(1)生成AI(言語、映像を作り出す)の対話型チャットGPTはもちろんこれまで世界に存在しなかった、していないあらたな事象について語るものではなく、現存する大量のデータから適切なものを集めてつなげて表現するものにすぎない(これも普通の人間にとっては大変なことだが)ので、本来はデバイスがモノを言う程度のものなのだが今やG7専門部会会合でも対応が協議されるという異質、過剰対応だ。
(2)もちろんそれでも一人の人間が持ちえない大量の情報量、データをもつことは脅威であり、いろいろな分野で活用されることは活用次第では有益、有効とはいえるだろう。しかし現在のようにまるで万能の鏡のように捉えらえることには大いに疑問がある。
少し前の話だが山口公明党代表が「私は誰か」と聞いたら、チャットGPTは「知らない」という返事が返ってきた(報道)ことを紹介していたが、穴はある。
(3)そういうものをどのように利用、活用するのかは人間次第ということになり、規制、規制というのも過剰反応に映る。大学などは入学式の学長の話でしっかりとした文章を書くためには経験学習が必要だと指摘して、レポート作成にチャットGPTの利用を禁止する対策が伝えられている。
(4)確かにテーマに同じような内容のレポートが多数提出されても評価のしようがないだろうことから、大学教育としては学生自らの勉学、思考、論理観の知識、能力で表現することが目的で要求されている。
総じて比較、考察、検証しながら真理、真実、真意につなげていく努力の積み重ねが学問といえる。
(5)チャットGPTはこういうものだから医療で使いたいところだが、誤情報による誤診断があっては人間の機能、生命、安全、健康にもかかわる問題なので慎重にもなるだろう。仮説をたててそれを真実に近づけていく作業には有効、有益ともいえる。
(6)情報化時代にケイタイ、パソコンが出てきてスマホが出てきたように、生成AI、チャットGPTが出てきたということで特別なことではない。