そろそろ終わりたいと思いながら続きます。
永井平九郎と常陸坊海尊の共通点は、出身が同じ可能性がある点です。そして平九郎は平将門、海尊は源義経に従っていた。どちらも敗者の家臣である。
そして平九郎は大鍋を背負っている程の力がある。将門公を諌めた程の実力がある。息子の可能性もある。将門公の勢力を盛り返す事が出来る人物である。警戒されると思います。
海尊は修験者。法力を持っている。弁慶に次ぐ強さ。ニンカン食べて不老不死になった。追う者としても強敵です。
現在も英雄の神格化が見られますが、永井平九郎も常陸坊海尊も強者。島の坊も強い。その者たちを殺した事に恐れを感じる。祟られると考える。
平将門公の祟りもその一つ。罪の無い??正統な主張をする者を殺す後ろめたさが罪悪感となり、祟りを恐れて祀らずにはおえなくなる。
特に坊主と修験者を殺すのは不味い。戦国時代、出家していた池田恒興を討った永井直勝は、坊主を殺した事に恐怖した。自分の屋敷の敷地に池田神社を建立し、恒興の頭を御神体にして祀った。それだけ仏教を敵に回すのは怖い。その思いが島の坊、永井平九郎、常陸坊海尊への信仰が生まれた様に思えます。
気になるのは茨城県の阿波の地名に「乗濱」、「安婆之島」がある事「能理波麻乃村」と呼ばれていた事。
「能理波麻」とは「海苔の浜」の意味。そして常陸坊海尊は宮城県の青麻神社に祀られている。どちらも眷属として祀っていると思われる。海苔と麻は何か接点があるのか。どちらも当時は貴重なものだから信仰が生まれた。どちらも植物。植物の神の眷属として常陸坊海尊を祀ったのでしょうか。これは難しいですね。
そして茨城の阿波の地は「建借間命」によって地元の国栖は殺され侵略された。
私は「タテカシマ様」の藁人形を見た事があるが、武将の鎧を来て、立派な男性器を出した姿です。つまりタテカシマ様は道祖神。猿田比古命。私は鹿島の地主神は阿須波神と考えていますが、鹿島の本来の神は猿田比子命の流れである事は間違いないと思います。
大杉神社の主祭神は大物主となってますが、「大物主=猿田比子命」は十分考えられると思いますね。
神道の神々は罪を犯す存在です。それは人々の代わりに罪を犯し罰を受ける。それが神道の信仰と言えます。
島の坊、常陸坊海尊、そして永井平九郎もその神々の眷属として迎えられた。その神々をカモフラージュの目的もあると思いますね。
それと茨城の阿波ですが、隣接する水戸市では那珂川が流れています。つまり四国の阿波同様、粟族と中族の土地。出雲神族の土地と考えます。
タテカシマ様は鹿島神・香取神である天津神の建御雷神、経津主と考えられますが、元々は日本の地主神である国津神を天津神に仕立て天孫族、天皇家の神に信仰しているものと考えます。
えっー以上です。最初のテーマとチョット路線が変わっちゃいましたが、また機会があれば考えを練りまくって書きたいと思います。
ではでは。