諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

御鍋を背負う者。アンバサマと永井平九郎。その6

2017年04月01日 17時55分31秒 | 永井平九郎

続きです。

大杉神社が鎮座する阿波は霞ヶ浦の西浦、利根川流域の低地に突き出た半島に鎮座しています。半島と言いますとアイヌ語で「イズ」。つまり伊豆は半島の意味。そして人の体では鼻を指します。

鼻と言いますと天狗。そして猿田彦命。常陸坊海尊も天狗とされているが、猿田彦命への信仰をカムフラージュする為に常陸坊海尊を出してきたのかも知れません。

大杉神社の創建は767年に勝道と言う僧が大杉を依り代として三輪明神を迎え、数々の奇跡で人々を救った事から始まり、「悪魔ばらえのアンバサマ」と呼ばれる様になった。特に疫病に効果があるみたいです。

大杉が御神体と考えられますが、実際は勝道が彫った「霊神不動尊」が御神体だそうです。そして高丸とされる悪路王の降伏を祈願してます。悪魔は蝦夷なんですかね。

ここで島の坊(とうせん坊)と常陸坊海尊を比べてみます。

常陸坊海尊は源義経に従い平泉へ逃亡。奥州藤原氏四代・藤原秦衡の裏切りにより義経や弁慶は討たれた。その時、海孫は10人程度の徒を連れて、どこぞの山寺に参拝に出かけていた。それだ助かった。

それが地元では不人気に繋がります。逃げたとか、裏切って敵に通報し自分だけは助かったとか、ボロボロの嫌われようです。

そして海尊は修験者。弁慶の弟分と伝えられているから、それなりに強いと思います。それに衣川の乱の後、ニンカンとか言う赤い羊羹みたいなものを食べて不老不死になった。

島の坊は一本歯の高下駄を履いていたから修験者の特徴がある。観音様に祈祷し超人的な力を得た。地元の人間ではない。嫌われていた。東尋坊まで逃げて行った等々。

どうも島の坊のモデルは常陸坊海尊の可能性は少なからずあると思えます。この二人は似ています。海尊は不老不死で死ななかったですが。

次に永井平九郎と比べます。永井平九郎は平将門公の家来、または息子。出身は千葉県の下総国、もしくは茨城県の常陸国と考えます。そして藤原秀郷、平貞盛の軍勢に追われ、桔梗姫と一緒に福島県の天栄村まで逃げて来た。

家来の永井平九郎は平将門公に対し諫言したと言われてます。平将門公の影武者は7人いたとされてますが、諫言する程の者であるなら、或る程度の実力者と考えられます。

平将門公の息子の場合でも鉄人とされる平将門公です。強い人物と思われたと考えます。

そして永井平九郎は御鍋神社側の平九郎谷に埋葬された。または端午の節句の時に炊飯の煙が敵に見つかり、一族は全滅したとも伝えられている。殺されいる。

そう考えると島の坊と永井平九郎は似ていますね。どちらも御鍋を背負っていますし。

 

続く。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする