諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

真田丸ロスは防止したけど・・・・・・。そして真田信繁への想い。その2

2017年01月16日 08時22分33秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画

続きます。

真田信繁はどうして悲劇のシナリオを演じてしまったのか。私、名前が大きく関わっているのではないかと考えていました。

信繁の名前は父・昌幸が武田信玄の弟・武田信繁から取ったとされています。真田信繁も当然、武田信繁を強く意識していたと思うのです。

武田信繁は父・信虎から信玄よりも可愛がられていた。信虎は信繁に武田家を継いでもらいたいと考えていた。しかし信玄が信虎を追放。信繁は信玄を支持し片腕として活躍。文人としても優れていて人格も穏やかで慕われていた。そして献身的に兄・信玄を助けた。だからこそ家臣だった真田昌幸は次男に信繁の名を付けたのだと思います。信玄・信繫兄弟のように、信之・信繫も育つように。

しかし武田信繁は第四次川中島の戦いで、軍師・山本勘助のキツツキ作戦が上杉謙信に看破され討ち死した(霧の中偶然出くわした説も有り)。それが引っかかっていたのではないかと思うのです。

武田信繁は兄・武田信玄に従って討ち死にした。自分は兄・信之に従っていて良いのだろうか。私が真田信繁なら何時も考えていると思います。兄の意見に従っていたら自分は死ぬのではないかと。

その思いがどうしても頭から離れず、兄・信之と敵対することを選んだ部分が多少なりともあると思います。信之を支持しながらも頭から武田信繫の生き様が離れられなかったのではないかと。

以上の考えから真田信繁は最後まで豊臣方に付いたと思いますが、姓名で物事を判断する癖のある私には、もう一つ引っかかる点があります。それは「信」の字です。

「信」は「人の言葉」。人の言葉ほどあやふやな事は有りません。そんな掴みどころのない字を名前に入れたら、どうしてもあやふやな人生になるってもんです。

戦国時代は誰もが波乱の人生を歩いたと言われればそれまでですが、織田信長・信忠・信孝、武田信虎・信玄・信繫、板垣信方、馬場信春、秋山信友、有馬晴信等々、「信」の字が付く人物は波乱の人生を歩んだ人ばかりなんです。

真田信之だって悩み多き人生でしたよ。父と弟が敵に回るし、子供の方が先に死ぬし、徳川の世になっても初期は苛められましたし。それでも耐えて生き抜いた。天晴れとは思いますが、辛い人生なのは間違いないと思いますね。

最後になりますが、私、この真田信繫の血筋の方を知っています。自分の家を人殺しの家系と呼んでいます。真田信繫が存在していた事で多くの人が命を失った。その因果が自分に降りかかっていると言ってました。思い悩んでいましたよ。

子孫にそう思われる事からも私はやはり真田信繫を評価しません。私もかなりの人殺しの家系なので。思い悩んでいますので。

 

ではでは。

 

 

コメント (4)
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