永井平九郎は将門公の暴走を諌めたが聞き入れられず、朝廷から賜った鼎を手に将門公の側室・桔梗姫を連れて逃亡。福島県の天栄村まで逃げ延びた。
知っていますか、鼎って三本足の中国の古来の鍋だって。
しかし、永井平九郎が祀られている御鍋神社の御神体は御釜。鼎はどこにも無い。御鍋とは本当は鼎なのではないか。鼎が御神体じゃないとおかしい。鼎はどこに行ったのか。これは永遠の謎でしょう。判りませんわ。
さて、永井平九郎とは一体何者なのか。余りにもデーターが少なくて調べようが無いです。しょうがないので永井平九郎と同じ行動を取った者を調べよう。そうだ、永井平九郎同様、平将門公を諌めた人物がいないだろうか。それで出て来たのがタイトルの平将平(たいらのまさひら)と伊和員経(いわのかずつね)です。どちらも新皇を名乗る平将門公の暴走を諌めた。残念ながら聞き届けられなかった。
先ずは平将平。平将門公の弟です。将門公は9人兄弟の三番目。将平は五番目みたいです。ここに永井平九郎を重ねると接点はあります。「平」の字と「9人兄弟」が。もしかしたら平九郎は将門公の9人の兄弟全員を示しているのではないか。
否、もう一つ接点がある。「9」と言えば妙見信仰の九曜紋。将門公の家紋。
九曜紋は北斗七星と太陽の紋。そして将門公には7人の影武者がいたと言う。うーん、これは太陽が将門公で7人の影武者が北斗七星(北斗七星は軸星を入れて本当は8星)。合計で九曜紋。つまり永井平九郎は将門公を含めた影武者全員を示すのかも。うーん、そんな訳はないな。
シンプルに9人兄弟の末っ子が永井平九郎なのでは。その最後の末っ子は平将種。この人が永井平九郎なのか。調べたけど全然データーが無く判らず。駄目だこりゃ。
もう一人の諌めた人物である伊和員経。平将門公の小姓だったようです。
伊和氏は出雲神族ですね。伊和大神は大物主や大国主と考えてよいでしょうし。
でも永井平九郎にどう繋がるだろう。長族は出雲神族と考えて間違いないだろうから、接点はゼロではない。
伊和と言うと伊和手。つまり安達ヶ原の鬼婆の岩手(伊和手)を思い出すけど、岩長姫がモデルだとしたら、永井平九郎に繋がるかな。うーん、やっぱり苦しいな。
もしかしたら平将平と伊和員経の二人が永井平九郎なのでは。これも厳しいけど、チョット掠っているか。いやー違うかなぁー。
実は将門公を諌めたと言う伝承はないのですが、平将門公の家来に隅田九郎将貞なる人物がいます。平将門公と共に掛川市の十九首塚に祀られています。殺されたみたいです。
「将貞」と言う名から平将門公の血筋かも知れませんが、この人もデーターが無い。判んないなぁー。
どうもそう簡単には答えは出そうにも無い。今日の所はこの辺で止めときます。そう簡単には繋がらないもんですね。
ではでは。