諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫が日本オリジナルの女神である事を証明する。その1

2017年04月20日 14時06分45秒 | 瀬織津姫

どうですか今回のお題は。中々刺激的でしょ。多分、最初からシドロモドロになると思います。そこを踏まえて読んでください。

さて、私も瀬織津姫に付いてネット検索するんですけど、半分以上の方がスピリチュアルで語っているものですから、何が何だかとんでもない内容になっているケースが多くて困っているんです。

私は古来からの伝承に基づく瀬織津姫の話が聞きたいと思っています。スピリチュアルって基本妄想でしょ。「瀬織津姫がそう言っております。私を信じなさい」と言われてもね、信じられません。誰だって適当な事いえるのですから。

試しに私が語ってみても良いですよ。説得力の或るホラ話を美味しくでっち上げられますよ。いくらでも。

私は全国の伝承・伝説から瀬織津姫を感じたい。推理したいのです。その伝承・伝説が事実でなくても、裏に隠された真実が見えてくる場合がある。それを探り出したいと思っているのです。

スピリチュアルの方は瀬織津姫を全宇宙のナンチャラカンチャラと言いますが、全宇宙の事なんて誰も判りません。行った事も無いでしょうし。私なんて世界の事も判らないです。私、海外旅行にも行った事が無いので。日本規模で話して貰いたいのです。

そうは言っても日本は神仏習合の時代があります。日本オリジナルの神はインドの仏と同じにされた時代があります。神道に覆いかぶさる形で仏教が成立している。神道の神と仏教の神が同じと語られている。それが今でも信じられていたりもする。

でも、私は断言します。瀬織津姫はインドの仏では無いと。第一、神道と仏教は相反する考えです。根本から違います。

「瀬織津姫は十一面観音だ、弁才天だ」と言われています。それは仏教を日本に浸透させる為に日本の川神である瀬織津姫をインドの川神である弁才天としたのです。

でも、ここ大事ですが、日本で瀬織津姫を弁才天と呼んでも、インドのサラスヴァティーではありません。同じ水(川・湖)と豊穣の女神ですけど瀬織津姫はそれだけでは無い。

その証拠として初期の弁才天像は複数本の全部の手に武器を握っています。そしてその後、半裸でヴィーナと呼ばれる琵琶を持っている弁才天の像が登場した。それは何故か。

瀬織津姫は本来は武神であり呪いの女神です。だから武器を持っていたのです。

多分、それでは不味い。もっと仏教度を高めなくてはとインドの弁才天象を参考にして、半裸で琵琶を弾いている弁才天像が日本で作られたのだと思います。

サラスヴァティーは武神ではない。川のせせらぎから音楽の女神としてヴィーナと言う弦楽器を持っているのですが、瀬織津姫は音楽の女神とは伝えられていない。

蝦夷を調伏するために熊野権現として瀬織津姫が東北に運ばれだ。だからこそ瀬織津姫は武神であり、呪いの女神であるのです。平和的な音楽の女神なんかじゃないのです。

この話は「謎の出雲帝国」と言う本に書かれていましたが、日本の本来の地主神は久那戸大神やアラハバキ神であり、その神々の信仰を捨てなかった人々は朝廷からの迫害を逃れる為に、アラハバキ神を弁才天やダキニ天として信仰したと書かれていました。私、或る程度それは合っていると考えます。

そしてアラハバキ神はインドの仏では無い。天照大神も天孫降臨とかで高天原から日本に降り立ったと言われていますが、それは大陸から渡ってきた朝廷側が創ったフィクション。天照大神も日本の地主神。それを朝廷側が日本を統治し易くする為に自分達の始祖神として迎えたと考えます。

天照大神荒魂とされる瀬織津姫も当然日本の地主神。それを証明したいと思います。

 

続く。

コメント (8)
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