続きです。
判りましたが、私が瀬織津姫が日本オリジナルの女神だと言った意味が。
前回お話した仏教の地獄説とのミックスの十王経は中国での十王経です。日本に入って来たら、また変化してます。
先ず、閻魔王以外の残りの9人の王は消えます。めんどくさかったのか、ややこしくなったのか省略されたのでしょう。そしてその代わりに新たな登場人物が現れます。
その人物とは奪衣婆と懸衣爺。正式には人でも神でもなく鬼です。
奪衣婆と懸衣爺はインドや中国、朝鮮にはいません。存在しません。日本オリジナル。日本にしかいない。日本固有の存在なのです。
仏教は神道に覆い被さる様に布教された。だとすると奪衣婆・懸衣爺は神道の神々がモデルと考えられます。
仏教に取って神道は邪教です。本来は。
日本の神々は敵。軽蔑すべき存在。そして最も恐ろしく巨大な存在。奪衣婆・懸衣爺こそが神道そのものと言い切って良い。
その神道その者である神々を鬼として仏教の下に置く。閻魔大王の下僕として描く。仏教、密教、道教、十王経よりも神道は下。もう信仰はさせない。だから奪衣婆として醜い鬼婆として描いた。
亡き者の衣類を剥ぐ。衣類を身に付けていなければ、鮟鱇の如く皮を剥ぐ。その行為は魔物そのもの。
しかし、剥いだ衣は人の罪。その罪を懸衣爺に渡し、木の枝に懸けて枝のしなり具合で亡き者の罪の重さを量る。裁きの神の役割を果たす。閻魔大王と同様に。
神道でその役割を演じるのは禍津日神と直日神でしょう。この二神は蔵前国技館の相撲の土俵の上の屋根に祀られている。つまり判定の神、裁きの神なので。
そしてこの二神に対して閻魔大王とお地蔵様を仏教は被せた。つまり「奪衣婆・懸衣爺=禍津日神・直日神=閻魔大王・お地蔵様」となる。
一方は貶め、また一方は神として迎える。これが神仏習合の特徴と言えます。
禍津日神ですが、神に対して「禍」と名付ける。これは禍津日神が日本の地主神である証明です。大陸から渡ってきた朝廷としては日本の地主神は敵。禍なので。
この禍津日神は天照大神荒魂であり、瀬織津姫である事は知られています。それは奪衣婆の別名・葬頭河婆で説明出来ます。
河の頭は川の上流。「葬」は「死者を黄泉の国に送る」事を意味する。そして「葬」を「ショウ」と発音したならアイヌ語で「瀧」を意味する。つまり「葬頭河婆」は「川の上流の瀧の婆さん」と意味になる。
この「婆」を「姫」に変えたら「瀬織津姫」と殆ど同じ意味になります。「瀬織津姫」は「瀧の姫」を意味しますし、「ショウリツ(速川神社での呼び名)」と発音すれば、アイヌ語で「毛皮を剥いで背負い入る」、「穢れを背負い入る」との意味になる。入る場所は黄泉の国。つまり「瀬織津姫」は「奪衣婆」や「葬頭河婆」と同じ意味に取れます。だから奪衣婆は瀬織津姫であると考えられているのだと思います。
チョット弁才天に話を戻します。弁才天は武神だとしましたが、記紀に置いて武神である女神は三人ほど考えられます。
一人はスサノオ命が高天原に昇って来た時、武装して対峙した天照大神。
二人目は猿田彦命が行く手を遮る様に現れた時、天照大神に「か弱き女の身でありながら、どんな神にも対抗出来る神」と言われ、猿田彦命に対峙したアメノウズメ命。
そして三人目は、三韓征伐に向った神功皇后。
そのうち神功皇后は天照大神荒魂である禍津日神、つまり瀬織津姫に導かれたとの説がある。八幡神の一人である比売大神は瀬織津姫とも考えられる。だとしたら神功皇后は瀬織津姫の巫女。若しくは瀬織津姫をモデルに創造された可能性があると思います。
その点から考えて弁才天は瀬織津姫となる。天岩戸に入る前の天照大神やアメノウズメ命も瀬織津姫と考えられる。
日本最強の武神であり呪いの神が瀬織津姫。だから荒ぶる天照大神荒魂、禍津日神とした。恐怖した仏教側は奪衣婆として落とし蔑みながらも、呪いや祟りを恐れて閻魔大王・お地蔵様として迎えたのではないでしょうか。
以上が奪衣婆が日本オリジナル故に瀬織津姫を日本オリジナルの女神であると私は考えます。まっ、証明したとは言えないかも知れないけど。
それと瀬織津姫にはやはり源流があると思います。朝廷側が日本の本来の地主神への信仰を恐れて瀬織津姫と呼んだ。瀬織津姫の名でカモフラージュしていると考えます。
では瀬織津姫の本来の名前は何か。それは私のブログのタイトルにしている、ヤマトタケル命の行く手を遮った渡神、境界線の神・鬼渡神だと言えます。瀬織津姫も奪衣婆もあの世とこの世の境界線に座していますし。
そしてアラハバキ神と考えます。懸衣爺は久那戸大神になります。この二神が日本の源流の神です。アメノウズメ命と猿田彦命、そして道祖神もこの二神がモデルと考えます。
長々と書いて参りました。どうでしょう、瀬織津姫が日本オリジナルの女神だと納得いただけましたでしょうか。
納得できない。やはり瀬織津姫は全宇宙のナンチャラカンチャラなのでありましたら、スピリチュアルの専門用語を用いず、判りやすく説明いただき、私を納得させて頂きたいと思います。
私が死ぬまでお待ちしています。宜しくお願い致します。
ではでは。