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kオジサンの中山道・東海道旅日記 その6 遂に京都へ JR守山駅から京都三条大橋 まで

2018-04-04 23:58:10 | Kオジサンの中山道旅日記 

4月4日(水) 晴 JR守山駅から京都三条大橋まで

第6回で前回の続きです。JR守山駅から守山宿へ行き、守山宿、草津宿、大津宿、山科を経て京の三条大橋までを歩きました。守山宿から草津宿までは中山道でしたが草津宿からは東海道の歩きとなりました。草津宿から大津宿までの距離が長いと感じました。瀬田の唐橋を渡った後、中々大津宿に辿り着かなく、長い道のりに思えました。

大宝神社の東で住蓮坊母公墓と言う石碑を目にしました。隣に、この石碑の由来が設けてありました。母親は処刑前に一目、住蓮坊に会いたいと急いで行きましたが叶わなかったのです。住蓮坊は法然の門下の僧ですが、後鳥羽上皇の怒りをかい、近江の馬渕で斬首の刑に処せられました。それに関連する場所が住蓮坊の首洗いの池です。首洗いの池は前回、歩いて来たところに有りました。前回に見た場所と今回の場所とが結びつくのが面白いです。

大津と京都の間では物流で牛車を使っていましたが、雨で道がぬかるみ難儀していました。牛車のために花崗岩の車石が敷設されていました。こんなことを知ることが出来たのも、街道を歩いたから発見できた事です。
この街道の車石とポンペイ遺跡で見かけた車の轍。そんなのも関連付けて考察できました。

京阪電鉄の京津線。かつては路面で道の真ん中を走っていました。それが地下に潜りました。京津線が地下に潜り廃線となった場所を歩き、そんな経緯を知るのも街道歩きの面白さです。

JR守山駅  ― 守山宿・町家“うの家”  ― 守山宿本陣跡  ― 東門院 ― 今宿一里塚
 ― 
住蓮坊母公墓 ― 大宝神社  ― 琵琶湖線線路下トンネル ― 伊砂砂神社 ―
旧草津川 ― 
草津追分道標 ― 草津宿本陣跡  ― くさつ夢本陣 ― 草津宿街道交流館
 ― 立木神社  ― 
野路一里塚跡  ― 野路萩の玉川  ― 弁天池 ― 東海道立場跡
 ― 月輪一里塚跡 ― 
大江東北自治会館 ― 大場の桜 ― 瀬田の唐橋  ― 石山駅
― 篠津神社 ― 義仲寺 ― 
露国皇太子遭難の碑 ― 札の辻 ― 逢坂山関跡 ―
 追分 ― 伏見街道追分  ― 閑栖寺 ―  諸羽神社 ― 山科駅前 ― 大乗寺

 ― 九条山 車石広場 ― 蹴上浄水場  ― 白川橋 ―  三条大橋


近江歴史回廊発行。
宿駅散策 近江東海道中絵巻三を撮影しました。


JR守山駅

(08:10)
前回、街道歩きを閉じたJR守山駅です。
今回はそれの再開です。
駅から北の守山宿に向かいます。



守山宿・町家“うの家”

(08:21)
中山道まで来ました。
左側が守山宿の「うの家」です。
ここから中山道を歩きます。


守山宿本陣跡

本陣跡と井戸の跡です。
説明板が整備してあります。




石造道標と説明板。
この場所が高札場跡だったとも説明しています。


東門院

(08:27)
東門院の仁王門。
立派な仁王が両側に控えています。
この東門院、近江西国三十三ケ所霊場となっています。




東門院の境内の石かえる。
背中に子かえるが乗っています。




守山市今宿地内の中山道です。
この辺りでは、真っ直ぐの街道になっています。


今宿一里塚

(08:37)
今宿一里塚に来ました。
エノキだろうか。
木の枝が新芽を付けています。




栗東市に入って来ました。
この辺り。綣(ヘソ)と言う地域です。
大宝神社の一角に、この綣元標の表示板が設置して有りました。




(09:00)
綣(ヘソ)と言う地域です。
信号機に地名表示が取り付けてあります。
糸偏の綣。つきまとう。ねんごろ。等の意味が有ります。



栗東市の笠川地区です。
前方に草津線の高架橋が見えます。
アソコはもう、草津市になります。


琵琶湖線線路下トンネル

(09:19)
草津市に入って、JR琵琶湖線のトンネルを通り、大きく回り込みます。



伊砂砂神社

街道沿いの伊砂砂神社です。
桧皮葺の立派な本殿が有りました。





草津駅前の道です。
この先、アーケード街になっています。
この交差点を右に折れるとJR草津駅に向かいます。





前方に見えるのが旧草津川のトンネルです。
旧草津川は天井川で川が高い位置となっています。
それで、高い土手に上がらなくてはなりません。かつて、旅人は難儀しました。



旧草津川

(09:44)
旧草津川に上がるため、階段を登ります。




かつての旧草津川です。
今では整備されて「de愛ひろば」となっています。
にぎわい活動棟やイベント広場が有ります。


草津追分道標

トンネルの西側に道標が有ります。
ここが東海道と中山道の分岐点です。
道標から東が中山道で、南が東海道となっています。


草津本陣跡

史蹟草津本陣跡です。
泊まった時期は違いますが、浅野内匠頭と吉良上野介。曰縁、深い二人がこの草津宿本陣に宿泊しています。
この本陣。今年の3月3日に訪れました。
https://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/47395583ba69c161400afe04b8cd0483


くさつ夢本陣

草津宿の休憩やトイレが仕える場所で「くさつ夢本陣」です。
丁度、FM放送をやっているタイミングでした。
ここで、休憩しましたが、自動の呈茶機が有り、お茶を頂きました。



私が出て来た時、逆に中へ入る女性が居ました。
ハイカー姿でしたので、街道歩きですかと聞きましたら、草津から石部まで歩くと言っていました。


草津宿街道交流館

ここが草津宿街道交流館です。
館内は街道の資料館になっています。




交流館の前に有った草津宿の図面です。
本陣が2箇所。脇本陣が3箇所となっています。
その事からも、草津宿が大きな宿場だったと言えます。




(10:30)
店先に、「右やばせ道 これより廿五丁大津渡船」の石の道標が立っています。
矢橋道をたどり矢橋湊から舟で大津へ渡るか、東海道を歩き瀬田橋で行くかです。「急がば廻れ」の語源になったところだそうです。
Googleの地図ではここから西に行ったところに矢橋港が有ります。
判り難いですが、浮世絵の店は姥が餅屋です。




ふるさと「矢倉」風景の記憶絵に見る今昔。
これと同じような記憶絵が草津宿本陣のハス向かいや渋川にもありました。
昭和30年代の草津を表わしたものです。




東海道が国道1号線と交差します。
この先の左側に小公園があり、そこに野路一里塚跡の石柱がありました。




板造りの復元常夜燈が建っていて、「東海道浪川(おおかみがわ)」と書いて有ります。
フェンスには手作りの板で草津宿本陣・瀬田唐橋の距離が表して有ります。






(11:12)
草津市と大津市の境界辺りまで来ました。
今日のKオジサンの後ろ姿です。


東海道立場跡

池の横に東海道立場跡の石碑が有ります。




大津市の一里山地区に入って来ました。
緩やかな登り坂です。




(11:35)
道標が設置して有ります。まだ、新しいです。
道の交差点に有りましたが、この反対側に月輪一里塚が有ったのです。
気がつかずに通ってしまいました。



大江東北自治会館

大江東北自治会館の前に来ました。




自治会館に地図が掲示して有りました。



大場の桜

1本だけの桜。
大場の桜と説明しています。


瀬田の唐橋

(12:12)
瀬田の唐橋へ来ました。
桜の花びらが飛び、花吹雪状態です。



瀬田の唐橋のたもとでトイレを利用しました。
ウオーキング姿のご夫婦と言葉を交わしました。
ご夫婦は北海道から来ていて、ウオーキングを重ねているのだそうでした。
私が岐阜県の各務原市から来たと言いましたら、中山道でそこは、歩いたそうでした。飛行場が有って飛行機が飛んでいたと言いましたので、それは航空自衛隊のジェット機ですと言いました。

笑顔で話してくれたご夫婦です。
今日は大津に泊まり、三条大橋を目指すと言っていました。
私は今日、三条大橋に着くように行くと言いましたら、私達に歩調を合わせず、先に行ってと言われました。

僅かな時間でしたが一期一会の出会いでした。
北海道のどちらかと聞きませんでしたが、北海道ならまだ雪が残っているかも知れません。ご夫婦で街道歩きが出来る。好い事だと思いました。



石山駅

(12:41)
京阪電車の石山行きが来ます。
歩いて来て、真っ直ぐに進むと琵琶湖線の下を通り抜けれそうですが、手元の資料には京阪電車の石山駅。JRの石山駅を通るように書かれています。
それで、両駅の自由通路を抜けました。




左側はロームと言う工場です。
道は曲がって行きますが、松があり、東海道らしさが有ります。




前方は京阪電鉄の石山坂本線の踏み切りです。
瀬田の唐橋を渡ってから、何回か京阪の踏切を横切りました。
頻繁に電車が走っています。

義仲寺

(13:58)
義仲寺の前に来ました。



露国皇太子遭難の碑

露国皇太子遭難の碑です。
いわゆる大津事件の場所。





東海道を歩いていて、提灯屋を目にしました。
この時、思い浮かんだのは愛知川宿の提灯屋です。



札の辻

(14:24)
札の辻に来ました。
国道161号線で道路の真ん中を京阪電鉄京津線が走っています。






歩いていてJRの列車がトンネルに入るのが見えました。
逢坂山トンネルです。




国道1号線と国道161号線が合流する交差点。
前方から京阪電鉄の列車が来ます。


逢坂山関跡

(14:50)
逢坂山関跡に来ました。
ここは、ポケットパークのような場所になっている場所で、トイレが有ります。
サイクリスト達が休憩していました。




逢坂山関の説明板が設置してありました。





東海道であり国道1号線。
下り坂になっています。
右に見えるのが京阪電鉄の大谷駅です。
列車が停まっています。



追分

(15:14)
坂道を下ってきて1号線と分かれます。
この場所、大津市追分町です。
1号線は右へ。
東海道は左へ。
左のビルが大津警察署藤尾交番です。
ここから、左に進みます。




振返ると滋賀県大津市の境界プレートが見えます。
反対側には京都府京都市のプレートは無かったのです。
地図で確認するとこの場所が京都と大津の境なのですが、道路を隔てての境界です。
右側はズーと京都で左側が大津。
まだ、この先までも大津なのです。




伏見街道追分

石の道標が有ります。
左に向かうと伏見方面です。




追分に有った案内板。
大津絵がこの地で生まれ、算盤もこの地で。
とても参考になります。


閑栖寺

東海道の坂を下ってきて寺の境内にゾウの置物が有りました。
4月8日の花祭りにあわせての物でした。
そのゾウ越しに見えたのが車石です。
門の脇には説明の札が立っていました。



こちらは民家の塀に取り付けられた説明板です。
江戸時代から明治に掛けて車石が役に立った事が想像できます。




上の説明板を補う説明です。




(15:41)
四ノ宮町辺りまで来ました。


山科駅前

山科駅の駅前に来ました。
アノ建物が山科駅です。




(16:02)
山科駅から歩いて来て琵琶湖線の高架を抜けました。
前方に見えるのが京阪の軌道敷跡です。
今は遊歩道のような道になっています。




遊歩道の道で、途中で左に曲がらなければならなかったのですが、直進してしまいました。
地元の人で犬の散歩に来ていた人に聞き、戻りました。
この道が旧東海道です。


九条山 車石広場

(16:25)
ポケットパークのようになっている場所です。
通過した時は気が着かなかったのですが、かつて牛車が往来していた時の状態を再現です。



蹴上浄水場

日ノ岡峠を降りてきて、蹴上浄水場の横へ来ました。



白川橋

(16:49)
白川に架かる白川橋の上から西を眺めています。
ゴールまで、もう少し。




三条大橋まで来ました。


三条大橋

(17:02)
ゴールです。
三条大橋の上で男性に頼み、シャッターを押して貰いました。
この後、地下鉄の駅で下に降りました。


この後、地下鉄東西線で山科駅に向かいました。京都駅から乗車するとなると、烏丸線に乗り換えなくてはなりません。それでは時間が掛かると思い、山科駅に向かおうと考えました。三条京阪駅を13分に出る列車に乗れました。そして36分発の長浜行きの新快速にに乗車できました。





今日のBefoe  After。
距離にして、35キロ近い距離を歩きました。
右側は撮影するのを忘れていて、地下鉄の車内で撮影しました。




いろいろのスミレ

歩いていて、何箇所もスミレを見かけました。
左上(08:54) 右上(09:09)
左下(10:51) 右下(11:27)
色々のスミレが見れました。
こう言うのも、街道歩きの面白さです。

感想
今回、歩いた区間の中で大津市がとても長く感じました。瀬田の唐橋より東も大津市であり、京都の山科と接する所までが大津市でした。イメージ的に逢坂山の関の跡まで位が大津市だと思っていたのです。北部は合併で広くなっています。大津市がとても大きいと感じました。
6回目の街道歩きで京都に到達できました。
良く頑張ったと思います。


今日の経費

JR那加駅からJR守山駅まで JR山科駅からJR那加駅まで 青春18キップ使用 2,370円
お赤飯 150円
お弁当 429円
アイスクリーム   152円

          合 計 3,101円

kオジサンの中山道旅日記  その7 
4月16日(月) 晴 JR那加駅前から名鉄御嵩駅まで  へ

 

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