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kオジサンの中山道旅日記 その5 近江鉄道豊郷駅からJR守山駅 まで

2018-03-28 23:52:14 | Kオジサンの中山道旅日記 

3月28日(水) 晴 近江鉄道豊郷駅からJR守山駅

第5回で前回の続きです。近江鉄道豊郷駅から愛知川宿、武佐宿、野洲を経てJR守山駅までを歩きました。
街道を歩いていて、春の訪れを感じました。
普通、桜前線は南から北に進むものですが、標高などに寄って、開花時期が異なるのでしょう。まだ、つぼみが膨らんだ状態の桜。つぼみの先がピンクになり、今にも開花しそうな桜。そして開花している桜。色々の桜を愛でることが出来ました。こう言うことは街道歩きの面白さです。
歩いていて、知った事が有ります。今回歩いた部分に愛知川、日野川、野洲川と比較的大きな川がありました。その中で愛知川が無賃橋となっていました。と言うことは日野川、野洲川では通行賃や渡し賃を払ったのででしよう。
また、路傍で石の塊を見かけました。恐らく行路病死した人の墓なのでしょう。名も何も刻まれていません。旅をするのは命懸けではなかったか。そんな事を想像しました。


近江歴史回廊 宿駅散策 近江中山道中絵巻①②より引用しました。

近江鉄道豊郷駅  ― 伊藤忠兵衛旧邸跡  ― 又十屋敷  ― 愛知川宿ポケットパーク
 ― 愛知川宿本陣跡 ― 八幡神社 ― 明治天皇御聖蹟  ― 御幸橋 ― 
てんびんの里石碑
 ― コメダ珈琲五個荘店  ―  五個荘ポケットパーク ― 
明治天皇北町屋小休所の碑 ― 石塚の一里塚跡  ― 中山道モニュメント  ― 
清水鼻の名水  ― 奥石神社  ― 泡子地蔵尊遺跡
 ― 西生来一里塚跡 ― 
武佐宿脇本陣跡 ― 武佐宿本陣跡  ― 近江鉄道武佐駅 ― 伊庭家跡
 ― 横関橋
 ― 道の駅 竜王かがみの里 ― 外和木の標 ― 野洲川橋 ― JR守山駅  




(08:18)
JR彦根駅で下車して近江鉄道の彦根駅へ来ました。
既に電車が入線して停まっています。
この電車24分発の八日市行きです。




もう直ぐ豊郷駅です。
高宮駅辺りまでは通勤客が居たのですが、みんな下車して車内はガラガラになりました。
昼間は1時間に1本しか有りません。
この車内の状態なら、1時間に1本は仕方が無いです。



(08:54)
豊郷駅で下車しました。
この駅で下車したのは私だけでした。
駅がコミニティハウスとなっていますが、閑散としています。



伊藤忠兵衛旧邸跡

伊藤忠の創業者。伊藤忠兵衛旧邸跡です。
立派な石碑が有ります。
この跡地。くれなゐ園と言う石柱が立っていました。





(09:01)
歩き始め。
豊郷地内を歩きます。



又十屋敷

(09:13)
この場所。表には一里塚の石柱が有ります。
豊会館・又十屋敷となっています。
残念ながら休館日でした。
説明板には北前船で財を成したと書いて有りました。



江州音頭発祥地です。
説明の石碑には盆踊りで扇を持って踊ると書いて有ります。
由来には天正と言う年号が入っていました。




(09:19)
宇曽川の東の桜です。
蕾の先がピンクになり、もう直ぐ開花です。






宇曽川を渡り、愛荘町に入りました。
愛荘町の沓掛と言うところを歩いています。

手元の資料の地図。
愛知川町となっています。調べたら秦荘町と愛知川町が一緒となり、愛荘町が出来ています。



(09:41)
この先が愛知川宿です。
東の入口で木戸が設けて有ります。
宿場内の道は舗装の色が異なります。




愛知川宿ポケットパーク

ポケットパークが整備して有ります。
瓦の乗った土塀が有り、立派な公園です。



愛知川宿本陣跡

(09:50)
この建物。
化粧直しをして綺麗な建物となっています。
この建物の右側に本陣跡の札が立っていましたので、この建物が本陣跡ではないのかもしれません。
右の建物は日本生命でした。





愛知川宿の中です。
向こうに見えるのが竹平楼と言う料理屋さん。
明治11年に、明治天皇が北陸巡行の際に立ち寄ったと書かれていました。


明治天皇御聖蹟

(09:54)
明治天皇が立ち寄った時の事を現す石柱です。
竹平楼の一角にあります。
竹平楼の玄関には対の提灯が下がっていましたが、中山道恵智川宿と言う字で書かれていました。




(09:56)
愛知川宿の西の入口まで来ました。
橋の名は不飲川橋と現しています。この川。彦根の方へ向かって流れて行きます。
橋のたもとの桜は、チラチラと咲き始めています。
ライトアップの照明の準備が済んでいます。






国道8号線に出ました。
中山道から国道8号線に出たのですが、道路の反対側に一里塚跡が有ったようですが、見落としてしまいました。




愛知川堤防の脇。
こんな説明板が設置して有りました。
恵智川の字を使っています。
かつては無賃の橋だったようです。




御幸橋

(10:04)
愛知川の御幸橋を渡ります。




御幸橋の上から上流を眺めました。
のぞみか、ひかりか。
下りの新幹線列車が西に向かって走って行きます。
手前の鉄橋は近江鉄道の鉄橋です。




てんびんの里石碑

右が国道8号線。左が中山道です。
ここで左右に別れ、分岐点に「てんびんの里」の石碑が立っています。
横断歩道橋の表示が東近江市五個荘町となっています。五個荘町は近江商人を多数送り出した町です。
てんびん竿を担ぎ、行商を行いました。


コメダ珈琲五個荘店

(10:17)
小腹が空いた。
今ならモーニングに間にあう。
それで、コメダ珈琲に入りました。



(10:37)
五個荘中央公園の横を流れる川。
川沿いに桜並木になっています。
桜の花がチラチラと咲き出しています。




今日のKオジサンの後ろ姿です。


五個荘ポケットパーク

(10:48)
大きな絵図です。
右下に中仙道分間延絵図となっていて、文化3年に江戸幕府が作成した街道絵図となっています。
小幡村とか北之庄村と詳細に書かれています。





五個荘町の北町屋地内を歩きます。





(11:01)
京町屋風の商家。
北町屋町が購入して保存していると書いて有ります。





茅葺きの家屋。
街道筋らしさが有ります。



石塚の一里塚跡

(11:11)
石塚の一里塚跡。
この一里塚の手前で民家の庭に桜に似た花が満開状態でした。
その家の人に聞きましたら、スモモの花だと教えてくれました。
私の姿を見て、中山道を歩いている人だと思い、一里塚がその先に有ると教えてくれました。




中山道モニュメント

てんびんの里のモニュメント。
五個荘の西の入口に設置して有ります。
近江使用人がてんびんを担いでいる姿です。



清水鼻の名水

(11:19)
名水の説明板。
「五個荘地区まちづくり協議会」の字が見えます。
このように説明板を設置し、取り組んでいるのでしょう。



国道8号線を横切って東老蘇地区に入ってきました。





民家のジンチョウゲ。
芳香を放っていました。




(11:52)
東老蘇地区、街道らしい道です。



泡子地蔵尊遺跡

水路の横に泡子地蔵尊遺跡の碑が有ります。






泡子地蔵尊のいわれがあります。


西生来一里塚跡

(12:24)
西生来一里塚跡の石柱が設置して有ります。


武佐宿脇本陣跡

武佐宿脇本陣跡です。
この脇本陣の手前に牟佐神社が有りましたので、武佐宿に入って来たと感じていました。
奥の建物は武佐町会館となっています。




(12:41)
いっぷく処 綿屋の壁。
武佐宿を紹介するプレートを掲げています。
額の中の絵にゾウが描かれています。
このゾウは享保13年に江戸へ向かった時のものです。



武佐宿本陣跡

武佐宿本陣跡。
しっかりした門構え。風格が有ります。



近江鉄道武佐駅

(12:49)
武佐駅へ来ると電車が停まっていました。
12時49分発の八日市行きが発車して行きました。


伊庭家跡

伊庭家跡です。配置図から広い邸宅だったと想像できます。
説明板には伊庭貞剛邸と有ります。
幕末期には京都御所警備隊士として活躍した後、裁判所に勤めた。
そして、別子銅山の精錬所の移転に尽力したと有ります。
80歳で生涯を終え、西宿の地に眠ると有ります。この場所が西宿町ですので、この一角にお墓かが有るのでしょう。
右が若宮神社です。横の桜は5分咲き程度でしょうか。




(13:22)
千僧供町に来ました。小公園の場所です。
住蓮坊首洗いの池です。
桜。5~6分程でしょうか。




(13:42)
近江八幡市の東横関町へ来ました。
反対方向から歩いて来た人が居ました。
どちらからと言葉を交わしましたら、西横関から歩き始めて近江八幡まで歩くと言っていました。




(13:46)
立て続けに反対方向から歩いて来た人に会いました。
この人は武佐宿までを歩くと言っていました。




(13:53)
前方は日野川の堤防です。
説明板が見えます。




武佐宿の説明板が設けて有りますが、ここは渡し場跡です。
石碑が有ったか、見かけませんでした。
当時はここで渡し舟で対岸に渡っていました。浮世絵から、この場所が渡し場だったと想像できますが、石碑などの表示が欲しいところです。
それにここから左に迂回して横関橋を渡る事となります。
そんな指示標識が有ればと思いました。





日野川の堤防です。
右は竹ヤブで左は桜の並木です。
ここの桜。
蕾が固く咲き出す気配が有りません。




(13:59)
日野川を渡ります。
横関橋の上から下流方面を望みました。






中山道が、国道8号線と重複区間となりました。
道路の端を歩きますが、車がビュンビュン走り、喧しかったです。



道の駅 竜王かがみの

(14:41)
「道の駅 竜王かがみの」に寄りました。
ここで一休みしました。
ここに来る途中、「鏡の里」で旅籠だった事を現す立て札が何軒か有りました。
「鏡の里」は間(アイ)の宿なのかも知れないです。



(15:00)
国道8号線の横に池が有ります。
地図には東池となっています。
池越しに三上山が見えます。三上山で別名近江富士と呼ばれている山です。




(16:01)
ここの桜。ほぼ満開です。
後ろの建物は野洲小学校の校舎です。
桜の下に説明板があり、「中山道・外和木の標」の分が書いて有りました。


野洲川橋

野洲川に架かる野洲川橋を渡ります。




(16:22)
野洲川橋の上から左後ろを振り返りました。
三上山が見えます。
円錐形をした山です。


JR守山駅

(16:46)
守山駅に来ました。
脚は大丈夫なのですが、脚の裏が痛くなりました。
それに、時間が17時近くとなったので、ここでリタイヤする事にしました。
本当は、草津宿まで行こうと思っていました。





いきいき情報と通常情報を比較できませんが、4万歩を超える歩数で、30キロを上回る距離を歩きました。





 感想
8時間近い時間で、30キロ余りを歩きました。時速にすると4キロほどなのでしよう。早く歩くと見落としてしまうモノが有ります。伊藤忠兵衛旧宅は閉じていましたし、又十屋敷は休館日でした。このような場所をゆっくりと訪ねたいと思います。


今日の経費
JR那加駅からJR彦根駅まで 1,140円
近江鉄道彦根駅から近江鉄道豊郷駅 450円
コメダ珈琲  400円
お握り 198円
アイスクリーム   198円
JR守山駅からJR那加駅まで 1,660円
          合 計 4,046円


kオジサンの中山道・東海道旅日記  その6  遂に京都へ
4月4日(水) 晴 JR守山駅から京都三条大橋まで  へ

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