諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ボケは死ぬ為に必要な段階なのではないか?

2021年05月20日 16時17分43秒 | 人生
以前、「人はボケる前に、亡くなるべきではないか?」と記事を書きました。絶対の自信を持って。

しかし、早くも考えが変わりました。認知症になった母親の姿を見ていて。

私の母親は父親同様、凄く短気な人でした。親達は私に対して殴る蹴る。踏みつける。飛び蹴りする。包丁で刺そうとする。罵倒する。蔑む。馬鹿にする。私の部屋で暴れてポスターをひっぱがす等々、この親達には散々やられた。

「お前は出来が悪いから新聞配達しろ」、「お前は人の3倍やって一人前」とまで言われた。

何故か妹弟にはそれをやらない。私限定。明らかな差別。

私が虐待される姿を妹弟は見て育ち親を避け、私に対し「お母さんに言うぞ」と脅す様にもなりました。

自分達の方が立場が上と考えたのでしょう。頭が悪く先が見えない腐った根性に育ちました。親そっくりに。

何れとんでもない禍が降りかかります。私の占いでそう出ています。これまでも全て当てて来たし。

逆に私も親の殺害を考えていました。こんな親は生きていてはいけない。殺しすべき。寝ている時に惨殺してやろうと何度思ったことか。

こんな風に思う私は既に異常者。子供の頃から異常者。

親が怖くて何も出来なくなった。何をして良いのか分からない。失敗すれば殴られる。だから何も判断が出来なくなったし、行動が出来なくなった部分があります。

断言するなら、私の家族は私も含めて全員生きる価値の無い人間。死すべき人間。生きていても自然の浄化作用で、消されるべき人間なのだと確信しています。必ず禍で滅ぼされる筈です。既に禍は全員に何度も及んでいますし。

さて、恨み言を書いちゃいました。

私の母親が認知症になった。子供になった。従順になった。

これは私の予想ですが、10人兄弟の末子である母親も親兄弟に苛められて育った。だから兄弟には従順だった。

ノイローゼになった兄を他の兄弟から押し付けられても従うしかなかった。そのストレスを私にぶつけて生きて来た。

それでなくても新聞販売業は最低の人間が集う最低な職業。そのストレスは尋常ではなかった。

私は親や兄弟に接して精神が歪んだ。弱って来た。その姿を見てストレスをぶつけるのを抑えた。自分のストレスを飲み込んだ。それが認知症の一因になった。

子供の感情に戻った。こんなにも従順なのは、9人の兄姉に恭順していたからだと思いす。虐待に近い感じで。

まっ、母の母親も母の兄弟も最後は認知症になってはいましたが・・・・。

何故、人は認知症になるのか。ボケるのか。

それは、もしかしたら成仏する為ではないのか。

自分の行いに罪悪感を感じた。自分の人生を悔やんだ。そんな想いのままでは成仏など出来ない。この世に未練を残す。

だから、そうならない為に人は記憶を無くすのではないか。ボケるのではないか。

ボケたら自分が死んでいるのか、生きているのか分からない。成仏出来ない。故に幽霊となって現世を彷徨うのではないかと考えていましたが、私の考えは変わりました。

全てを忘れるから無になれる。この世に未練が無くなる。だから成仏出来るのではないか。

この考え、仏教を否定するのか肯定するのか分かりませんが、神道的には正解の様な気がします。

そして私は成仏出来るのか。

このまま死んだら私は間違いなく怨霊になるでしょう。私は世を恨んでいますから。

何時も恨みを反復して思い出しては憎悪に燃えていた。掌の鈍い痛みが恨みを忘れさせてはくれない。この状態で死んだら成仏なんて出来はしない。

私は物覚えは悪いが、恨みは何時までも覚えている。執念深く。そんなんでは成仏なんて出来ない。忘れる事は非常に大切なのではないか。

実は一人づつ忘れる為に記憶を消している。だんだんと肉親との距離を取っている。それは自分の為。禍は自分の記憶から消す。そうしないと心が崩壊してしまう。憎悪で心が焼き付いてしまう。

今、悩んでいる事は、自分が死んだら墓はどうすべきが。

親と一緒の墓には絶対に入らない。死んだら全て縁を切りたい。一緒の墓に入っては魂は永遠に恨み続ける。悔やみ続ける。

墓をどうすべきが。それをこれから考えていこう。色々考えてみよう。


ではでは。






コメント
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