諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

三島由紀夫は瀬織津姫を演じたてのではあるまいか。その5

2019年10月02日 04時52分17秒 | 瀬織津姫
何かパソコンの調子が悪い。何度も同じ文章が並んでしまう。どうしたんだろう。困ったなぁー、機械に弱いのに。

それでは続きます。

大物忌主に戻ります。

大物忌主の「忌」の意味とは何か。

数年前に忌野清志郎が死にましたが、私、以前から彼は早死にすると確信してました。こんなふざけた罰当りな名前を名乗っていたので。

まっ、それはどうでも良いのですが、忌は「いむ、いみ、いまわしい」と読む。嫌う、死者の命日、喪に服する意味合いがあります。

更に精神面で探ると、清浄と穢れの意味に取れます。

清浄と穢れ、正反対の意味ですが神事と礼儀の仕来りから同意語になってしまったのでしょう。そう言うケースは良くありますので。

更に忌は死と生の意味合いがある。生は出産。月経も忌。人との接触を避ける意味でもある。そこから考えると、大物忌主は生と死を司る神。そして月の物から考えて女神であると考えられます。

そう考えると大物主と大物忌主は夫婦神の可能性が高い。しかし、一緒には祀られていない。それは何故か。

多分、大歳神と天知迦流美豆姫との関係と同じだと思います。

この神々は二神で大歳神。大物主と大物忌主も二神で大物主。そして大歳神と大物主は同神であるとしたら。

まっ、この話は長くなりますから今回は避けますが、どちらも神道最大の祟り神である疱瘡神です。私は同神と考えています。

そしてこれまで登場させた女神も全て同神。その神々を総称として瀬織津姫と呼ばれる。そう私は考えます。

何故、瀬織津姫が登場したのか。総称として瀬織津姫と呼ばれたとの理由ですが、先ずは川辺で人々の祓い清めの手伝いをしていた「水の女」、「祓いの女」と呼ばれた人間の女性達をモデルとした可能性が高いです。

私の故郷の川である好間川の蛇岸淵には織姫伝説がある。近隣の鮫川もそう。

祓い清めは人々の衣類を脱がせ、川の水で身を清める。その手伝いをしたのが「水の女」、「祓いの女」と呼ばれた女性達。その伝承が川での織姫伝説として残ったと私は考えます。

もう一つ例を挙げますと。塩竃神社鳥居の正面には祓川が流れていました。今は水無しの川となっております。

その川だった場所の側に祓戸社が鎮座している。それはこの祓川で塩竃神社参拝前に参拝客が祓い清めをしていた。その手伝いをしていた女性たちがいた。その女性達が神格化され、瀬織津姫らとして祓戸社に祀られた。

神道は祓い清めの儀式。その儀式を司る女性たちが神道の象徴となった。日本本来の水神や地主神らの巫女として「水の女」の女性たちが信仰される様になった。瀬織津姫として語られるようになった。

もう一つの説は大変言いずらいですが、生と死を司る神であると言う事は性器を象徴とした神・性神だと言えます。

その性神の名を祓戸祝詞で唱える。大変不謹慎な事を申し上げますが、人々は笑いが込み上げて来る。

大変厳かな儀式なのに笑いは不味い。故に「水の女」をモデルとした瀬織津姫の名を創造した。

辻褄を合わせて合理的に考えると、そんな理由が浮かんでまいります。


つづく。







コメント (1)
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