以前、「人はボケる前に、亡くなるべきではないか?」と記事を書きました。絶対の自信を持って。
しかし、早くも考えが変わりました。認知症になった母親の姿を見ていて。
私の母親は父親同様、凄く短気な人でした。親達は私に対して殴る蹴る。踏みつける。飛び蹴りする。包丁で刺そうとする。罵倒する。蔑む。馬鹿にする。私の部屋で暴れてポスターをひっぱがす等々、この親達には散々やられた。
「お前は出来が悪いから新聞配達しろ」、「お前は人の3倍やって一人前」とまで言われた。
何故か妹弟にはそれをやらない。私限定。明らかな差別。
私が虐待される姿を妹弟は見て育ち親を避け、私に対し「お母さんに言うぞ」と脅す様にもなりました。
自分達の方が立場が上と考えたのでしょう。頭が悪く先が見えない腐った根性に育ちました。親そっくりに。
何れとんでもない禍が降りかかります。私の占いでそう出ています。これまでも全て当てて来たし。
逆に私も親の殺害を考えていました。こんな親は生きていてはいけない。殺しすべき。寝ている時に惨殺してやろうと何度思ったことか。
こんな風に思う私は既に異常者。子供の頃から異常者。
親が怖くて何も出来なくなった。何をして良いのか分からない。失敗すれば殴られる。だから何も判断が出来なくなったし、行動が出来なくなった部分があります。
断言するなら、私の家族は私も含めて全員生きる価値の無い人間。死すべき人間。生きていても自然の浄化作用で、消されるべき人間なのだと確信しています。必ず禍で滅ぼされる筈です。既に禍は全員に何度も及んでいますし。
さて、恨み言を書いちゃいました。
私の母親が認知症になった。子供になった。従順になった。
これは私の予想ですが、10人兄弟の末子である母親も親兄弟に苛められて育った。だから兄弟には従順だった。
ノイローゼになった兄を他の兄弟から押し付けられても従うしかなかった。そのストレスを私にぶつけて生きて来た。
それでなくても新聞販売業は最低の人間が集う最低な職業。そのストレスは尋常ではなかった。
私は親や兄弟に接して精神が歪んだ。弱って来た。その姿を見てストレスをぶつけるのを抑えた。自分のストレスを飲み込んだ。それが認知症の一因になった。
子供の感情に戻った。こんなにも従順なのは、9人の兄姉に恭順していたからだと思いす。虐待に近い感じで。
まっ、母の母親も母の兄弟も最後は認知症になってはいましたが・・・・。
何故、人は認知症になるのか。ボケるのか。
それは、もしかしたら成仏する為ではないのか。
自分の行いに罪悪感を感じた。自分の人生を悔やんだ。そんな想いのままでは成仏など出来ない。この世に未練を残す。
だから、そうならない為に人は記憶を無くすのではないか。ボケるのではないか。
ボケたら自分が死んでいるのか、生きているのか分からない。成仏出来ない。故に幽霊となって現世を彷徨うのではないかと考えていましたが、私の考えは変わりました。
全てを忘れるから無になれる。この世に未練が無くなる。だから成仏出来るのではないか。
この考え、仏教を否定するのか肯定するのか分かりませんが、神道的には正解の様な気がします。
そして私は成仏出来るのか。
このまま死んだら私は間違いなく怨霊になるでしょう。私は世を恨んでいますから。
何時も恨みを反復して思い出しては憎悪に燃えていた。掌の鈍い痛みが恨みを忘れさせてはくれない。この状態で死んだら成仏なんて出来はしない。
私は物覚えは悪いが、恨みは何時までも覚えている。執念深く。そんなんでは成仏なんて出来ない。忘れる事は非常に大切なのではないか。
実は一人づつ忘れる為に記憶を消している。だんだんと肉親との距離を取っている。それは自分の為。禍は自分の記憶から消す。そうしないと心が崩壊してしまう。憎悪で心が焼き付いてしまう。
今、悩んでいる事は、自分が死んだら墓はどうすべきが。
親と一緒の墓には絶対に入らない。死んだら全て縁を切りたい。一緒の墓に入っては魂は永遠に恨み続ける。悔やみ続ける。
墓をどうすべきが。それをこれから考えていこう。色々考えてみよう。
ではでは。