(1)そもそも「人」が「人」を裁く不条理性(unreasonableness)が司法裁判だから、冤罪も起きるし、世界的に国家がその裁判結果で公に「人」を殺害する死刑制度「廃止(repeal)」は絶対多数を占めている。
日本はその死刑制度を有する今では数少ない国家だ。61年に三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」で1審無罪、2審死刑と極端な司法判断に分かれて、その後最高裁で死刑判決が確定した。
当該死刑因はその後一貫して無罪を主張し弁護団は7次の再審請求をくり返して、しかし今回も最高裁は特別抗告を棄却する決定を下した。
(2)新証拠として争われているのが、事件に使用された農薬が同死刑因の自宅から押収されたものと同一かどうかの「鑑定(appraisal)」結果を巡るものだ。
弁護側が新証拠として提出した鑑定結果を最高裁は「毒物が(同死刑因が自宅で所有の)ニッカリンTであることと矛盾しない。死刑因が自宅で保管していたという状況証拠の価値や自白の信用性にも影響しない」〔報道、うち( )内は本ブログ記入〕と結論付けて棄却した。
(3)事件から52年も経過して、同死刑因は87才を迎えて健康悪化で医療刑務所に収監されたままだ。新証拠(鑑定方法、結果)による再審請求がくり返されていることもあり、国(法務大臣)も刑期執行最終決定を下さないままのすでに52年が経過している。
弁護団は同死刑因本人の意向のもとに新証拠を準備して8次再審請求を行う考えを表明している。ここまでくると新証拠の「精度」も52年の時間の経過から証拠掘り起こしも限定されて再審請求(および再審)への道は厳しくなることは考えられる。
(4)同死刑因が無罪を主張しようとにかかわらず、「真実」は必ずある。同事件のいつかの再審請求の時に、事件現場の住民からは「それでは他に誰がやったというのか」との声の報道もあり、事件地では再審請求のくり返しに複雑な思いはあるようだ。
凄惨な事件にかかわらずに1審で無罪、2審で死刑という両極端な司法判断が示すように、警察の事件初動捜査、自白偏重(今回の最高裁棄却でも自白の信用性支持に言及していた)で証拠証明に問題のあったことは想像がつく。
もはや52年前の事件となれば、さかのぼっての事件の真実性解明など不可能なことで、司法手続き時間の経過を見るだけの不測の様相でもある。
(5)犯罪には時効はあったが今は原則としてこれも取り消され、もとより犯罪による国の人の生命奪取の刑期執行決定には時効などはない。
しかし、①事件から52年も経過して、②司法判断が無罪から死刑へと極端に動いたこと、③その前提となる自白偏重の捜査の精度、④その間、再審請求がくり返されて刑期執行決定も行えない状況を鑑(かんが)みれば、もはや司法判断の是非とは別問題の判決刑期執行の時効ということではないのか。
この状況で国(法務大臣)に同死刑因の刑期執行決定など出来ようもないことだ。
(6)そういう前提での52年経過後のせめて真実追求の司法審査継続ということだ。人が人を裁く不条理性の中で、この事件の52年の時間の経過は極めて重い司法責任(severe judicial duty in the 52th year)ということだけは間違いないことだ。
日本はその死刑制度を有する今では数少ない国家だ。61年に三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」で1審無罪、2審死刑と極端な司法判断に分かれて、その後最高裁で死刑判決が確定した。
当該死刑因はその後一貫して無罪を主張し弁護団は7次の再審請求をくり返して、しかし今回も最高裁は特別抗告を棄却する決定を下した。
(2)新証拠として争われているのが、事件に使用された農薬が同死刑因の自宅から押収されたものと同一かどうかの「鑑定(appraisal)」結果を巡るものだ。
弁護側が新証拠として提出した鑑定結果を最高裁は「毒物が(同死刑因が自宅で所有の)ニッカリンTであることと矛盾しない。死刑因が自宅で保管していたという状況証拠の価値や自白の信用性にも影響しない」〔報道、うち( )内は本ブログ記入〕と結論付けて棄却した。
(3)事件から52年も経過して、同死刑因は87才を迎えて健康悪化で医療刑務所に収監されたままだ。新証拠(鑑定方法、結果)による再審請求がくり返されていることもあり、国(法務大臣)も刑期執行最終決定を下さないままのすでに52年が経過している。
弁護団は同死刑因本人の意向のもとに新証拠を準備して8次再審請求を行う考えを表明している。ここまでくると新証拠の「精度」も52年の時間の経過から証拠掘り起こしも限定されて再審請求(および再審)への道は厳しくなることは考えられる。
(4)同死刑因が無罪を主張しようとにかかわらず、「真実」は必ずある。同事件のいつかの再審請求の時に、事件現場の住民からは「それでは他に誰がやったというのか」との声の報道もあり、事件地では再審請求のくり返しに複雑な思いはあるようだ。
凄惨な事件にかかわらずに1審で無罪、2審で死刑という両極端な司法判断が示すように、警察の事件初動捜査、自白偏重(今回の最高裁棄却でも自白の信用性支持に言及していた)で証拠証明に問題のあったことは想像がつく。
もはや52年前の事件となれば、さかのぼっての事件の真実性解明など不可能なことで、司法手続き時間の経過を見るだけの不測の様相でもある。
(5)犯罪には時効はあったが今は原則としてこれも取り消され、もとより犯罪による国の人の生命奪取の刑期執行決定には時効などはない。
しかし、①事件から52年も経過して、②司法判断が無罪から死刑へと極端に動いたこと、③その前提となる自白偏重の捜査の精度、④その間、再審請求がくり返されて刑期執行決定も行えない状況を鑑(かんが)みれば、もはや司法判断の是非とは別問題の判決刑期執行の時効ということではないのか。
この状況で国(法務大臣)に同死刑因の刑期執行決定など出来ようもないことだ。
(6)そういう前提での52年経過後のせめて真実追求の司法審査継続ということだ。人が人を裁く不条理性の中で、この事件の52年の時間の経過は極めて重い司法責任(severe judicial duty in the 52th year)ということだけは間違いないことだ。