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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

サンクス・ギビング、塩瀬さん。-(3)

2009-08-17 21:03:28 | 日記
 井上 陽水。うすいピンク系の無地のシャツ お相手:宮地佑紀生
 
 塩瀬「1969年秋頃、レコードテスト盤でアンドレカンドレのカンドレマンド
レという曲を聞いて、なんという魅力的な声、これはおもしろいと思って、名古屋
に呼んだ。
 体の大きい、頭はもじゃ、もじゃで、サングラスで顔を隠して、無口な男がやっ
てきた。大学ノートに、自分の作詞した詞をいっぱい書いたのを持っていた。

 1年後に、井上陽水で再デビューした。無名だったので「人生が二度あれば」の
のB面のちょっとハードロック調の「断絶」を深夜放送で積極的にかけた。
 名古屋の人が井上陽水を認めて、その後、「夢の中へ」が名古屋からヒットし
た。最初の出会いの、アンドレカンドレ氏の印象が、未だに心に残っている。」

 綜合司会の天野アナウンサーが当時、東海ラジオのレコード室でよくレコードを
聞いている井上陽水さんを見ました。その当時はよく話してもらった。

 塩瀬さん、今となっては人柄のすばらしい人だと思いますが、最初は、こんなに
相当に、特別にすばらしい人だとは思わなかった。威張らない、偉そうなことを言
わない、相当レベルの高い人だと、この頃わかるようになった。

 宮地「今日は、調子いいよ。」

 松坂屋(デパート)に、ひつまぶし食べに行ったけど大勢が並んでいて、待って
食べる文化なくて、となりの店で食べた。味噌煮込みの世界、九州人なんで、九州
にない文化、最初はわからなくて、この頃は1日に2回食べたこともある。あれは
(麺)、やはり固くないといけない。

 ミッドナイト東海に、たくさん呼んでいただいた。それは塩瀬さんのお陰、名古
屋のみなさんのお陰、心から感謝している。今日は、その気持ちで歌いたい。

 「夢の中で」、「傘がない」(ギター2本、ハーモニカ)

 あたらしくない曲と言っても、300年前とかじゃない。ま、おおざっぱに言え
ば、最近の曲と、言って、「傘がない」が圧巻だった。「~その気持ちで歌いた
い」との井上陽水の言葉どおりの歌だった。

 声はもちろんのこと、歌いだしからの「気迫」、「気持ち」の入れ方が、すごか
った。ホールを圧倒して、歌い終わっても拍手がしばらく鳴りやまなかった。

 井上陽水がステージ去り際、マイクに向かって、「塩瀬さん、ご苦労さんでし
た。イエィッ!」

 

 

 

 

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サンクス・ギビング、塩瀬さん。-(2)

2009-08-17 20:29:22 | 日記
 続いて、伊勢 正三(大分県代表) お相手:兵藤ゆき
 塩瀬「南こうせつを通しての付き合い。あたらしい、かぐや姫を結成した中に伊
勢くんがいて、知った。その後、風でコンビを組んでいた大久保くんが、塩瀬と番
組をつくるため東海ラジオに行くと言ったら、伊勢くんが真面目な顔して、しっか
りやってこいと、きつく言われたと。伊勢くんらしいと思った。」
 「22歳の別れ」、「なごり雪」(ギター2本)

 下田 逸郎。名前は聞いたことがあるけど、よくご存じありません。お相手:奥
山敬造
 塩瀬「下田君が名古屋に来て記者会見で、名古屋に何をしに来たのか聞かれて、
塩瀬に会いに来た。」 ギター2本でバラード3曲。

 続いて、甲斐 よしひろ(福岡県代表)黒のサテンのスーツ、同シャツ。 お相
手:宮地佑紀生
 丁度、名古屋でのキャンペーンに来ていることもあり、甲斐バンド(ギター2本
とボーカル)としてのアコースティックバージョン。
 塩瀬「シンコーミュージックからチューリップに続いて九州からバンドをデビュ
ーさせるのでカセットテープ(バス通り)を送ってきた。丁度、当時、東海ラジオ
に来ていた井上陽水に聞かせたら、ポツンと、この男は大物になりますね。」

 一番最初に、デビュー前に東海ラジオに出た。財津さんがチューリップで同局の
番組に出ていて、遊びに行くことになって、出た。それが塩瀬さんディレクターの
番組だった。
 「ヒーロー」、「ブルーレター」

 ビデオ・レター
 松任谷 由実(コンサート中)「ありがとう、塩瀬さん。荒井由実時代にミッド
ナイト東海、サンディフォークにお世話になって、名古屋でブレークした。」
 笑福亭鶴瓶。

 

 

 

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サンクス・ギビング、塩瀬さん。-(1)

2009-08-17 19:43:06 | 日記
 東海ラジオ開局50周年の今年、同局番組のミッドナイト東海スタッフと番組に
かかわりのあるミュージシャンを招いて愛知県芸術劇場大ホールでトーク&ライヴ
が開催された。

 という名目で、実は、すでに退職された同局の塩瀬元ディレクターの在職中の貢
献に報いるサンクス・ギビングのイベントです。そういう機会にあわせてでいいよ
(多分)という塩瀬さんらしい配慮がみえる。

 ステージ中央に巨大なスクリーンが下げられ、そのまわりを野外イベントでステ
ージを構成する四角柱の鉄骨の柱が組み立てられて、オブジェになっている。
 ステージ左側には、トーク(インタヴュー)用のソファが、右手にライヴ用のマ
イクスタンドがセットされている。

 午後5時を10分程度過ぎて、当時のディスクジョッキー4人がステージにあら
われ紹介のあと、全国からこの日、塩瀬さんのために駆けつけたミュージシャンに
よるトーク&ライヴの開始です。
 スクリーンの映像に、塩瀬さんが登場してミュージシャンとのデビューから現在
までのかかわりについてコメントして、そのミュージシャンがステージに登場して
きます。今日の曲は、すべてアコースティック・バージョンの2曲制。

 松山 千春(北海道代表) お相手:宮地佑紀生
 オープニングは松山千春さん。濃いピンク系の襟ななしシャツ。
塩瀬「最近は、健康状態がよくないと聞いていた。そんな中、名古屋にやって来て
くれて、義理堅いといえば、義理堅い、男だなと思う。」

 塩瀬さんみたいなディレクター、全国に何人かいたけれど、東海ラジオの塩瀬さ
んは群を抜いていた。無口で、威厳がある。
 昨日、セントレア空港に最終便で来た。とんでもない端のスポットに着いて、荷
物をとりにカウンターに行くのに、どれぐらいかかったことか。このまま小牧まで
行くんじゃないかと、びっくりしたぞ。

 久しぶりにここに来ると、アマチュア時代に戻ったような気がしてね。どれだけ
気合入れてきたか。キー局の番組が多いなか、地元の独自の番組(ミッドナイト東
海)をやり通した、名古屋の文化、志を大切に。

 1975年、フォーク音楽祭の北海道予選で落ちた、この曲でと、「旅立ち」。
原曲より、かなりスローテンポで言う通り、しっかり、しっとりと思いを込めて歌
いあげた。(ギター2本)

 楽屋で、陽水が「千春、体、大丈夫か。」といきなりスゴまれてね。エレベータ
が開いたら、わざわざチューリップの財津くんが、麦茶もって待っていてくれて。
これで決めた。俺、チューリップに入ろ。

 武田(STV)さん、塩瀬さんにデビューを後押しされたことを話し、感極まっ
て話す声が震える。
 「長い夜」を、思いを込めて歌った。
 


 
 

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核兵器の「使用」抑止力。

2009-08-15 19:54:31 | 日記
 街を走る業務用車両のドアに、タバコの吸い殻は捨てない、ルールを守って
運転する、というステッカーを見かける。
 コンプライアンスを宣言すれば、無茶なことはできない。

 オバマ大統領の核廃絶の宣言で、ほんのわずかでも地球破壊危機の回避
への決意の歯車が動き出したと歓迎している。
 
 広島、長崎の被爆の日を迎えたこともあり、核兵器のない世界への支持、
期待への声が高い。
 しかし、オバマ大統領も「自分の生きているうちの達成は、むずかしい」
と言うように、また、核抑止力を急いで取り除くことへの不安の声や、核抑止
力そのものに、未だ期待する声も聞く。

 核兵器の、人命、環境、地球へ及ぼす無期限の「破壊力」を見れば(被
爆国の国民として)、「使用」ということになれば、その「イターナルな破壊
責任」が、核保有国に「使用抑止力」にも、実は、なっているはずだ(たとえ、
地域限定の核兵器へシフトしても)。

 核兵器の「使用抑止力」に対して、唯一の被爆国の日本が世界へ発信す
る「言葉」、「行動」の意義は特別のもの(価値)がある。

 現実は、米国の核抑止力に頼る発言があったり、核廃絶に向けても、関
係国同士のその保有数のバランスが交渉のテーマになるなど、核廃絶への
道のりは多難なのが、これも現実だ。

 核兵器の破壊力から、その廃絶ばかりがテーマとして象徴されているけ
れども、戦争は世界各地で日常の中にあり、人、地球を破壊する。

 その他の強大な「武器」の廃絶には、グローバルな意識の盛り上がりは
みられない。
 紛争地帯、地域のアフリカでは、現地で日本人関係者も協力して、武器
の回収と、それに代わる食物栽培方法による貧困克服プロジェクトへのア
シストにかかわっている。

 平和への、長くてもかすかな光が見えた時にこそ、侵略、紛争を解決す
る手段としての戦争力にかかわるすべてのもの(兵器)の放棄に向けて、
日本は積極的にその役割を果たすことが、できる、ふさわしい、国として
「平和」を発信続けなければならない。
 8月6日、9日の非日常を繰り返すことは、誰にもできない。
 

 

 

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農業の構造改革。

2009-08-14 19:31:43 | 日記
 農業コンクールで、無農薬栽培を貫き、結果を得られない月日の後の、
冷害時の収穫成果で土壌を含めた安全、安心の耕作システムをつくりあ
げ、農業の進む道の正しさを実証した人をプライオリティに、農業人そ
れぞれの改善、継続、信念に心うたれるものがある。

 小作農家から、有限会社の立ち上げで、組織的な農業へ転身して、あ
たらしい農業社会へ展開する意気込みも強く伝わってくる。
 農業は、国民の自給した食生活を維持するために、国の強力な保護の
もとに管理されて、いい意味でも、悪い意味でもトレンドに流されやすく、
自立した農業ができていない。

 他の産業と同様に、規制緩和で国際的競争力を持ち、消費者に安全で、
いいものを安価で提供し、産業としても自立できることが望まれる。
 日本の農作物の安全性、高品質性は、国際的にも高く評価されており、
また、品質改良、農耕作方法、農業の技術力の高さを世界規模で普及、
活用する効果にも期待が大きい。世界にも農業技術力の貢献ができる。
 高品質の維持のための価格競争力でも、ひとつは安全性、もうひとつ
が、組織的、地域的、技術的な構造改革による綜合的なコスト設定。
 日本農業には、国際的競争力に対するプライオリティが十二分にある。

 農業をとりまく環境には、一部専門家から、国の減反、規制緩和政策
で農業が立ち行かなくなる未来が強調される。
 
 農業コンクールでみられた、つくり手、農業人の心意気、組織としての
大規模化、多角化農業への取り組みを、さらに進化させて、農業のある
べき、画期的で自立した農業の「構造改革」へと進化させる時だ。

 そのエネルギーは十二分にあると、農業コンクールが示しているし、
消費者といい関係(食品の安全性、信頼性)で共生できる強さもある。
 農業が過保護から自立する構造改革が必要だ。エキスは十分にある。

 

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