Mr.トレイルのオーディオ回り道

「音質アップ」を目的として、
システム全体の「基礎的項目の見直し」に、
重点を置いて試行錯誤や実験をしています。

私の目指してきた音

2016年12月23日 | ピュアオーディオ
40年以上長い時間をかけて私が目指してきた音は「自然の音」。日常「会話」しているその時の音の再現を目指して来た。何の変哲もない音で有る。「ただの音」で有る。しかし、この音を手に入れるまで相当の試行錯誤が有った。

例として、日常会話や日常のドアを閉める音等が、錯覚するほど「リアル」でなければならない。ライブ録音の演奏を聴いていると暗騒音の中に「誰かがドアを開けて入って来た」様なシーンが有れば判らなければならない。JAZZの演奏など意外とこの様な暗騒音が入っている。他にもMJQのラストコンサートの中で、当時のカメラマンがモードラを使って写真を撮っている音とかも判る。シャッター音なども良く判る。当然音楽部分は十分に聴こえた上での話。

「自然な音」は特に作り出さなければ「ピーキーな音」は入っていない。と言う事は「ピーキーな音」は出てはならないと言う事。耳に音がうるさい様では「自然の音」に近いとは云い辛い。電気仕掛けで音が出ていると云う風に感じられるならそれは「まだまだ」の音と思う。

私のサウンドも進化はこれで終わりと言う事はない。まだまだやればさらに良くなるのは判っている。しかし、部屋の問題、資金の問題、時間の問題、手間暇の問題等と、自分の中の優先順位で決めて行かざるを得ない。

「自然の音」に近づける為には「とんでもない情報量(音数)」が要る。この音数の感覚が判らない方には理解できないであろう。「自然に近い音」は太鼓等の音圧(音波の伝導)が必要な時はチャンと出て来る。腹に堪えるほど出て来る。身体が揺すられる様な音圧を受ける。しかし、そう云った音が無い状態ではいとも静かに鳴る。録音された情報をそのまま出しているだけの事である。常時音圧を受ける様なサウンドは「自分のシステムで作っているサウンド」だとも云える。それが心地よいかどうかは別の事で、自分で気持ちが良いと云えばそれでもいい。でも「自然の音」とは違う事を自覚すべきだ。