井上陽水がステージ去り際、マイクに向かって、「塩瀬さん、ご苦労さんでし
た。イエィッ!」