諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

三島由紀夫は瀬織津姫を演じたてのではあるまいか。その4

2019年10月01日 01時22分57秒 | 瀬織津姫
続きです。

長々と書いて参りました。これまでに登場した女神??は、三島溝咋姫、木花咲耶姫、熊野権現・五衰殿、安達ヶ原の鬼婆・岩手、白真弓観音、そして大物主荒魂である大物忌主ですね。

私、これらの女神は全て瀬織津姫を示していると考えています。

「何で安達ヶ原の鬼婆が瀬織津姫なんだ」とお怒りの方もいるやに思いますが、それは奪衣婆と同じ理由です。

仏教が神道に対して優位性を示す。その為におどろおどろしい鬼婆として語っていると考えます。

それと琵琶湖の竹生島神社の浅井姫も瀬織津姫でしょう。そして大物神社摂社の狭井神社に祀られている大物主荒魂。

「浅井」と「狭井」。浅い井戸と狭い井戸。私、最初はそう考えていたのですが、違いますね。「ア・サイ」と「サイ」です。

三島溝咋姫が祀られている伊豆佐比売神社、由豆佐売神社。どちらにも「佐」の字が付く。

更には木花咲耶姫も「サ」の発音が入る。これは何を意味するか。ずばり幸姫信仰であると考えます。

奪衣婆も賽(サイ)の河原にいます。やはり幸姫です。そして賽の河原は塞の神(サエノカミ)が鎮座する場所。

「賽=塞」と考えても良いですが、「塞」は「フザグ」と言う意味です。

何を塞ぐのか。ここからは下ネタで恐縮ですが、幸姫信仰、幸神信仰は性器信仰と言う意味です。性神こそが日本の根源の神。神道の根本の神であると断言します。

木花咲耶姫も火の中で御子を産んでいます。当然、性神を意味してます。

でも性神となると、でもね、どうもね。やはりね、っとなる訳です。性神の名を堂々とは発するのは気が引ける。神聖な大祓祝詞を唱えているのに笑いがこぼれる。それでは不味い。だからこそ瀬織津姫がその総称として創造された。私はそう考えております。

ここで疑問があります。何故、性器信仰が祓い清めなのか。

それは死んで生まれ変わるから祓い清め。性器は生を産む。だから性器信仰は祓い清めに繋がるのだと私は考えます。

以上の理由から私は瀬織津姫ヒーラー達を信じません。「わらわは瀬織津姫じゃぞ」と言いながら出て来る訳が無い。

瀬織津姫が恋愛相談、人生相談したり、子宮教の様に子宮がお金を引き寄せるなんて瀬織津姫が言う訳が無い。

その点を御理解して頂きたいです。何でそんな大ホラ話を信じてしまうかなぁーと思うのです。

神社の境内で静かに瞑想してみてください。神社とは、神道とは、そんなもんじゃないと分かる様になりますから。


つづく。

コメント (1)
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